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大学での学びとは・・・卒業研究の途上

2011年12月01日 | 仕事・研究
4年生の卒論の実験が佳境に入っています。
うちは論文の締め切りが1月末なので、年内はまだ実験ありありなのです。
たまには1月に入ってからもやってる子はいて、文章書きながらデータ入れていくという感じです。

さて。

自分のところの学生の至らぬところは結局自分の教育の至らなさの結果なので、自分の首をしめるようなことを書くのですが、卒業研究ってなんだろうね、大学での学びってなんなんだろうねということを改めて考えさせられるような問題が研究室内に生じています。

大学で学ぶということは、自分の能力を伸ばし、思考の幅を広げ、自分はこう生きていきたいという自分の軸を構築することだと私は思います。で、卒論は大学での学びの集大成で、ひとつの区切りになるものだと思います。これが終われば卒業して社会人として巣立つのですが、その後は社会で鍛えられていきます。大学時代の学びは自分の基盤になるもので、実験結果よりもいかに取り組んだかが重要なものです。もちろん実験結果が素晴らしいとよりいいわけですが、学部生の研究ではネガティブデータで終わることもままあり、「こうではないかと仮説を立てて取り組んだが、予想した結果は得られなかった」って場合もありますね。でもその場合でも取り組み方が正しければ、学部生の場合はそれでいいと私は考えています。

うちの学生たちはよく勉強するし、ゼミもきちんとやってくれるし、実験もペースは遅いけど地道にやってるし、それはいいんですが、もしかして「こなす」ことに一生懸命なだけであるならば、ちょっとことはやっかいです。

昨日、あるデータに疑問がありました。
そのことを発端に、最近のデータを検証したらみなおかしいということがわかりました。でもいったいいつからおかしかったのか、私は今把握できていません。昨日みなにさかのぼって調べるように言っておきましたが。本人たちはおかしいのかもしれないと思ってはいたようです。でも「データは出している」からそれ以上は気にしなかった、あるいは一瞬気になったがすぐ忘れてしまった=データに執着がない、ということのようでした。非常にまじめにやってるように見えるので、わたしも気が付くのが遅れました。これまでの学生の時も問題はさまざまありましたが、どちらかというとこれまでは「実験しない」「勉強しない」「ゼミをすっぽかす」みたいなことで表面に現れるためにすぐ気がついて指導できたんですが、今の場合はひたすら素直にやってて、表面上はよくやってるように見えるためにわかりにくく、わたしも失敗したなあと思いました。

ネガティブデータでも意味はあるんです。「これは違う」という否定ができる。でもデータが信頼できなければ、何にもいえないですよね。物事への取り組み方は、研究だけが特別なんじゃありません。他のことにも当てはまると思います。なんのためにやってるのか?ということを考えて取り組んでいたら、こうはならないと思うんですね。せっかく青春の貴重な時間をこれだけ費やすのだから、意義のある取り組み方をしてもらいたいと思います。

さてそうこうしている間に原因がわかりました。
研究室の学生全員が実験のたびに確認すべき事項をスルーしていました。
試薬を買いなおして実験のやり直しです。かなり大変な事態です。
それでも気がついてよかった。
私自身が学生の実験についてやれればいいのですが、最初に一度教えた後はもうつきっきりということはしません、というかそんな時間がないです。一度聞いて見せてもらったらあとは自分でやってくしかなくて、そのためにはかなり集中して話を聞かなきゃならないんですが、そこがまず一番の問題とわたしはみています。いつも初めて聞いたような顔をしてノートに書き込んでいますが、頭にも書きこんでほしいですね。理論も理解してほしいです。そうでないと今回のような事件が起こります。

今年は年末まで胃が痛い状態が続きそうです。


コメント
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