沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩590 日本という国 3 ヤマトゥとウチナー4

2015年04月22日 11時42分18秒 | 政治論

 1951年9月8日 日本と連合諸国がサンフランシスコにおいて講和条約に調印 日米安全保障条約署名

 1952年4月28日 講和条約発効 (4月28日は沖縄では「屈辱の日」とされる)

 この講和条約の調印発効は、日本国と連合諸国との戦争状態が終了した(第1条(a))ことを意味する。但し日本国の主権の回復という文言(第1条(b))は不完全な内容を含んでいた。それが南西諸島(北緯29度以南、琉球諸島、大東諸島等)、南方諸島(孀婦岩より南、小笠原諸島、西之島、火山列島)、沖ノ鳥島、南鳥島につきアメリカ合衆国の信託統治領とする提案への同意、だ。つまりこれら日本領土に属する島嶼については米国の引き続く戦勝国占領が行われることとなった。一方、伊豆諸島は1946年3月22日に、トカラ列島は1952年2月10日に、奄美群島は1953年12月25日に夫々返還され、小笠原諸島については遅れて1968年6月26日に返還された。奄美群島の返還は島民の激しい復帰運動に米国が折れた、という経緯がある。というよりもここは在米軍基地が少なく戦略的価値に欠けた、という事情がある。

 問題は琉球諸島の扱い方、に集中する。取り分け沖縄本島については明らかに米国国家安全保障機構のもと戦略的に据え置かれたのだった。「太平洋の要石」など、いずれにしろ沖縄県民にとっては本土と切り離され、軍事基地満載の自己所有土地を名実ともに強奪された状態で戦後「アメリカーユ」支配体制によってほぼ全的な人権を阻害される境遇に落とし込まれたのである。この状態の起点である4月28日、という日は、沖縄県民にとっては許しがたい、日米総ぐるみの植民地的扱いの宣言にほかならず、屈辱的な意味以外何物も意味してはいない。

 本島面積の2割近くを占拠している米軍基地と、制空権制海権を含めれば明らかにアメリカ合衆国は沖縄本島を自国の領土と同等に扱っていると言える。この国際的な戦争法規上の違反行為は名ばかりの国連という世界性における米国の一極体制にあって初めて無法にも通用しているのだ。これは向後現代世界史の記述に「パクスアメリカーナ」という1時代を画することになろう。

 打開策、というものはない。あるのは「奴隷か、しからずんば....」という覚悟と精神的自決だ。(つづく)

 

 

 


詩548 日米政府官僚が沖縄に対してやっていることの正体 辺野古浜通信

2015年04月22日 09時35分01秒 | マスコミジャーナリズム

http://henoko.ti-da.net/

4月28日 屈辱の日 県民大行動・大集会

名護市辺野古

AM6:00~8:00  早朝ゲート前行動 キャンプシュワブゲート前

AM9:00~12:00  海上行動     大浦湾

那覇市県庁前県民広場

PM18:00~19:00 4.28県民大集会

PM19:00~20:00 デモ行進(牧志公園まで)