沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩590 日本という国 2 戦争と原子力

2015年04月17日 23時13分23秒 | 政治論

 1945年3月26日実質的な沖縄戦は始まった。それは集団強制死を惹き起こした慶良間諸島への攻撃に端緒する。4月1日には沖縄本島中部への上陸が開始され、その後実質的には10月頃まで「本土決戦のための捨石持久戦」として未曾有の惨劇が繰り広げられた。

 これに先立つ同年3月10日東京大空襲、以降日本全国各所への空襲が続き、3月18日からは九州瀬戸内海周辺の飛行場、艦隊、軍事施設への空襲が始まった。このことは沖縄戦の開始が先のばされる予想を軍関係に起こさせた。

 前年(1944年7月サイパン陥落、引き続くレイテ海戦に伴う台湾補完部隊として沖縄の32軍から最精鋭部隊が抽出され32軍は当初の人員が3分の2に減少した....沖縄戦より台湾戦が先だろうという大本営の誤った憶測による)当然ながら南海海域には米軍潜航艇潜水艦がひしめいていたし、1944年8月22日には学童疎開船「対馬丸」に対する米潜水艦ボーフィン号による魚雷攻撃で1476名が犠牲となる悲劇があり同年10月10日には那覇市に対する大規模な空襲(十・十空襲)が行われていた(那覇市街地は灰燼に帰した)。

 1944年台湾・南西諸島防衛の任に当たる第32軍(1944年3月22日創設)に第10号作戦準備が下令され、その年沖縄本島北、中、南、東、伊江島、宮古飛行場の建設が始まり、「軍官民共生共死」方針に基づき沖縄県民総出夫の動員が行われる。この島ぐるみの戦争状態は所謂組織的戦闘の終結と言われる翌年6月23日まで一貫して継続され、剰え、司令官牛島中将の自決(6月23日と言われる)遺訓「生きて虜囚の辱めを受けず、悠久の大義に生くべし」という、事実上の投降禁止玉砕命令はその後も島民の運命が戦闘状態から解放される機会を多くの場合奪い取る結果となった。

 中国戦線で住民虐殺を経験している元軍人が、ベトナム戦争の渦中に起きた同じ住民虐殺を目の当たりにし、「戦争はいつの時代も変わらない惨状を示す」と苦々しく呟く話がある。

 我々はほぼ戦争を知らないで生育した一種の無知集団の一員であろう。安倍晋三などは再軍備、米軍戦争加担を盛んに吹聴しているが、この男も所詮戦争を知らないばかりか、実際上決して戦場に赴いて銃弾を発射することがない、言わば机上の空論をさも本当の話のように口角泡を飛ばして煽動するデマゴーグの類なのは間違いない。だから、この男の話をまともに聞いて軍拡を論じようというのがどうかしているのだ。一食数万円のデナーを夫婦で毎夜のように注文する大金持ちのボンボンの参謀に牛耳られている日本人は、明らかに「言うべき時に言うべきことを言う」当たり前の「民主主義」が理解できない、立ち遅れた文明人という評価に究極するように思える。このことは原発に関しても容易に論難されるべきものだ。

 韓国語を話せない、日本の公教育を受けて育った在日朝鮮人という朴鐘碩氏(1951年生)の「日立就職差別闘争後のあゆみ」というのを「戦後史再考」(2014年10月24日初版 西川長夫・大野光明・番匠健一編著)で読ませてもらった。ヤマトゥにいて、こういう話を看過していた自分、というものがある。そして、日立製作所という、本邦では超一流のテクノロジー企業が抱えている「負の部分」を改めて眺め返すと、取り分け戦後この国が組み込まれてしまった「レジーム」(安倍晋三のそれでもある)の底深さに気づかされるのだ。それは敗戦国と占領戦勝国、一極大国たる米国とその傀儡化に置かれた日本国、この関係性において憲法と日米安保に代表される「レジーム」に否応なく、かつ全体的に、又細密に「してやられている」我々自身を見出すことでもある。このレジームの被害的矛盾に晒されているのがマイノリテイである沖縄、朝鮮であり、マイノリテイ故に「声を発しなければならない」という自覚に至る存在性だ。(つづく)