沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩589 「沖縄問題」という問題

2015年04月02日 10時21分11秒 | 政治論

 所謂軍事専門家、元外交官などの沖縄米軍基地過重負担に関する見解を聞いていると、所詮、日米安保体制擁護あるいは絶対堅持の意見にすぎず、あるいはそこから一歩も出ず、この限りでは到底「沖縄問題」を真剣に考えているとは言えない気組みとなっていることが見え見えだ。「沖縄問題」の根深さは彼らの様な「言いのけ」「言い逃れ」「言い訳」「お茶を濁す」態度では到底建設的解決志向の方向性は与えられないことが、此処に来て曲がりなりにも文献資料を繙いて8年経過しているヤマトゥからの移住者という、「沖縄問題」の全くの素人にさえはっきりと言えることなのだ。つまり彼等には抑々「沖縄問題」という問題意識はなく、まして「沖縄問題」を解決しようなんてサラサラ思っていないことこそ最大の問題なのだ、ということがわかってない。それはこの国の政治家官僚あるいは常民にも当てはまる。「沖縄問題」は、「国家の安全保障」政策という重大な課題において論じられなければならず、何度も言うが、世論調査を信用するなら、ヤマトゥの安保容認派が8割あるのに対し沖縄では9割が反対している、ということからもわかるように、基地負担が僅少な部分ではこれを正当化し、過重に負担している沖縄では真っ向から否定している、という結果だ。つまりは、この国の常民は明らかに、正確には具体的に日米安保負担を受け入れることなどできない、と言っている。この事実を重くとらえていないのがヤマトゥの政府官僚政治家あるいは識者たちの態度姿勢基本的な気組みであり、そのために、常民はそれでよしとする単なる風潮で一切を事勿れに済まして止まない。今、米国抜きで考えれば即座に結論が出るはずの「原発問題」においてさえ、米国傀儡国家そのものの気組みで事を済まそうとしているこの国の常民の姿に、「民主的合理性」を理解しない、あるいは生理的に受け流す非近代的国民性を発見しても少しも愉快でないことは了解されよう。彼ら(原発立地自治体)が、それの稼働しないことによる経済的不如意を言い募るのは仕方がないことだ。問題は米国発の原発推進思潮に易々と乗っかり、刹那的な地域振興に便乗して事を進めるこの国の官僚と政治家には、絶望的な亡国性を感じることを禁じ得ないということだ。

 保守停滞主義に凝り固まって問題解決の意思などまるでない政府官僚政治家あるいは識者たちの言うとおりになど琉球沖縄は動かない。おまえさん方が動かしたのは民意を得ない首長たちの節操のない堕落精神にすぎず、到底正当性はない。菅官房が来るようだが、フン、今更、アリバイ作りに眼の色変えても沖縄県民の目はごまかせない。辺野古推進は何の問題もないと言い切って憚らぬ政府要人を歓迎するウチナンチュはいない。鳩山氏に「怒」を突きつけたのとは別の意味で「憎」を見せつけてやりやしょうぜ。(まだまだつづく)