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いろんな価値観にふれるってこと

2014年06月03日 | その他もろもろ
子どもというのは一人で大きくなるのではなくて、親・兄弟、近所の人、学校の友達、先生など、周囲の人のサポートの中で育ってきます。その中で、非常に小さい集団、あるいはあまり変化のない集団の中で大きくなることの不安を、最近よく感じます。実はわたしは子供を外国で育てる中で、多様な文化・多様な言語の中で育つことの意義は大いに認めながらも、日本の比較的単一な社会の中で育つことの優位さも感じていました。アメリカでは英語と日本語のたった二つの言語の習得にも子供は微妙なバランスを要求され、文化の違いの中で不安定な状態を余儀なくされました。日本で育っていれば地域の小学校に6年間通い、そのまま地域の中学校に進学し、友人関係も安定して、、、という可能性(あくまで可能性ですが)があるんですが、アメリカにいたとき、うちの子どもたちは絶えず変化の中にあり、安定とは程遠い生活の中で、大変な苦労をして日々を過ごしていたのです。その結果、たしかに二言語を習得し、多様な文化への理解を身につけ、変化への耐性ができたと思いますが、そのために払った代償は大変大きなものでした。

しかし、同じ文化の中でゆったりと大きくなっている日本の一地方の学生たちの中には、非常に小さい集団の中で大きくなったために、そこで身についた価値観が絶対のものとなり、身からはがそうとしてもはがれない状態になっている場合があるのではないか、という気がするのです。率直に言って、影響力が強いのは親の価値観です。素直に親にしたがっているという意味ではなく、たとえ反発しているとしても、子どもの心に絶対の力を及ぼしているという気がします。愛情が大きければ大きいほど、子どもへのコミットメントが強くなり、その分違う価値観に触れる機会が減ります。

わたしはうちの子どもの不安定を見てきたので、異国で異文化の中で育つこと、多様な価値観に触れることが無条件にスバラシイとはとても言えませんが、それでも、やっぱりあまりにも小さい固まった社会の中で育つと、後でその価値観を崩すのは至難の業ではないか、と感じます。価値観が固定されているので成長が限られてしまい、もったいなく思うのです。本人が幸せならそれでいいではないか、という考え方もあるでしょうが、やはり残念な気がします。

親というのは因果な存在ですね。
子どもの成長に欠かせない存在でありながら、その成長を限定させてしまう存在であるのかもしれない。
子どもは安定した愛情の中で大きくなりつつ、なるべく感性の柔らかい時代に親とは違う価値観に触れるようにしたい、と思います。
自分の可能性を信じられず、自信がない学生たちの多くは、親から「絶対に大丈夫。あなたならやれる。」と言われてきてはいないのですが、親は心配するからこそそういわないのであって、愛情の深さを示してもいるのです。けれど、親や育った地域も大事にしつつ、それとは違う価値観に触れることの意義を、親も意識していけばこの子たちはもっともっと成長できるのではないか、、、と考えたりしています。
コメント (3)
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