自分っていうものはすべて積み重ねでできてきたもんじゃないかと思います。だからこれまでやってきたこと、経験したことが一つも無駄にならず、糧になって、知識になって、知恵になって、自分を形作ってると思います。自分ひとりでできることではなくて、人とのかかわりの中であっちこっちが修正されていきます。
私たちは子どものころからいろいろなことに興味を持ち、学校で、家庭で、地域で学んでいきます。大学生ともなれば、だいたい生まれてから20年くらいたってるので、そのくらいの蓄積があるわけです。
だけど最近ちょっと「積み重ならない」現実にめんくらっています。
すごろくでいうとせっかく駒を進めていたのに、振出しに戻る、みたいな。
それもたびたび。
学んだことを前提に次に進んでいくはずが、進んでみたら前提となるその前のことが習得されていなかった。九九をきちんと覚えてなかったとか、分数の考え方がわかってなかったとか、そこまで戻ってやり直したらわかるようにできるようになった、、、、なんてことは確かにあるけれど、ちょっと今わたしが直面してるのとは次元が違うような。
学びが点でしかないという感じかな、、、
点はいっぱいあるけど、いっこうにつながっていかないという。
だから積み重ならないんじゃないかという気がします。
なぜなんだろう、、、。
分子生物学の試験でタンパク質の変性について聞いたら、1文字も書かない人がいるんだけど、そんなの家庭科で習ってこなかった?分子生物学で習うまでもなく。習ってなくてもゆで卵を食べたことあるし、ゆで卵が生卵にはもどらないってことも知ってる。20年間のどこかで、絶対に「それってタンパク質が変性してるんだよね」という会話があったと思うんだけど、ないのかなあ。
点をいくら増やしても役に立ちませんからね、忘れちゃうし。
大学に入ってきた最初のあたりでいくらか「自分をつくっていく」ってこと考えてみてはどうかなと思います。じゃないと大学生活にあんまり意義がなくなってしまいますからね。
私たちは子どものころからいろいろなことに興味を持ち、学校で、家庭で、地域で学んでいきます。大学生ともなれば、だいたい生まれてから20年くらいたってるので、そのくらいの蓄積があるわけです。
だけど最近ちょっと「積み重ならない」現実にめんくらっています。
すごろくでいうとせっかく駒を進めていたのに、振出しに戻る、みたいな。
それもたびたび。
学んだことを前提に次に進んでいくはずが、進んでみたら前提となるその前のことが習得されていなかった。九九をきちんと覚えてなかったとか、分数の考え方がわかってなかったとか、そこまで戻ってやり直したらわかるようにできるようになった、、、、なんてことは確かにあるけれど、ちょっと今わたしが直面してるのとは次元が違うような。
学びが点でしかないという感じかな、、、
点はいっぱいあるけど、いっこうにつながっていかないという。
だから積み重ならないんじゃないかという気がします。
なぜなんだろう、、、。
分子生物学の試験でタンパク質の変性について聞いたら、1文字も書かない人がいるんだけど、そんなの家庭科で習ってこなかった?分子生物学で習うまでもなく。習ってなくてもゆで卵を食べたことあるし、ゆで卵が生卵にはもどらないってことも知ってる。20年間のどこかで、絶対に「それってタンパク質が変性してるんだよね」という会話があったと思うんだけど、ないのかなあ。
点をいくら増やしても役に立ちませんからね、忘れちゃうし。
大学に入ってきた最初のあたりでいくらか「自分をつくっていく」ってこと考えてみてはどうかなと思います。じゃないと大学生活にあんまり意義がなくなってしまいますからね。
ほんとに、人生というものは積み重ねだと思います。
わたしも食卓でよくなんだかんだと息子たちに話しかけますが、なかなか話が発展しないというか・・・。
一番下の子は、うんちく好きなので結構、話にのってはくれますが。
たしかに点での知識は役に立たない。点と点をどんどん繋げて目の細かい網目のような知識へと深めて欲しいと願います。
でも、先輩さすがに、ゆで卵見てタンパク質の変性の話になったことないですよ~(笑)
今度、ゆで卵食べるとき、言ってみよっと(^_^)v
学生さんたちは答えを覚えたら、あまり深くは考えないのかな?私は暗記が1番苦手でした。
タンパク質の変性について日常で深く考えたことはないのですが(^^;;、私だったら質問されたらその場で考えて何か書くんだけどなぁ。
学生さんたちは間違いを書くくらいなら白紙なんですかね?
コメントありがとうございます。
やはりつなぐということが大事、そしてつながったときの「すとん」と駒がはまった快感が次のモチベーションになっていくのでしょうねえ。学生にも教えていきたいですが、こういう感覚はなかなか伝わらないのです、、、、。