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募っています。
関心のある方はお名前と携帯電話番号を
nagaikenji20070927@mail.goo.ne.jpにメール下さい。
ミャンマーから極秘に翻訳文が送られました。
以下の文章は「NEW LIGHT OF MYANMAR」という
ミャンマー国内で歴史がある新聞が07年10月15日に載せた
社説の翻訳です。
歴史のある新聞といっても軍政の支配下では
事実が伝えられている可能性はほとんどない新聞だそうですが。
内容は、はっきりいって許せないものですし、
うそに満ち溢れていることは間違いありません。
以前にもhttp://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/40ccf3e3cd06e6c7024ab2a112b82eef書きましたが、
ミャンマー国内でミャンマー政府がどういう嘘を
流通させているのか参考になるので掲載します。
この社説の問題点は
以前書いたこのブログの過去記事(上にリンクしているもの)と
ほぼ同じ問題点と思いますので、
リンクしている過去ブログ記事もご覧下さい。
検閲当然の専制国家で事実が伝えられないことは
常識なのですが、とても悲しいことでもあります。
=========================================
「友好的なつながりを害そうとする企て」
先月来、日本の写真家ナガイケンジが、国家安定のために出
動した治安部隊により偶然殺されたことは周知のとおりである
。実に悲しむべき出来事であった。この日本人の死後、日本の
外相代理とその一行がやって来て、わが国の当該大臣らと面会
し、報道機関向けの発表が行われた。官僚らはこの事故に対し
、わが国の弔意を示し、納得いく説明を行った。善良なミャン
マー人はこの外国人に対し、同情と哀悼の意を示すものである
。
これは、単なる事故または不幸な事件であった。真実は至っ
て単純だ。しかしながら、外国の放送局は歪めた告発を報じて
いる。これは実に遺憾なことである。その報道によると、日本
の写真家ナガイケンジ(50)は、ヤンゴン市内のデモ隊の人
々を取材中、手持ちカメラでデモ場面を撮影しようとして、兵
士により、至近距離から撃たれて倒れたという。さらにこの報
道は、「ミャンマー政府は日本人が記者であると知っていたた
め故意に撃ったとする説に否定的な発表を行った」とつけくわ
えた。放送局は、日本人の故人を救済するために、ミャンマー
軍事政権を告発するとしている。
ミャンマーにおける暴動についての取材を試みた日本人に対
してあたかも英雄であるかのような印象付けが行われているが
、私はこの行為がそれほど偉大なことであるとは考えない。ミ
ャンマーに関し、外国の放送局は理由の如何を問わず、服役者
や志望した受刑者を英雄視してきた。このやり方は世界の人々
を誤らせるものである。彼らにとって、いつもどおりのやり口
だが、放送局は日本人記者の死は”偽りの祝福”だとする。な
ぜなら彼の死後、日本の人々はミャンマーの出来事について関
心を抱いているからだと付け加えている。APFニュース通信社
は、これはミャンマーの民主主義の道筋にとって大きな益にな
るものだと言ったが、APFは遺体が埋葬される前にこの出来事
を利用したに過ぎない。外国メディアによる捏造が我が国にた
いする復讐を狙ったものであることは明らかだ。
この事件について説明しよう。間違いが放置されているとい
つかそれが正しいものとして考えられるかも知れぬ。それ故、
間違いを正すのだ。我々は沈黙し続けるほど世間知らずではな
い。
2007年9月25日、日本のAPFの記者ナガイは、ヤンゴ
ンに観光ビザ(以下番号記入あり 以下括弧訳者注)をもって
到着した。実際、記者であればジャーナリストビザで入国すべ
きである。彼の計画が誠実なものであったかどうかは、言うま
でもなかろう。この国への到着の時期を考えると、彼は反政府
に人々と接触を持ったかも知れないが、我々は何も言っていな
い(原文ママ翻訳 意味不明)。観光ビザで入国した者はジャ
ーナリストとして行動すべきではない。もし彼が正しくふるま
ったのであれば、かかる悲劇は起きなかった。しかし彼は観光
ビザで来て不正直にもジャーナリストのように行動した。もし
彼がジャーナリストとしての仕事を望むのであれば、関係省庁
の許可のもとに正式に来るべきであった。そのようにしていれ
ば、悲しい事件はおきなかったし、必要な助力も政府によって
行われたかと思われる。
ナガイ氏はヤンゴン33番街のホテルに宿をとり、デモ行進
と治安措置についての取材を試みた。そのころ、ヤンゴンの1
44地域では、内外の破壊的な扇動によって集まったデモ行進
の群集を解散させるため、法に則った必要な措置が行われてい
た。それ故、状況は極めて危険であった。どんな記者であれ、
邪悪な呪文にでも操られでもしない限りそんな時に行きはしな
い。普通の記者なら安全な場所からニュースを集めようとした
だろう。
この日本の特派員は群衆の中にいた。彼がそこにいた理由、
そして群集と彼との繋がりについて"It is food for thought"
(という文あり。foodはgoodの誤植かと思われる)。群集
を解散させるにあたっての手続きについてはミャンマーと他国
の間に違いがある。治安当局はこの件について最大限の忍耐を
発揮した。そしてほかに方法がなくなった時にのみ、群集を追
い払ったのだ。はじめは当局は三列に並び、デモ隊に対し前進
しないように説得した。集団がそれに従わないときは催涙ガス
と発煙弾を用いた。それでもデモ隊が前進すると威嚇射撃を行
った。それでもなおかつデモ隊が前進し、治安部隊に危険が及
ぶ時になってやむを得ず、最低限の発砲をすることは避けられ
ないことだった。デモ隊の中の自国民と外国人の区別をするな
どということは治安部隊にとって不可能だった。日本、ミャン
マー、そして他のアジア諸国を問わず、どの治安当局も即座に
反政府の者か記者かを知ることは出来ない。治安部隊がデモ隊
を止めようとしてその先頭にいる者を狙うのは自明である。日
本の特派員はデモ隊の中にいたため、悲劇的な最期を自ら招い
たのだ。
このような事件を処理するに当たり、ミャンマー人であれ、
日本人であれ、アメリカ人であれ、区別することは治安部隊に
とって困難なことである。デモ隊を解散させようと発砲しただ
けで、どんな特定の人物にも危害を加えようとしたわけではな
い。もし、デモ隊の中にアメリカ人がいたとして、不幸な場合
には彼が撃たれたかもしれないのだ。日本人記者が撃たれたの
は偶然であり、故意ではない。彼が悲劇的な最期を遂げたのは
、不適切な時と場所にデモ隊とともにいたからである。
責任機関は彼をただちにヤンゴン総合病院へ送るとともに、
日本大使館へ事件を知らせ、必要な措置が行われるよう協力を
求めた。ミャンマー政府は日本大使館へナガイの24の所持品
を引き渡した。そして遺体を日本へ送ることにも協力した。ミ
ャンマー人民は彼の家族と日本人同様に、悲しみを抱いている
。
彼の家族はミャンマー政府に対しナガイが事件の際に持って
いたソニーのビデオテープレコーダーの変換を求めている。治
安部隊がデモ隊を解散させようとしていたさなかに、群衆の中
で失われたテープレコーダーの所在をつきとめることは著しく
困難である。治安部隊はそれを回収していない。遺族がその思
い出のために遺品を返してもらいたいと考える気持ちは理解で
きる。外国のラジオ局はそれが警察によって持ち去られたと言
っているが、それは遺族を失望させるだけのことだ。
日本を含め外国の通信社はミャンマーの治安当局メンバーが
彼をわざと至近距離から撃ったかのように報じている。これは
両国間の関係をかなりの程度傷つけるものだ。愕然とすること
に、ナガイ氏の死去に際し、日本の通信社は、ミャンマーの平
和と民主主義の実行のために日本政府が更に強い要求をするこ
とがその責任だと提案したという。
実のところ、日本とミャンマーの関係は長年にわたるもので
、両国政府の信頼と理解は両国民のそれとともに、長年培われ
てきたものだ。ミャンマーの国家と人民にとって日本に対する
夥しい憎悪と嫌悪の念が、かつての日本占領下において存在し
た。今なお、日本の憲兵隊とファシストについての多くの物語
と映画がある。実際、当時は日本人によってあらゆる形の拷問
や苦痛が与えられてきた。しかしながらミャンマーの人々は、
寛大さをもって、それを過去のものとしてきた。中国や韓国ま
でもが、戦時中の極悪非道に対し、謝罪を要求しているさなか
にあってミャンマーの人々は赦しの態度をとってきた。ミャン
マーの人民の日本に対するこの寛大な態度を心に留めてもらい
たい。理性的な考えを持つミャンマーの人々の中には、裏に秘
めた悪意を持つ者など居はしない。第二次世界大戦中、ミャン
マーの人々は酷い苦痛をうけたが、日本が戦に破れ、ミャンマ
ーが解放された時、ミャンマーの人々がどう振舞ったかは、今
も生きている日本の元兵士たちが知っているであろう。日緬共
同制作の「血の絆」という映画はミャンマーの人々の誠実な気
質と態度を示す証左である。この映画は、日緬間の友情がこわ
されるものでないことを示すために生まれてきた。
反ファシスト記念日である3月27日には、ミャンマーでも
それが始められた。しかし後にミャンマーは理解と思いやりを
基礎として、それを「軍隊の日」と名づけたので、日本人は今
、憎しみを避けることが出来るのである。このような取るに足
らぬことを考えに入れても、ミャンマー人が日本人を近くから
故意に撃って死亡させることがありえないことが見て取れるで
あろう。
現在、日緬間では親しく信頼と尊重の相互関係がある。日本
政府のみならず、多くのNGOが人道上の援助を行っている。と
ころが、外国のラジオ局はナガイ氏の事件は、故意のものとの
出鱈目を放送することによって、日緬間のつながりを弱めたり
、協力を終わらせようとし、更に他国へは、ミャンマーへの制
裁を課すようにしむけているのだ。これこそが我々が明らかに
するミャンマーの真実である。日緬二国間において永久的な友
情を維持することは客観的な状態から考えても不可欠なことで
ある。これは塩によってスープの甘みを無くさせるといった類
の話ではないのである。
ミャンマー人民はいかなる扇動にも、外国メディアが誇張し
た方法で流す出鱈目な放送にも惑わされることはない。過去か
ら学んだ教訓は、自国の政府と国民こそがその国の利益を守り
、国家建設の努力を果たすものだと考えている。それ故、多く
の扇動や攻撃にも関わらず、我々ミャンマー人民は一致して現
政府を支持しているのだ。政府のリーダーシップの下でこそ
我々は(民主化のための)七つのロードマップの実現の成功へ
向け、意気盛んに協力できるのだ。そうすることによって、長
い目で見ても、日緬二国間の親しい絆の下での協力が望めるで
あろう。
========================================================
気になるのはこの線で処理を進めようとする日本の当局者や
政治家が出てくる不安を覚えることです。
長井さんの当日の動向を後から細かく確認し、
デモ参加者をひとりひとりトレースも写真から続けている
ミャンマー当局が
長井さんのカメラを知らないというのは噴飯物の言い訳です。
長井さんのカメラを持っていく当局者の姿も
すでに映像に捉えられていることもあるというのに。
日本政府が全体としてこのようなミャンマー側の言い分を聞かず
正当な要求、特にカメラとビデオテープ返還を
粘り強く交渉することを望んでいます。
署名フォーム(クリック→)https://hal.sakura.ne.jp/syomeis/sign
携帯電話はこちら(クリック→) http://hal.sakura.ne.jp/sign.html
この署名はhttpsを使っているため、セキュリティアラームでますが
安全上の問題は何もありませんので、先に進んで署名してください。
抗議文を引用しておきます。
======================================
ミャンマー連邦
タン・シュエ国家平和開発評議会議長殿
駐日ミャンマー連邦大使館
フラ・ミン特命全権大使殿
抗議文
2007年9月27日午後、貴国のヤンゴン市内にあるスーレーパゴダ付近で、
取材中だった映像ジャーナリスト、長井健司氏が、貴国軍治安部隊の軍人に
至近距離から銃撃され、殺害されました。
自国の国民に対するミャンマー軍の一方的な暴力による制圧行動について、
国際的な取材活動をしていた日本人ジャーナリストの生命を、
警告もなく銃で奪ったことは、
殺害を前提とした意図的かつ残虐な取材妨害行為であり、
国際社会の一員として、また日本人として、
我々はこの行為を断じて許すことはできません。
しかも貴国の当局は、
長井氏が亡くなるまで手離さなかった
ビデオカメラとテープを未だ返却していません。
われわれは貴国治安部隊軍人による長井氏の殺害について強く抗議します。
また、長井氏の殺害の経緯を明らかにするとともに、
犯人の特定と厳罰を求めます。
遺品であるビデオカメラとテープも内容の消去など一切の改竄を許さず、
返却することを求めます。
ミャンマー軍による長井さん殺害に抗議する会
(事務連絡先)
〒1060032
港区六本木7-8-25永谷リュード六本木306
=====================================
ミャンマー軍による長井さん殺害に抗議して、
抗議文の趣旨にご賛同をいただける方の、署名をお願いいたしております。
ご賛同いただける方は氏名と肩書きをお願いいたします。
呼びかけ人(順不同)2007/10/19 1200現在
増えました。
鳥越俊太郎(ニュースキャスター)
田丸 美寿々(ニュースキャスター)
テリー伊藤(演出家)
徳光和夫(司会者)
麻木久仁子(タレント)
綿井健陽(ジャーナリスト)
石丸次郎(ジャーナリスト)
佐藤和孝(ジャーナリスト)
高世仁(ジャーナリスト)
櫻井よしこ(ジャーナリスト)
北村肇(ジャーナリスト)
江川紹子(ジャーナリスト)
井上トシユキ(ジャーナリスト)
二木啓孝(ジャーナリスト)
坂上遼(ノンフィクション作家)
河上和雄(弁護士、元東京地検特捜部部長)
紀藤正樹(弁護士)
田島泰彦(上智大学教授)
苫米地英人(脳機能学者)
前田日明(格闘家)
--------------------------------------
抗議文の趣旨にご賛同いただける方は
氏名(フルネーム)と肩書き(職業か所属先)を
署名のためのインターネット上のフォームに書き込んでください。
物理的に手書きの署名の必要はなく、
お名前と肩書きをこのブログでリンクしているフォームに書き込んでください。
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携帯電話はこちら(クリック→) http://hal.sakura.ne.jp/sign.html
肩書きは具体的な所属先でも、
「会社員」などの一般的なことばでもかまいません。
もちろんネット環境になんらかの問題がある場合は
メールやファックス、郵便物などで署名を頂いても結構です。
なお、会には電話も一応ありますが、
電話番をお願いしているだけの状態ですので
何かご連絡のある方は(メディアなども)
できるかぎりメールでご連絡をお願いいたします。
「ミャンマー軍による長井さん殺害に抗議する会」
http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/(ブログ)
nagaikenji20070927@mail.goo.ne.jp(メール)
〒1060032
港区六本木7-8-25永谷リュード六本木306
TEL 03-3746-0065
(平日10時から17時で対応)
FAX 03-5772-1127
なお、このブログはリンクフリーですので
いろいろご紹介してください。
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内容は、はっきりいって許せないものですし、
うそに満ち溢れていることは間違いありません。
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常識なのですが、とても悲しいことでもあります。
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「友好的なつながりを害そうとする企て」
先月来、日本の写真家ナガイケンジが、国家安定のために出
動した治安部隊により偶然殺されたことは周知のとおりである
。実に悲しむべき出来事であった。この日本人の死後、日本の
外相代理とその一行がやって来て、わが国の当該大臣らと面会
し、報道機関向けの発表が行われた。官僚らはこの事故に対し
、わが国の弔意を示し、納得いく説明を行った。善良なミャン
マー人はこの外国人に対し、同情と哀悼の意を示すものである
。
これは、単なる事故または不幸な事件であった。真実は至っ
て単純だ。しかしながら、外国の放送局は歪めた告発を報じて
いる。これは実に遺憾なことである。その報道によると、日本
の写真家ナガイケンジ(50)は、ヤンゴン市内のデモ隊の人
々を取材中、手持ちカメラでデモ場面を撮影しようとして、兵
士により、至近距離から撃たれて倒れたという。さらにこの報
道は、「ミャンマー政府は日本人が記者であると知っていたた
め故意に撃ったとする説に否定的な発表を行った」とつけくわ
えた。放送局は、日本人の故人を救済するために、ミャンマー
軍事政権を告発するとしている。
ミャンマーにおける暴動についての取材を試みた日本人に対
してあたかも英雄であるかのような印象付けが行われているが
、私はこの行為がそれほど偉大なことであるとは考えない。ミ
ャンマーに関し、外国の放送局は理由の如何を問わず、服役者
や志望した受刑者を英雄視してきた。このやり方は世界の人々
を誤らせるものである。彼らにとって、いつもどおりのやり口
だが、放送局は日本人記者の死は”偽りの祝福”だとする。な
ぜなら彼の死後、日本の人々はミャンマーの出来事について関
心を抱いているからだと付け加えている。APFニュース通信社
は、これはミャンマーの民主主義の道筋にとって大きな益にな
るものだと言ったが、APFは遺体が埋葬される前にこの出来事
を利用したに過ぎない。外国メディアによる捏造が我が国にた
いする復讐を狙ったものであることは明らかだ。
この事件について説明しよう。間違いが放置されているとい
つかそれが正しいものとして考えられるかも知れぬ。それ故、
間違いを正すのだ。我々は沈黙し続けるほど世間知らずではな
い。
2007年9月25日、日本のAPFの記者ナガイは、ヤンゴ
ンに観光ビザ(以下番号記入あり 以下括弧訳者注)をもって
到着した。実際、記者であればジャーナリストビザで入国すべ
きである。彼の計画が誠実なものであったかどうかは、言うま
でもなかろう。この国への到着の時期を考えると、彼は反政府
に人々と接触を持ったかも知れないが、我々は何も言っていな
い(原文ママ翻訳 意味不明)。観光ビザで入国した者はジャ
ーナリストとして行動すべきではない。もし彼が正しくふるま
ったのであれば、かかる悲劇は起きなかった。しかし彼は観光
ビザで来て不正直にもジャーナリストのように行動した。もし
彼がジャーナリストとしての仕事を望むのであれば、関係省庁
の許可のもとに正式に来るべきであった。そのようにしていれ
ば、悲しい事件はおきなかったし、必要な助力も政府によって
行われたかと思われる。
ナガイ氏はヤンゴン33番街のホテルに宿をとり、デモ行進
と治安措置についての取材を試みた。そのころ、ヤンゴンの1
44地域では、内外の破壊的な扇動によって集まったデモ行進
の群集を解散させるため、法に則った必要な措置が行われてい
た。それ故、状況は極めて危険であった。どんな記者であれ、
邪悪な呪文にでも操られでもしない限りそんな時に行きはしな
い。普通の記者なら安全な場所からニュースを集めようとした
だろう。
この日本の特派員は群衆の中にいた。彼がそこにいた理由、
そして群集と彼との繋がりについて"It is food for thought"
(という文あり。foodはgoodの誤植かと思われる)。群集
を解散させるにあたっての手続きについてはミャンマーと他国
の間に違いがある。治安当局はこの件について最大限の忍耐を
発揮した。そしてほかに方法がなくなった時にのみ、群集を追
い払ったのだ。はじめは当局は三列に並び、デモ隊に対し前進
しないように説得した。集団がそれに従わないときは催涙ガス
と発煙弾を用いた。それでもデモ隊が前進すると威嚇射撃を行
った。それでもなおかつデモ隊が前進し、治安部隊に危険が及
ぶ時になってやむを得ず、最低限の発砲をすることは避けられ
ないことだった。デモ隊の中の自国民と外国人の区別をするな
どということは治安部隊にとって不可能だった。日本、ミャン
マー、そして他のアジア諸国を問わず、どの治安当局も即座に
反政府の者か記者かを知ることは出来ない。治安部隊がデモ隊
を止めようとしてその先頭にいる者を狙うのは自明である。日
本の特派員はデモ隊の中にいたため、悲劇的な最期を自ら招い
たのだ。
このような事件を処理するに当たり、ミャンマー人であれ、
日本人であれ、アメリカ人であれ、区別することは治安部隊に
とって困難なことである。デモ隊を解散させようと発砲しただ
けで、どんな特定の人物にも危害を加えようとしたわけではな
い。もし、デモ隊の中にアメリカ人がいたとして、不幸な場合
には彼が撃たれたかもしれないのだ。日本人記者が撃たれたの
は偶然であり、故意ではない。彼が悲劇的な最期を遂げたのは
、不適切な時と場所にデモ隊とともにいたからである。
責任機関は彼をただちにヤンゴン総合病院へ送るとともに、
日本大使館へ事件を知らせ、必要な措置が行われるよう協力を
求めた。ミャンマー政府は日本大使館へナガイの24の所持品
を引き渡した。そして遺体を日本へ送ることにも協力した。ミ
ャンマー人民は彼の家族と日本人同様に、悲しみを抱いている
。
彼の家族はミャンマー政府に対しナガイが事件の際に持って
いたソニーのビデオテープレコーダーの変換を求めている。治
安部隊がデモ隊を解散させようとしていたさなかに、群衆の中
で失われたテープレコーダーの所在をつきとめることは著しく
困難である。治安部隊はそれを回収していない。遺族がその思
い出のために遺品を返してもらいたいと考える気持ちは理解で
きる。外国のラジオ局はそれが警察によって持ち去られたと言
っているが、それは遺族を失望させるだけのことだ。
日本を含め外国の通信社はミャンマーの治安当局メンバーが
彼をわざと至近距離から撃ったかのように報じている。これは
両国間の関係をかなりの程度傷つけるものだ。愕然とすること
に、ナガイ氏の死去に際し、日本の通信社は、ミャンマーの平
和と民主主義の実行のために日本政府が更に強い要求をするこ
とがその責任だと提案したという。
実のところ、日本とミャンマーの関係は長年にわたるもので
、両国政府の信頼と理解は両国民のそれとともに、長年培われ
てきたものだ。ミャンマーの国家と人民にとって日本に対する
夥しい憎悪と嫌悪の念が、かつての日本占領下において存在し
た。今なお、日本の憲兵隊とファシストについての多くの物語
と映画がある。実際、当時は日本人によってあらゆる形の拷問
や苦痛が与えられてきた。しかしながらミャンマーの人々は、
寛大さをもって、それを過去のものとしてきた。中国や韓国ま
でもが、戦時中の極悪非道に対し、謝罪を要求しているさなか
にあってミャンマーの人々は赦しの態度をとってきた。ミャン
マーの人民の日本に対するこの寛大な態度を心に留めてもらい
たい。理性的な考えを持つミャンマーの人々の中には、裏に秘
めた悪意を持つ者など居はしない。第二次世界大戦中、ミャン
マーの人々は酷い苦痛をうけたが、日本が戦に破れ、ミャンマ
ーが解放された時、ミャンマーの人々がどう振舞ったかは、今
も生きている日本の元兵士たちが知っているであろう。日緬共
同制作の「血の絆」という映画はミャンマーの人々の誠実な気
質と態度を示す証左である。この映画は、日緬間の友情がこわ
されるものでないことを示すために生まれてきた。
反ファシスト記念日である3月27日には、ミャンマーでも
それが始められた。しかし後にミャンマーは理解と思いやりを
基礎として、それを「軍隊の日」と名づけたので、日本人は今
、憎しみを避けることが出来るのである。このような取るに足
らぬことを考えに入れても、ミャンマー人が日本人を近くから
故意に撃って死亡させることがありえないことが見て取れるで
あろう。
現在、日緬間では親しく信頼と尊重の相互関係がある。日本
政府のみならず、多くのNGOが人道上の援助を行っている。と
ころが、外国のラジオ局はナガイ氏の事件は、故意のものとの
出鱈目を放送することによって、日緬間のつながりを弱めたり
、協力を終わらせようとし、更に他国へは、ミャンマーへの制
裁を課すようにしむけているのだ。これこそが我々が明らかに
するミャンマーの真実である。日緬二国間において永久的な友
情を維持することは客観的な状態から考えても不可欠なことで
ある。これは塩によってスープの甘みを無くさせるといった類
の話ではないのである。
ミャンマー人民はいかなる扇動にも、外国メディアが誇張し
た方法で流す出鱈目な放送にも惑わされることはない。過去か
ら学んだ教訓は、自国の政府と国民こそがその国の利益を守り
、国家建設の努力を果たすものだと考えている。それ故、多く
の扇動や攻撃にも関わらず、我々ミャンマー人民は一致して現
政府を支持しているのだ。政府のリーダーシップの下でこそ
我々は(民主化のための)七つのロードマップの実現の成功へ
向け、意気盛んに協力できるのだ。そうすることによって、長
い目で見ても、日緬二国間の親しい絆の下での協力が望めるで
あろう。
========================================================
気になるのはこの線で処理を進めようとする日本の当局者や
政治家が出てくる不安を覚えることです。
長井さんの当日の動向を後から細かく確認し、
デモ参加者をひとりひとりトレースも写真から続けている
ミャンマー当局が
長井さんのカメラを知らないというのは噴飯物の言い訳です。
長井さんのカメラを持っていく当局者の姿も
すでに映像に捉えられていることもあるというのに。
日本政府が全体としてこのようなミャンマー側の言い分を聞かず
正当な要求、特にカメラとビデオテープ返還を
粘り強く交渉することを望んでいます。
署名フォーム(クリック→)https://hal.sakura.ne.jp/syomeis/sign
携帯電話はこちら(クリック→) http://hal.sakura.ne.jp/sign.html
この署名はhttpsを使っているため、セキュリティアラームでますが
安全上の問題は何もありませんので、先に進んで署名してください。
抗議文を引用しておきます。
======================================
ミャンマー連邦
タン・シュエ国家平和開発評議会議長殿
駐日ミャンマー連邦大使館
フラ・ミン特命全権大使殿
抗議文
2007年9月27日午後、貴国のヤンゴン市内にあるスーレーパゴダ付近で、
取材中だった映像ジャーナリスト、長井健司氏が、貴国軍治安部隊の軍人に
至近距離から銃撃され、殺害されました。
自国の国民に対するミャンマー軍の一方的な暴力による制圧行動について、
国際的な取材活動をしていた日本人ジャーナリストの生命を、
警告もなく銃で奪ったことは、
殺害を前提とした意図的かつ残虐な取材妨害行為であり、
国際社会の一員として、また日本人として、
我々はこの行為を断じて許すことはできません。
しかも貴国の当局は、
長井氏が亡くなるまで手離さなかった
ビデオカメラとテープを未だ返却していません。
われわれは貴国治安部隊軍人による長井氏の殺害について強く抗議します。
また、長井氏の殺害の経緯を明らかにするとともに、
犯人の特定と厳罰を求めます。
遺品であるビデオカメラとテープも内容の消去など一切の改竄を許さず、
返却することを求めます。
ミャンマー軍による長井さん殺害に抗議する会
(事務連絡先)
〒1060032
港区六本木7-8-25永谷リュード六本木306
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ミャンマー軍による長井さん殺害に抗議して、
抗議文の趣旨にご賛同をいただける方の、署名をお願いいたしております。
ご賛同いただける方は氏名と肩書きをお願いいたします。
呼びかけ人(順不同)2007/10/19 1200現在
増えました。
鳥越俊太郎(ニュースキャスター)
田丸 美寿々(ニュースキャスター)
テリー伊藤(演出家)
徳光和夫(司会者)
麻木久仁子(タレント)
綿井健陽(ジャーナリスト)
石丸次郎(ジャーナリスト)
佐藤和孝(ジャーナリスト)
高世仁(ジャーナリスト)
櫻井よしこ(ジャーナリスト)
北村肇(ジャーナリスト)
江川紹子(ジャーナリスト)
井上トシユキ(ジャーナリスト)
二木啓孝(ジャーナリスト)
坂上遼(ノンフィクション作家)
河上和雄(弁護士、元東京地検特捜部部長)
紀藤正樹(弁護士)
田島泰彦(上智大学教授)
苫米地英人(脳機能学者)
前田日明(格闘家)
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抗議文の趣旨にご賛同いただける方は
氏名(フルネーム)と肩書き(職業か所属先)を
署名のためのインターネット上のフォームに書き込んでください。
物理的に手書きの署名の必要はなく、
お名前と肩書きをこのブログでリンクしているフォームに書き込んでください。
署名フォーム(クリック→)https://hal.sakura.ne.jp/syomeis/sign
携帯電話はこちら(クリック→) http://hal.sakura.ne.jp/sign.html
肩書きは具体的な所属先でも、
「会社員」などの一般的なことばでもかまいません。
もちろんネット環境になんらかの問題がある場合は
メールやファックス、郵便物などで署名を頂いても結構です。
なお、会には電話も一応ありますが、
電話番をお願いしているだけの状態ですので
何かご連絡のある方は(メディアなども)
できるかぎりメールでご連絡をお願いいたします。
「ミャンマー軍による長井さん殺害に抗議する会」
http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/(ブログ)
nagaikenji20070927@mail.goo.ne.jp(メール)
〒1060032
港区六本木7-8-25永谷リュード六本木306
TEL 03-3746-0065
(平日10時から17時で対応)
FAX 03-5772-1127
なお、このブログはリンクフリーですので
いろいろご紹介してください。
http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/
日本政府からも強く抗議することを願っています。
署名には家族・友人も協力させていただきました。