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気を遣うという話

2016年09月02日 | その他もろもろ
世界中に自分一人じゃないので、日々周囲の人(やネコ)との接触があるわけなんですが、そうするといろいろと気を遣いますよね。
気を遣うというと大げさだけど、家族が帰ってきてるときは生活時間を合わせるとか、予定を調整するとか、TVは自分が見たくなくてもバラエティが流れてて、ホントは別の番組が見たかったけどまあいいかとか(なんせうちにはTVは一台しかないので)。もちろん子どもが小さかった時は、子どもの時間と子どものアクティビティや興味に合わせてたもんですから、今の100倍くらい気持ちを遣っていた(つまり自分のしたいようにはできなかった)わけなんですが、今もけしてゼロじゃありません。おかしいなと思うけど。

この間、スカパーで野球を見たいなと思ったら、「契約していない」チャンネルで映りませんでした。
前から野球をストレスなく見れるチャンネル契約にしたいと思ってたのに、「子どもたちが見るチャンネル」を優先していて(だって何でもかんでも契約してたらすごい金額になるわけで)、「帰ってきたら見るしなあ」と思って手を付けずにいたのを、とうとう解約して野球とサッカーと映画に特化してしまいました。いや、しかし、もっと前にそうしてもよかったんですよ。だって普段わたしは一人なんだから。だけどやっぱり思考がそう単純にはいかない。

ちょっと考えたんですが、もし家族を持たずに若いころから一人でやっていたら、こういう大したことないけど誰かに気を遣って100%自分のしたいようにはできない、という経験はしないのかな?いやもちろん、社会人であれば社会の中でそういう場面はいくらでもあるけど、そういう意味じゃなくて、自分のプライベートに限ってみると?どうなんでしょうか。

大学生の頃、アパートに一人暮らしをしていたとき、たしかにまったく気を遣わずに自分の好きにしていたなと思います。持ち物も時間もやることも自由。あれは今から思えばすごい時間でしたね。今一人で暮らしててもあれほどの自由はもうないなあ、たぶん。今の学生さんたちはどう感じているのかなあ。あんまり意識ないかもしれません。わたしもあの頃そんな意識はなかったと思います。

ところで現在の私にとって自由の足かせになってるのは、一番はネコですね。
いろんなところで邪魔をして、文字通り「踏みそう」になる(笑)。





コメント
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