日本人は、自己主張が弱い、相手を忖度する、自分の意志を貫くよりも譲歩しがちである。
欧米人とは大いに違う。
その違いの現れの一つに、日本語がある。
●“主語がない、省略”
「北国の長いトンネルを抜けるとそこは雪国であった、、、」
日本人であれば、主語が省略されても汽車に乗っている自分を想像する。
欧米人は主語がないので戸惑うらしい。
主語が省略することで、自己主張を緩和する。
●“主語の一人称(自称詞)が無数”
英語は、正確には複数あるが、「I」だけといってもいい。(We, me, mine, myselfなど)
日本語では、やたらと多い。
それも、話し相手との人間関係によって使い分ける。
例えば、
先生に対して「僕は」、上司➡「私は」、お客様➡「私どもは」、友人➡「俺は」、後輩➡「俺様は」、子供➡「おじちゃんは」、我が子➡「パパは」
相手の心を忖度して自己を主張し過ぎず、人間関係を円滑にしようと努める。
その延長上に、自分と相手を同一視。
●“一人称と二人称が同じ”
一人称「自分」=二人称「自分」
一人称「僕」=二人称「僕(幼児に対して)」
「われ」も両方に、
「手前」は一人称、「てめえ」は二人称。
自分と話相手との関係を曖昧にすることも、人間関係をなるべく対立しないようにする配慮か。
欧米人とは大いに違う。
その違いの現れの一つに、日本語がある。
●“主語がない、省略”
「北国の長いトンネルを抜けるとそこは雪国であった、、、」
日本人であれば、主語が省略されても汽車に乗っている自分を想像する。
欧米人は主語がないので戸惑うらしい。
主語が省略することで、自己主張を緩和する。
●“主語の一人称(自称詞)が無数”
英語は、正確には複数あるが、「I」だけといってもいい。(We, me, mine, myselfなど)
日本語では、やたらと多い。
それも、話し相手との人間関係によって使い分ける。
例えば、
先生に対して「僕は」、上司➡「私は」、お客様➡「私どもは」、友人➡「俺は」、後輩➡「俺様は」、子供➡「おじちゃんは」、我が子➡「パパは」
相手の心を忖度して自己を主張し過ぎず、人間関係を円滑にしようと努める。
その延長上に、自分と相手を同一視。
●“一人称と二人称が同じ”
一人称「自分」=二人称「自分」
一人称「僕」=二人称「僕(幼児に対して)」
「われ」も両方に、
「手前」は一人称、「てめえ」は二人称。
自分と話相手との関係を曖昧にすることも、人間関係をなるべく対立しないようにする配慮か。