昨日で母校の同窓会の作品展が終了。
パネルの片付けは、在校生が手伝ってくれました。
開会中も30分交代で受付に来てくれて大助かりでした。
昨日会場に行ったら同窓生誰もいませんでした。
そうなると・・・・・離れられません。
1時にお昼を求めて生徒たちのお店に行ったら長蛇の列です。
諦めて、構内を出てコンビニで調達しました。
結局、演劇も見ることできなくて。
ごご2時頃から皆さんお見えになり、3時には閉会式をして撤収。
100周年の記念事業が終わったら今後のこと考えるでしょうね。
思うこといっぱいだけど、もう若い世代に考えてもらわないとね。
私の時代は女生徒は極端に少なかったから、力仕事なんてしなくてもよかったのね。
それが40代過ぎて同窓会の作品展のお手伝いに行ったら、2階に大量のパネルを持ち上げる作業が続いて、ここでツケを払わされたと思ったもの(笑)
しかし昨今の我が母校ほぼ男女同数。
片付けの作業見ていても、女子だってどんどんね(笑)
私笑ってしまったわ、この女子大人になっても、男子と同じ作業をなんの抵抗もなくやり通すだろうなと。
こういう時代になったのよね、男女平等の基礎かもしれない。
性差でできないことはあるけれどね。
今朝の信濃毎日新聞の社説に「災害復興と女性」が取り上げられていた。
「男性と対等の参画 徹底を」と
能登半島地震が起きてから、女性たちはどんな経験をしたのかの市民団体の調査から。
長くなってしまうので、かってに割愛してしまうけど。
避難所運営も、炊き出しなどは主に女性が長時間、無償で担っていた。家族や親族のケアのために職を失う女性もいた。民生委員として区長の会議にいくが、みんな男で、女性はでしゃばるなという雰囲気がある。
避難所では女性は高齢者たちから「地域の嫁」として用事を言いつけられる。
若い世代は耐えられない・・・・・という声があった。
(最近の若い人たちは、私が母校で見た姿そのまんまなのね、それを高齢者世代が理解していないから、若い人たちが生きづらいと考えて、地域から流出していくのだね)
これらの課題は、普段の地域の社会と地続きだ。住民組織の長は男性が圧倒的多数で、女性が発言しにくい、家事や育児、介護など家庭のケア労働が女性に著しく偏り、それを「当たり前」とする意識がある。
(なんとなく納得するのは、私たち70歳世代でも、そういうものだという意識の中で生きてきてしまったから、確かに何かの長になるのは負担だから、夫の陰にいたほうが楽だったのね)
この意識が無くなるのは、残念だけどあと何年かかかるだろうな。
これは先週の信毎柳壇に載った
「お互いに口に出さずに杖となり」 佐久市の小林喜久男さんの句
老夫婦の日常がほのぼのと浮かぶ。
夫婦どちらかに負担がかからないように、そっと手を出しあう。
この気持ちが求められるのではないか。
読みいただきありがとうございました。
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きっと、長年、支えあってこられたご夫婦ならば・・
この言葉がぴったりなんでしょうね
理想です^^
思うのです。
根底にあるのは思いやりです。
相手が負担が多い時は、そっと手を出す。
これが一方的に無理がかからないため。
この気遣いが無いと一緒に暮らせないのだとこの頃そう思うようになりました。