2008年11月に見たインド・・・・⑨

2019年10月16日 | 

200811.21のブログの転用です。

 畑の中に時々現れる煙突はレンガを焼いているのだそうです。

 道路の拡張で家の前面をバッサリとカットされた家を多く見ました。

 本当にレンガで出来ているのだ・・・と納得しました。

 レンガで家を作る国に行っても、いつもどうやって施工しているのだろうと思うのが、天井でした・・・・素人丸出しで????と考えていました。

 だから建築途中の建物を見ると、バスを停めてくれないかなと思っていました。

 今回そのバッサリを見て、床部分と天井部分を細い丸太でつっかい棒にしているのだとわかりました。

 これって日本の鉄筋のアパートの現場でも見たわーと、納得しました。


 5つ星ホテルで思わず笑ってしまったのは、ベットサイドと浴室の壁の間のフロアーが微妙な傾きでした。

 足の裏は敏感だから、ほんのちょっとの傾斜も感じるのですが、とてもそんなレベルではありません。

 まったくおおらかな国なのだと感心したのでした。

 現地では日本円は使えないし、ドルも限られますという訳で、2人で10.000円づつ両替をしました。

 飲み物は添乗員が一括してくれたので、これが使い切れません。

 土産物には必ず連れて行かれるのですが、どう見ても欲しい物がないのです。

 ジャスト・ルッキング(こんな言葉あったかいな)と言っても、どんどんと勧めてきますから、恐くて眺めることもできません。

 だから同行者が交渉するのを見て楽しむことにしていました。

 これってとても面白いのです。

 留守番の奥様にお土産を選ぶ方に、女性陣は「それって日本で買ってもその位よ」なんて余計なおせっかいが出てしまう当り・・・・奥様ごめんなさいね。

 トイレの度にチップを渡しても、物を買わない限り減りません。

 せいぜいお茶を飲むくらいですから、たかかしれています。

 それでもようやく小さな独楽を見つけました。独楽は私たちの唯一の収集品なのです。

 日本の独楽は最近どこでも同じものにしかお目にかかれませんので、めずらしいのを見るとついウフフフフッとなってしまうのです。

 最後の日・・・・何が何でも買わなきゃ・・・明日会社に行けないよ。

 という訳でガイド氏お勧めのお店へ。同行者みんな同じ気持ちだったようで、すごい勢いで買いましたよ。

 紅茶と香辛料、10に1個のおまけ・・・・えーそれはないじゃない、日本で買ってもこの値段のような気がするけれど。

 やれやれこれで会社に行けると一同胸をなでおろしました。

 昼食は最後のインド料理です。

 カレーとナン。

 ほうれん草のカレーにヨーグルトが入っています。後は飛行機に乗れば帰れるのだから、ここまできたら我慢することは無いわと、ちゃんとそれ食べちゃいました。

 数々のカレーを食べたけど、お豆のカレーが一番おいしく食べやすかったみたいです。

 ちょうど小豆みたいでしたよ。

 同席した添乗員に「これ私の飲み代に補填して」と使いきれないルピーを差し出してようやくやれやれとしました。

 こんなに使い出のあったお金初めてです。

 空港には3時間前に入るようにとなっているのです、これはボディチェツクと荷物検査が厳しいからです。

 これはお互いの安全のためだから仕方ありません。

 なんでこんなに無愛想なの、少しはにっこりしてと出国検査時に笑顔で挨拶したら、口元でかすかに微笑み返してくれましたが、これってあやしいと思われたでしょうか。

 それからの3時間の長かったこと。

 免税店も本当に小さくて、よっぽど売れないのでしょうか、ピンクのサイフに小ヒビが入ってたりしました。

 ビールでも飲んで時間をつぶそうかと思えば、この国はアルコールを置いてないのです。

 コーヒーはめちゃめちゃ甘く、コーラに救われました。
 
 1ドル出したら、20ルピーがまた手元に。

 どうもご縁があって。

 結局残ったコインと一緒に機内でユニセフの袋に入れたのですが、ありがとうございますとお礼を言われる方が恥ずかしい。

 待合室で1人の青年に声をかけられました。

 1人旅の道中日本人に出会わなくて心細かったとのこと。

 ポピュラーな所を歩いていた私達もそんなに多くの日本人には会いませんでしたから、少し田舎を回ればそうなのかもしれませんね。             
  依田 美恵子
                             

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台風のあと

2019年10月16日 | 日々のこと
昨日帰ってきました。Wihiのいい環境でなかったので、スマホをいじり過ぎたらつながらない状態になり、悶々とした日々を過ごしていました。

 この台風です。出発前から嫌な進路予想でしたが、祈るような気持ちでした。

 それでも途中消防団員の息子が一番情報を持っていそうなので連絡を付けました。

 市内の様子に、我が家と畑の様子も。

 古い車庫の屋根が隣の田んぼに飛んでいました。

 畑の小屋の屋根はなんとか無事で一安心。畑の廻りに住宅がたくさん建ってきたからです。

 台風15号の後、夫とその話をしたばかりです。

 だから傷んだとこがないかをチェックはしたはずですが、台風の強さしだいではどうにもなりません。

 近くでは小さい土砂崩れが発生したり、倒木があったようですが、停電もわずかな時間で復旧したようです。

 留守番のちーちゃんとちーちゃんパパが「冷凍庫どうしょう」と一瞬考えたそうな。

 冷凍庫は私の命なもんで(笑)

 市内では亡くなられた方も家を流された方もおられました。

 地形的に水が出ると言われている地域かもしれません。お気の毒です。

 停電も2日以上続いた地域もあったとのことですが、帰ったばかりで情報不足です。

 成田から東京まで成田エキスプレスも遅れました。東京駅近くであちこち電車が渋滞していたようです。

 そして北陸新幹線は長野停まりで、1時間に1本程度でグリーン車1両を除いて、全部自由席でした。

 1時間並んで帰ってこれました。

 帰ってきたら植木屋さんが入ってくれていました。

 本当にバタバタと留守の間の諸問題を済ませつつ、あちこちからいただいた心配電話やメールの返事をしつつ、フルコースのお茶の準備です。

 そして松の葉の片付けを簡単にすべくブルーシートを木の下に敷きました。これを片付けるのは私の担当なので。

 この際だから裏庭の草とりの残り分をと鎌を持ち出してみたものの・・・・・これを本日やっていたら私倒れるわと、やめました(笑)

 山ほどのお洗濯は夫の担当です。私は手洗いの洋服に靴2足を洗いました。埃の多いというか、土の上を歩いてたので思いのほか汚れていました。

 スーッケースの中身を出して、風通しまで。まだきれいにするまでには手が回りません。

 留守にするとやることがいっぱい。庭のイチジクを収穫したり、お花を活けたり・・・・・。

 一番は料理を作ること。冷蔵庫にあったタッパーの中身を全部捨てて新しい料理にします。

 でも畑からはまだ届きませんので、まず冷凍庫のもので。

 そして夕方・・・届きましたが・・・・本当は力尽きているので見なかったことにしたかったのですが・・・・頑張りました。

 たっぷりとお出汁を取り大鍋いっぱいのおでんも。久しぶりのお味噌汁も。

 夕食後1週間分の新聞を斜めに読んで、我が家のお風呂が一番と言いつつ・・・・バタンキューしたのでした。

 それではまた。

                         依田 美恵子
                             

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2008年11月に見たインド・・・・⑧

2019年10月15日 | 
2008.11.18のブログの転用です。

 デリーの町の渋滞を抜け、国道1号線・・・カシミールまで通じている・・・を走ります。

 今3つの工業地帯をつなぐ高速道路が建設されていて、デリーに入らなくても工業地帯に入れるようになるのだといいます。

 どちらにしてもデリーの渋滞はすざましく、道路の信号を無くして渋滞対策をしているようですが、車の増加には焼け石に水のようです。

 信号を無くしていると聞いた時は、目が点になりました。

 とても私たちには道路を渡れません。

 デリー市内では交差点の代わりにロータリーで対処しているところもありました。

 収穫されたお米を運んでいるトラックが目に付きました、インドで1番のお米の工場があると聞きました。

 そこらしき所で野積されてシートをかけただけの麻袋の山を見た時、乾期だからいいのかなー、なんて思ったりしたのですが、心配してしまいました。

 工場地帯に近づきましたが、周囲はまだ農地です。

 それぞれの工場が有刺鉄線や高い塀で囲まれ、入口には銃を持ったガードマンも見えます。

 この国も銃の所持は認められているのだそうです。

 ここで研修です。

 最初オフィスで説明を受けます、もちろん英語で・・・大丈夫です、この企業とパートナーを組んでいる日本の企業の29歳の青年が通訳してくれましたから。

 私がその内容をどこまで公表していいのか。

 だから差し障りのない範囲で。
 
 インドとデンマークと中国とフランスそして日本それぞれの会社が集約してボリューム効果を出すための会社。

 そのための工場が完成間近でした。

 作っている製品がアジアで一番、世界でも有数の生産ができる工場とは、10000坪の建坪でした。

 建物はランニングコストを減らすために、陽の光を取り込み、通風にも考慮されていました。

 2階建てと言われたが、1階部分が敢えて地下になっていて、そこは倉庫となっていました。

 倉庫も棚が一面につくられていました、この後最新式の搬送装置がつくのでしょう。

 地下利用は1階の陽の光と通風を考慮の結果なのでしょう。

 地下の水は大丈夫なのでしょうか?って思わず聞いてしまいました。

 日本のパートナー会社の社長さんもそれが気になったといいますが、周囲に水はけの設備をしているそうです。

 10000坪の工場で一部稼動が始まっていました。

 機械は中国製だったり、デンマーク製だったりします。

 中国製なら日本の5分の1の価格だそうです。
 
 日本の中古品をもってきてという中国の工場を見たことがある私の感覚からすると、世の中が大きく変ってきていることを十分に感じさせたのでした。。

 お客様(主にアメリカの)の要望を反映できる設計を含めたチームがあり、安い生産設備とデンマークの国からサポートで高い品質を保持できるのだといいます。
 
 来春にはこの工場に1500人からの人が働くそうです。
 
 オフィスで説明を受けている時に停電になりました。

 この国のインフラはまだまだです。

 工場には5000KWの能力がある自家発電の装置が備えられていました。

 日本の会社は生産委託という形で参加しています。

 それって世界中に販売することですよね。

 下請は価格の値下げの要望にこたえ続けなければならないけれど、世界の中でシェアを占めれば、自分で価格が決められるということだそうです。

 なんとすばらしいことでしょう。日本の会社の社長の英語の会話を聞きながら、まずそこから違うのよね、と思った次第です。

 うーんやっぱり孫には算数と英語か、と思ったりもしたのでした。
                              依田 美恵子
                             

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2008年11月に見たインド・・・・⑦

2019年10月14日 | 
2008.11.17のブログの転用です。

 日程表の夕食にホテルレストランでビュッフェと続いていました。確か・・・・食べ放題方式なのかと想像はしたけど、やっぱりそうでした。

 5つ星レストランの宿泊でも、食事はこんな方式かなと思ったのでしたが。

 水がダメで、氷がダメで、さらに生野菜にカットした果物も、いやいやチーズもとなると、食べれるものはナンにカレーのパターンです。

 牛肉がなくて豚肉がないとなると、メインディツシュは鳥肉となります。

 こうなるとフルコースでもビュッフェスタイルだろうと関係ありません。

 食べれるものを選べるだけ良しというところです。。

 どちらにしても外食産業は盛んではないようで、女性の進出についてガイド氏に尋ねたところ、女性が家にいなかったら、誰が子供を育てるのですかと、正統論を言われてしまいました。

 女性は当然家にいて食事を作るものですから、みんな仕事が終わればまっすぐ帰宅するのだそうです。

 もっともお酒を飲まないお国柄でもありますから。

 ガイド氏はベジタリアンだそうです。

 もちろんお酒は飲みません。

 日本の観光客の中にはお酒を無理強いする人もいるそうですが、その時は真似だけするといいます。

 そして15年来毎週火曜日は断食をするという。・・・・えらいというか・・・すごいというか、わが身の飽食を恥じてしまいました。

 インドではベジタリアンが6割もいるといいます。

 太陽のエネルギーを直接取り込むからいいのだといいます。

 考えてみれば肉1kを生産するのに、何十Kの穀物が餌として必要です。

 魚の養殖だってしかりです。

 日本人もベジタリアンが増えれば、食糧問題も自給率も変わってくるだろうかと、あり得ないことを考えてしまったのでした。


 近未来世界中で食糧不足になれば、必然かもしれないけど、ベジタリアンはこの国の食糧問題の救い主であることに間違いありません。

 昼食は街のレストランでした。

 インド風に右手を使って食べようかなと思っていたけど、おしぼりもないし、手を洗うにも不自由で・・・・試せませんでした。
 
 どちらにしても、チキンフライがメインで・・・・実を言うとチキンは好きではなく、普段なら絶対手はださないんだけど・・・毎日これだから。

 郷に入らばというか食べ物は現地主義なので、何でも挑戦がモットーで頂きました。


 さすがに3日目当りからは、カレーの顔も見たくないって言う男性もいましたが、毎回いろんな種類があってけっこう美味しかったですよ。

 これ観光客向けにはできているのでしょうね。

 辛さのせいでついついナンを食べすぎ、しっかり太って帰ってきました。

 最後の夜は日本食でした。ズーッと生ものを絶ってきたのに、お刺身です。

 ここまで来ればイチカバチかです。添乗員さんのお話によると、この位の人数(20人弱)ですと4~5人はお腹をこわすそうですが、今回は誰一人こわさなかったとか。

 一同、皆さんにご迷惑がかかればいけないとそれはそれは自重した食事を続けましたから。五つ星ホテルでも、ここまで我慢するかと思うくらいに。
 
 ガイド氏の人柄があまりにすばらしかったので育ち方をお聞きしました。

 彼によると彼のご両親はもっとピュアだそうです。


 このガイド氏は現地で仕事をしている方のお墨付きのご紹介でした。

                        依田 美恵子
                             

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2008年11月に見たインド・・・・・⑥

2019年10月13日 | 
2008-11.13のブログの転用です。

 色とりどりのサリー姿に目を奪われます。きれいな色が多く、下にぴったりとしたТシャツ風の物を着ているのですが、その色合わせも着こなしのうちかもしれません。

 シャツにパンツにショールを巻く人も多いので、ガイド氏に2通りあるのですかと尋ねたら、あれはサリーとは言いませんと、そっけない返事でした。

 
 サリーは結婚した人が着るものだそうですが、最近は着るのが難しいので着ない人が増えているといいます。

 5~6mの1枚の布で襞を作って巻きつけるという一見単純なもののように見えるのですが、それだからこそそこには熟練が必要なのでしょう。

 みやげ物屋で2時間でサリーを仕立ててくれるといいます。

 そこでサリーの布を選んでいた日本人が同宿でしたる。

 夕食前のラジャスタン民族舞踊ショーに飛び入りで参加したのが、その仕立て上がったサリーを身にまとった若い女性2人でしたが、どうしても借り着という印象がぬぐえませんでした。・・・・やはり着こなしが難しい物なのだと納得しました。

 サリーの背中の部分は肌が見えます。

 堂々とした婦人のたっぷりしたお肉を見ると、私が着てもああなのね、とついつい目がいってしまうのです。

 もっともこの国ご婦人の太っているのは、夫の甲斐性だそうですから。・・・・私も生まれる場所を間違えたかななんて。

 11月の日中は30度だが、湿度がないから日陰は過ごしやすいです。

 雲ひとつない青空ですが、朝は靄におおわれています。

 これはスモッグかと思いましたら、ガイド氏は靄といいます。朝方は涼しく、ホテルも毛布を追加したいくらいです。

 明け方は寒くて空調の数字をあげても暖房にはならなかったと同行者が言いました。

 こんな快適な季節のせいなのでしょうか、帽子をかぶっている人にお目にかかりません。

 そういう習慣がないから日焼けして黒いのかしらと想像してしまいました。

 乾期のこの時期、埃っぽいの一言です。喉が弱い人はマスクが必需品です。

 走っている緑と黄色のオートリキシヤもバスも・・・・洗いたい!!・・・と思わせます。

 そのオートリキシャは日本の人力車が語源だそうですが、オート三輪車で定員は2人という雰囲気なのですが、大概あふれるほど人が乗っていて、5人はザラ・・・どうして乗れるの・・・後ろにはみ出ているよ状態です。

 もっともバスでさえ取っ手につかまって乗っていますから。

 思い出しましたよ、昔の日本、やっぱりこんなだったでしたね。
                       
                        依田 美恵子
                             

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2008年11月に見たインド・・・・⑤

2019年10月12日 | 
2008.11.11のブログの転用です。

 今回の研修のひとつ。
 
 カリヨン銀行はフランスに本拠を置くユーロ最大の銀行グループの投資銀行部門です。
 
 日本の農林中金みたいなものと説明がありました。

 説明をしてくださった山田氏はジャパンデスクの代表でこの4月から現職とのこと。

 もう一人の山口さんはインド最大のアーンストアンドヤング会計事務所に勤務し、インド進出のコンサルティングをなさっているとのことです。

 2000年に駐在員としてきて、インドにほれ込んでこの地に残るためにこの職に移ったのだそうです。

 インドに惚れたって何に?・・・・そこがとっても気になりました・・・それは私だけではなかったらしく質問に出ました。
 
 伸びている国で、勢いのいい仕事がしたかった、がご返事でした。うーん私としては違った答かなって思ったりしていたのでした。

 もっとも彼は「それまでがそうでない仕事ばかりが多かったから」とも付け加えましたけど。

 インドの概要を聞きます。

 日本の8.8倍、中国の3分の1の国土。中国に続いて2位の人口、11億人は2001年の数字ですから、今はもっと多いでしょう。

 人口の50%は25歳以下、2035年には中国を抜くだろう予測です。

 街を歩いても幼児の姿が見につきます、若い人の多いというのが納得できます。

  宗教はヒンドゥー教81.4% イスラム教12.4% キリスト教2.3% シーク教1.9%仏教0.8% ジャイナ教0.4%・・・2001年国勢調査より。

 アンベールで ジャイナ教のお坊さんを見かけました、まったくの裸です。

 ガイド氏が写真を撮らないでとあわてて制止しました。

 衣服を身につけず、はだしで乗り物に乗らないのだそうです。

 公用語はヒンディー語で40%、使用言語30以上方言を加えると2000前後。

 準公用語が英語で3000万人が話すそうです。

 リスクの高い国ではなく、比較的ルールはしっかりしているそうです。

 複数政党が選挙で交代していて、議会も活発。独立した司法・報道の自由・宗教の自由もあり、世界最大の民主主義国家だとのことです。

 中国・インドは競い合って成長を続けてきていますが、インドの特徴はサービス産業の伸び、特にIТ産業が活発ということです。

 どうして経済が発達したかといえば、現首相のシン氏が財務大臣の1999年以降にとった規制緩和がその要因で、ライセンス制度の撤廃、そして民間企業の成長による市場型経済への移行だそうです。
 
 テレコムの加入者数が過去4年で3倍、なんと2008年にて3億人を突破・・・・なんたって人口が人口で、大きな市場は魅力的です。

  保険も2007年にてGDPでのシェアが2.6%へ成長(生保1.96%、非生保0.67%)金額で言えば1.7兆円、4年で5倍

 すばらしい市場です。

 ここに外国が直接投資をするとなると、自動認可のケースと事前認可の承認が必要なケースがあるのです。

 自由化の進展により、多くの分野で自動認可ルートでの外国企業による100%出資が可能のようですが、小売業のような国内の零細企業を保護するものには制限があるようです。

 それでも空港の再開発・通信・原子力関連などは74%まで、防衛産業・保険・放送などは26%までと出資と制限があります。

 最近日本でも空港関係に外資うんぬんがありましたので、特に良く聞いてしまいました。

 外資の導入もすごいですが、サービスの輸出としては、世界の優良企業500社のうちの80%がインドヘアウトソーイングを実施、125社が研究開発センターをインドに保有。これこそインドの人件費の安さと優秀な知能の証明です

 ソフトウェアの輸出金額は過去10年で15倍になったそうです

 また製造業の調達拠点としての基盤が出来つつあります。

 最近ジェネリック薬品って言葉を良く耳にしますが、こちらも盛んです。

 そうです医療も最先端をいっていますよね。

 わざわざこの国に来て手術をする人がいると聞きますからね。

 日本円で25万から30万円のタタの国産車が日本でも話題になりましたが、11月中にはというような話もあるようですが、自動車関連業界の方たちはちょっと疑問視もしていました。

 ここからが一番の問題なのですが、この国に工場を作ろうとした場合です。作ったとしても、その後の税の問題は避けて通れません。

 この当りはとても複雑で私の手におえません。これを説明をしてくださった山口さんの分野のようです。

 面白いのは関税の中に教育税なるものがあって・・・・まことにインド的だと思いました。

  なぜって、道路の両端に連綿と続くゴミが、最初とても気になったのです。

 それが、掃き集めるけれど片付けないから、また広がってというふうに見えたのです。

 ガイド氏が言うには、教育の問題なのだそうです。・・・・腑に落ちるようでいてなにか????でした。

 ゴミの問題はまた後で触れることがあるかもしれません。 

 渾然としているのですが、ズッとその景色を見ていると、これはこれでバランスがとれているのだと不思議に納得してしまったのでした。
                       
 依田 美恵子
                             

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2008年11月に見たインド・・・・④

2019年10月11日 | 
2008.11.10のブログの転用です。

 IТ産業は世界1とガイド氏も言いました。

 その部分をかいまでも見たいと私は思っていたました。
 
 長いバスの道中何か質問はありませんかと、私の横に席を移したガイド氏に、世界1のIT産業を見てみたいと言いました。

 インドが発展していくには、雇用の拡大が必要なのでしょうね、と付け加えもしました。

 しかし彼は、良いように見えるが、そこには農地を失った農民がいること語ったのでした。

 森が無くなって、鳥もいなくなって、そう鷹も見なくなってしまったと、彼が悲しそうな目をしたのを見て、私は口をつぐみました。
 
 貧富の差を見れば雇用の拡大しかないと単純に思っていた私には衝撃な言葉でした。

 だが、ジャイプールからデリーに近づいたあたりで、私が見た物は工場地帯でした。

 デリー市内は工場を作れないし、移転もしています。しばらく前の土地の買収で問題があったタタの自動車工場の話はきいたことがありました。

 今は政府が土地を買い上げて工場団地をつくっているといいます。

 デリーから2時間走った当たりの道の両側にズッーと続く杭を打たれた農地を見ていると、私の想像以上の規模でそれが進んでいると思われました。

 ガイド氏が土地を手放した農民の行く末と食料問題に触れたことが、杞憂でないことが分かったのでした。

 インドは若い人が圧倒的に多い国です。

 25歳以下が50%だといいます、幼児が目立つのもそのせいでしょう。

 世界の工場としての魅力は十分です。
 
 デリーまで1時間位のところに来ると辺りには工場が次々現れ、高層のマンション群も出現しました。

 ショッピングモールもあり、それまで見てきたインドの別の顔が現れてきました。

 造成・工場の建築・マンションの建築・道路の拡張で大きな重機が目立ってきました。

 トラックの列が続いていますが、それがデリーに入るとトラックが消えました。

 時間制限をしているようですが、これらのトラックは、デリー周辺の資材の搬入のためなのでしよう。
 
 道路は片側4車線、信号も少なくしているといいますが、急激な車の増加がインドルールとも言える運転をうみだしているのでしょう。

 もっともキズを持つ車も多いし、故障の車も多い・・・・自分で修理している車を車窓から良く見かけました。

 空港も新しい滑走路を作っていました。世界で2番目と言っていましたが、何が2番目なのでしょうか、記憶に残っていません。

 今デリーは2010年にかつてイギリスの植民地であった地域の大会が開催されるのだそうで、それに向けて道路や地下鉄の工事が急ピッチで進められていました。

 マンションブームが起きている。

 農地がつぶれると・・・と言っていたガイド氏が、マンションを3つ持っていると聞きだしたのは同行者の一人でした。

 その言葉と行動のミスマッチに???と思ったのでしたが、いよいよ観光を終えて4日目、カリヨン銀行さんの研修時、質問の中でマンションの話が出ました。

 日本から2000年に赴任した時、200万円位だったものが今は10倍ですとのことに、ガイド氏の来年は倍になりますと語るのもうなづずけたのでした。
 
 しかし上がった物が下がる経験をした私達には、バブルにも見えない訳ではありません。

 一抹の不安を感じさせます。

 今現実に起きているサブプライムローン問題もこの国だけを避けて通ることはありえません。

 シン首相さえ「遅かれ早かれ」と談話していますもの。
 
 最後の日昼食の席がガイド氏と一緒でした。

 「マンションの値崩れがあるのでは」と水をむけたら、「かといってお金をどこへ向けたらいいのでしょう」と逆質問されてしまいました。

 「えー」と思ったけれど、そう言われても、タンス預金という訳にはいかないお国の経済事情もあるでしょうから。

 この国、実質経済成長率もここ暫くは9%、インフレ率は12%にも及びます。銀行の貸出金利の高さも半端ではないから、この国で事業をするということは、自己資本で無い限り10%は金利のために働かなければならないことだなと納得してしまいます。
 
 それにしても、稼げる人は稼げる国なのだと、物乞いの多さにへきえきとしながらも感心したのでした。

 物乞いは無視するが一番です、言葉を発するとしつこく付きまとい、お金を渡すとどっと寄って来ますと教えてもらいます。でも無視することは、見ることの裏返しですから、何でも見てやろうとする身にとってはこれもまた不自由なことなのです

 レストランを出たところで、小学生も低学年位の子ににっこりと笑いかけられ、つられてにっこりした途端、でんぐりがえしが始まってしまいました。

 それも一人ではありません。「あーしまった」と思ってももう遅いのです。チップを渡しましたが、同行者みんなも手を出されて・・・・。後で現地に詳しい人から「あれは危ないですよ」と忠告を受けたのでした。

 たった1週間の滞在でしたが、物乞いの姿を数多く目にしました。

 その姿に心が痛みます。

 お誕生を過ぎたばかりと思われる幼子が、母親とそっくりの物乞いのしぐさを車窓越し見た時はさすがに身につまされました。
 
 到着した日、一般的なカースト制度の説明を受けましたが、この制度は私達にはとうてい理解できないもののようです。

 目の前に見える物とこの因果関係はわかりません。同行の誰もが、旅の間この制度については触れ得ませんでした。

 観光シーズンを迎えると、物乞いの数が増えるといいます。

 大使館に勤める女性は、この国に暮す人と思われてターゲットにはされないそうです。
 
 路上生活者も多く、夕刻歩道で煮炊きしている姿をしばし目にします。

 牛が悠然と歩く姿や、馬車にらくだに象そして猿にと目にする動物には事欠きません。

 カラスに餌をくれているのを見て・・・・本当に不思議な国だ、それがまたこの国の魅力なのだろうと思いました。
                                依田 美恵子
                             

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2008年11月に見たインド・・・・③

2019年10月10日 | 
2008.11.8のブログの転用です。

 宿泊2日目はアグラの美しいリゾートホテルです。

 レイとウエルカムドリンク、そして額に赤い印をつけてもらってチェツクインです。

 3時間半の時差にもまだ馴染めず9時半には就寝、もっとも日本時間だと夜中の1時です。

 モーニングコールの電話が鳴り、夫のサンキューと受け取る声を聞きながら、朦朧とした頭で、1度も目覚めないほど熟睡した割には、まだ眠いと思いつつ起床したのでした。

 そこにチャイムがなります「そんなに寝過ごしたのかしら?」と思いきや、パスポートとビザナンバーを問うボーイの声がします。

「これって何事????」。時計をみればまだ11時15分です。

 寝入りばなの熟睡中ではありませんか、でも何でパスポートにビザなのでしょう。

 片身はなさずのパスポートを簡単に渡せるはずはありません。

 こんな時こそ添乗員と思ってフロントを通して内線で呼んでもらうのですが、出てはくれません。

 そりゃあそうですよね、夜中の電話なんていいことありませんもの。

 仕方ない、ボーイの名前を確認してから、両手でしっかりとパスポートを握ったままナンバーを確認させます。

 おまけにハズバンドのもとのたまうのでした。

 これって今頃全員に確認なのでしょうか。

 どう考えても腑に落ちません。

 フロントに電話して、日本語が話せるかと問えば、英語ならと答えます。

 ストックの少ない言葉を動員して文句をつけたけど、とってもそれだけでは気がすまなかったので、日本語でもしっかり付け加えて溜飲を下げました。

 モーニングコールと思ったけど、その電話だったのですね。

 しばらくしてフロントからチェツクができましたと電話があったけど、いったん覚めた眠気が突然に訪れる訳がなく・・・・貴重なる入眠剤のお世話になったのでした。

 翌朝添乗員に聞けば、私達の電話をモーニングコールだと思ったと言うけれど、どう考えても時間帯が悪いわね。

 チェツクインの時のナンバーの数字が読み取れなかったのが原因とか。・・・・人騒がせな一幕でした。
                             依田 美恵子
                             

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2008年11月に見たインド・・・・②

2019年10月09日 | 
2008.11.7のブログの転用です。

 上空から見たパングラデッシュの緑は濃く、河なのか海なのかとみまがう大地を眺めながら、しばらく前、大雨になると災害になると言っていたバングラデッシュの留学生の言葉を思い出したのでした。

 インドの上空に差し掛かった辺りから、視界が利かなくなりました。これってやっぱり雲ではなくスモックなのでしょうか。

 9時間半の空の旅でようやくデリーに到着、トイレでさっそくチップの洗礼を受けます。

 チップと馴染のない世界で生きている私達はどうしてもスマートにそれをこなせないのです。

 ガイドのラジス・タンノーさん(これ正確でないかも)の開口一番の「インドは先進国」です、の言葉に「ガーン」とします。

 あーあ私の認識ときたらと内心恥じたのでした。月への探査機のニュースだって見たばかりではないかとしっかり反省です。

 ガイド氏からインドをレクチャーされます。「萬のものに神がある」の言葉で、それがこの国の根底にあるのだと勝手に解釈します。

 2日目デリーからバスに揺られて5時間、200キロの移動です。

 車窓から「生のインド」を垣間見ます。知らなかったなー。みんなターバンまいていると思ったのに。

 ターバンを巻いているのは全人口の2%を占めるシーク教の人なのですって。

 あれって単に被り物ではなく、生まれてから一度も切らない髪の毛を巻き込んでいるものなのですって。

 偶然オートバイが転倒する事故を目撃した時、ターバンが外れて60㎝もあるかと思われる長い髪の束を見て・・・・まったく一見は百聞に値いしました。

 目玉の「タージ・マハル」すごい人出でした。

 写真の無人のイメージがしっかり目に焼きついていて・・・・なんかしっくりしません。中に入るには長蛇の列です。

 先に並んでいた同行者が手招きしてくれたけど、その手招きに周囲のインド人の目が一斉に非難の目を浮かべたのでした。

 「とてもとてもと入れないわよ」。その時です、列の横に立っていた私の目前のインド人の同行者がそっと入ろうとしたました。

 その父親らしきインド人がきっぱりと「ラインの後ろへ」と指差したのでした。

 「ライン」という英語は私達に聞かせる意図があったことに相違ありません。

 そうインド人ってそういうところがあるのかもと、たった1日一緒にいたガイド氏のインド人気質に触れたあとでしたので、大いに納得と安心を得たのでした。

 美しいサリーに目が奪われます。

 ダージ・マハルで何をよく見たかと言えば、このサリーと足元でした。

 きれいにマニキュアされた足には指輪も足環もあったのですから。

 この国にある貧富の差がちょっと理解できました。

 タージ・マハルの内部まで行き着いた人は運良く(?)タージ・マハルの有料ガイドに摑まった人だけでした。

 日本人は鴨でしょうけれど、あの列をクリアーするには、それはそれなりの道があるのでしょう。

 敷地内の迎賓館には人がほとんどいませんでした。

 私達もさっそくそこで鴨です。写真を撮る穴場を次々と案内してくれます。

 ちゃんと日の位置も考慮してですから、一人1ドルの価値は十分ありました。
 
 タージ・マハルの内部に、最初からそんなに執着していなかった私は、後はガイドブックと写真でと納得しましたが、楽しみにして来た人はショツクだったでしょうね。

 やっぱり休日は避けるか、たっぷり時間を取るほうがいいですね。

                                     依田 美恵子
                             

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2008年11月に見たインド・・・・①

2019年10月08日 | 
 今回インドに旅に出るにあたって、当時のブログを読み返してみました。

 観光旅行でなくて・・・・もちろん観光もありましたが、佐久の経営者の皆さんとご一緒の研修旅行でした。

 だから観光旅行では見聞きできない生のインドにより触れえたと思います。

 今回でかけている間に2008年のブログを少し編集してアップすることにしました。

 11年たってどのように変化しているのか、今ワクワクとしています。

 でも今回は観光ですから、どの程度見聞きできるかですが。

 もし興味がありましたらお読みいただければ幸いです

 2008.11.6
インドから帰ってきました。32時間ベットに入っていない計算です。
 飛行機もジャンボで120人でしたから、伸び伸びとしてきたのですが、いかんせん眠れずまだ少々ポーッとしています。

 ガンジス川のほとりに佇まないと分った時から、観光よりも今のインドを見たいというバージョンになりました。

 過去の遺跡にしても、教科書で学んだ以上の歴史認識がない私では、観光ブックを読んでもちっとも頭に入っていませんでした。

 第一印象は先入観と同じ貧富の差でした。

 1週間の旅の終え、これはこの国の中でそれなりにバランスがとれているのだという理不尽ではあるけれども、そんな感覚を得ました。

 インドを中心とした地図を見ながら、私の目線も日本を中心として物事を見ていないことを知るのでした。

 「なぜ、日本はインドにこないのでしょうか?」とガイドに問われつつも、労働力としてのパートナーうんぬんを言えば、ただ近くの国へ行っていたということでしょうか。

依田 美恵子
                             

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