沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩589 「沖縄問題」という問題 4

2015年04月05日 07時30分22秒 | 政治論

 日本国と連合国とのサンフランシスコ講和条約は1951年9月8日調印、翌52年4月28日発効した。この会議にはインド、ミャンマー、ユーゴスラビアが欠席し、ソ連、ポーランド、チェコスロバキアが調印せず、中華民国と中華人民共和国は招聘されずに終わった。そして通常外交関係は回復したが沖縄、小笠原、奄美については米国施政権下に置かれた。

 4月28日、つまりこの日を日本国にとってどういう位置づけにするかは論議のわかれるところではあるが、2013年安倍晋三は「主権回復の日(独立した日)」として天皇陛下万歳を叫び祝典の意味を持たせるよう国民に印象づけた。しかしここに沖縄県はこの日を「屈辱の日」とし、又、福島県は(震災と原発の災禍のもと)到底祝典には馴染まぬと、共に式典を欠席した。

 さて、この安倍政権はほぼ完全にファシスト政権であり、その意図するところは全体主義である。この政権傾向は直ちにヒトラーナチスを連想させると同時に、一種の民衆弾圧、あるいは民意虐殺というイメージを生産する。かつての自民党政治が臆面もなく復活し曲がりなりにもあり得た戦後「民主政」の可能性にとっては紛れもない暗黒時代を迎えた、と言っていい。

 林農相の出来レースと同様に菅官房の来沖もこれに等しいだろう。菅は翁長氏を様ざまな強弁と抗弁で煙に巻こうとするに違いない。彼の今回の政治目標は政府と沖縄県の意見の相違を国民の前に明らかにし、政府が県を説得しようとして果たせなかった、という印象に落とし込み、国家専権事案としての辺野古移設作業の「粛々たる」継続推進を正当化する、ということにしかない。この出来レースは沖縄県民には何の関係もなく、米国傀儡国家のその在り様を確認するだけのことだ。菅のいう、選挙結果からは「辺野古移設反対」の民意は不明だ、という見解は明白な欺瞞であり、その強弁に何の根拠性もない。

 沖縄県民の「民主政」における政治目標は、現在、この国が名護市辺野古の辺野古崎で我が物顔で実施している、移設に向けたあらゆる作業を停頓させ、これを暗礁に乗り上げさせ、計画自体を頓挫させることである。この目標には当然結果しか期待されない。(つづく)