まず関東一円のお茶が立て続けに出荷規制となっています。ほぼ放射性物質がはいっていない日本茶というのは、いったいどこからなのか、お茶好きの僕は大変に気になっています。ほぼ、全てが駄目になることもありうるかもとも思いながら、放射能というのはどこまで我々の生活を壊していくのかと、腹が立つばかりです。こうなると、買いだめた台湾烏龍茶を飲み続けるしかなくなります。
腹が立つと言えば、きょう不信任案否決にいたるドタバタです。僕の予想は小差で否決と思っていましたので、否決はあたっていますが、ずいぶん予想した形とは異なりました。結果的にあんな形で収束してしまう現職政治家が、「ポスト争い」以外の本質はないことがまたしてもハッキリしました。本質的に原発事故へのいろんな対応を急ぎたい僕らの強い渇望に、答えるつもりがないということも明瞭にわかりました。こういうことに対して、皆さんからの不信感がさらに高まる構図と言う事を、どうしていつまでも認識しないのか、僕にはかなり不思議な状況です。レイムダック菅内閣に、いつまで原発対応させるのか、いい加減にして欲しいと僕は思います。原発対応ができていない事が一番の問題なのに、それをさせる判断の本質が理解できません。このままでよいとは思いません。
今、一番大切なことは、この原発事故により、日本の社会全体が変わる意志を持ち始めることだと僕は思っています。まずは、一人一人の意志を、きちんと公にするしかないのです。皆さんの友人や知人を巻き込み、周りの人々と手を携えて、立ち向かうしかない。それができるかどうかは、大きな分岐点となりますので、三ヶ月の節目となる、「6.11」は大変重要なポイントです。国会のドタバタは本質ではない。政治というものが機能するかどうかが、民の声が沸き起こるのかどうかにかかっていると思います。皆さんの黄色い覚悟にかかっていると思います。
さて、白河市と福島市の講演会は実に興味深いものでした。白河市は地元の団体のお招きで伺ったものですが、この地の人々の認識の高さを知るよい機会となりました。この地がある意味、今回の長期化せざる負えない福島原発事故の最前線として、いろんなことを担う形が起こりつつある現実感の中で、リアルな危機意識を共有していく事で、いろんな対応をしている事を知りました。例えば、ある企業は、若い社員で希望する人を西日本の支社に移動させるなど。また、線量の高い場所を探す努力を継続している事。そして、少し驚くのは、放射能検査をしてクリアした工業製品を、横浜港に送り、コンテナで輸出したところ、横浜で入れたコンテナ自体の放射線量が高すぎて、輸出できなくなったエピソードも。放射性物質の量が、実はこのあたりと東京の一部であまり変わらない現実の中で、こうしたこともおきています。参加者も二回に分けて、会場がほぼ埋まっている感じで、一回五十人近くの皆さんとお話が出来ましたし、郡山などの方とも話せました。
福島市は、やはり線量が高いです。普通の感じで歩いている人もいますが、相当警戒されている方もいます。人によりけりという感じです。ガイガーで測ると、0.8マイクロシーベルトから1マイクロシーベルトは、普通に出てくる値でした。講演会はおいでになっている人のほとんどの皆さんとは、割合に落ち着いた形でお話が出来ていましたが、お一人だけ、私よりも年配の男性が「そんなこといっても避難はできない」「全部用意してくれるのか」「仕事も全部用意するのか」と相当おっしゃる方がいました。僕は避難についても、「子どもの避難は自主的に直ちにするべき」と強く言いましたが、「用意しなければ無理」という発言です。実は住居の提供の申し出や、いろんなサポートを申し出ている、公的機関や自治体、団体、個人は相当な数にのぼっています。にもかかわらず、そうしたところを利用していただける方の割合は、用意した受け入れ先の一割程度とも聞いています。ある官僚からも「全国で何万戸用意しても、一割も入らない」と聞いています。もちろん、仕事をすぐにぽんとお渡しする事まではありませんが、職のあっせんの世話もするところもあります。なかには、備え付けの家電製品を渡すところもある。こうした情報をお伝えしようとしたのですが、「すぐに仕事があるのか」「経済的にやっていけない」「体育館の避難所に行ったら家族が崩壊する(こちらは避難所にという話はもちろんしていません)」と言い張られて、何もかもお前が用意しろというお話に近いことをおっしゃいました。その場では、他の参加者からの、そういう発言についての強い反発も出て、話は収まりました(たぶん後ほど、その方は途中退出されました、なんとか最後まで留めたかったのですが、すぐに退席しようとするのはこちらも話して留めたのでしたが、数十分後に何も言わずにお出になりました)。このやりとりをしていて思ったのは、勿論、被害者であり大変である心情はわかりますが、危機があるときに、この感覚では、僕はまず無理だと思いました。率直に言うと、女性でこういう反応をしてきた方は、いません。男性でもほぼいません。この福島や白河はこのお一人だけでした。この方の心情は理解できるのですが、何かが起こっているときに、誰かが全てを用意してくれることはありません。一から自分で用意するしかない場合が多いです。今回は、こういうサポートがあるという話を伝えようとしましたが、「一から十まで用意しろ」という感じでした。
でも、この方の背後には、同じ感覚の方は、実は多いと僕は思いました。この日、福島の会場に来ていただいた殆どの皆さんは、留まる事や退避する事も含めて、ぎりぎりの問いかけをご自身の中で考えている方が多くて、ある意味建設的な対話が出来たと思います。ただ、この年配の男性のような方は、多分おおくて、そういう方は、この場には来ないだろうというのも、およそ想像がつきます。恐らく、福島で子どもたちが逃げない現実、そのいくつかの背景の一つには、こうした事もあるのだろうと思います。
福島では相互に話した事は、僕の方から提示した中で、多分あまりない視点なのは、そもそもの福島と東京の視座の違い、特に福島の事を切実に見ていなかった東京が、ここにきて真剣な状態になりはじめた現実の流れを説明し、ある意味、福島を見ていくしかない感覚に東京の人がおもいはじめた現実を伝えました。福島と東京の姿が、だぶる感覚になってきているということだと思います。これを推し進めなければならないと僕は強く言いました。このニュアンスが、東京の中で共有化されることが、事態の根本を大きく変える事になるということです。そういう意味で、福島と東京の共振というのは必要と思っているのです。
一人でも多くの方が参加し、行動してください。Facebookのグループ「福島第一原発を考えます」は行動する皆さんの参加を期待します。参加は→ http://www.facebook.com/home.php?sk=group_163985373661863
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①「6月11日(土)午後から官邸や国会周辺に、お散歩しましょう」
②「黄色のリボンや黄色の帽子など黄色の物を身につけましょう」
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