masaring

自己チューの進行形日記でshow。

私の「無錫旅情。」2012。

2012年09月05日 | masaringは、芸術家!??

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【残念ながら私、海外へは行ったことがない。↑南紀の風景。】
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「無錫旅情。」は1986年(昭和61年)に尾形大作さんが歌い
1987年(昭和62年)に大ヒットした歌謡曲(演歌?)である。

光GENJIや少年隊。中山美穂やおニャン子クラブの全盛期。
今も大活躍の徳永英明さんの「輝きながら」も大ヒット。
ドーナツ盤のレコードからCDに市場が変わる時期でもあった。
アイドル。ニューミュージックが台頭していたこの時代。
懐かしいメロディーと美声溢れるこの歌。時代とはミスマッチ
だと思ったが、それが受けて大ヒットしたのである。
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その頃、私はボランティア活動家として引っ張りだこだった。
それも、「レクダンス」指導者として!!新曲は全て聴いた。
レクダンスとは、ヒット曲に簡単な、しかし、ダンスの基本
ステップを随所に取り入れて振り付け、皆で楽しむダンスだ。

レクダンスは面白い。皆で楽しむと同時に少しアレンジして
振り付けすると、見せるダンスに変身するのだ。
運動会のマスゲームや敬老会。老人ホーム慰安で
お年寄りの前で踊ると、拍手喝采になるのであった。
私は即、「無錫旅情」を取り入れた。

踊りを振付けるには先ず、自分が歌を覚える必要がある。
カラオケでも歌い、自己満足だが上手いと拍手を浴びた。
勿論、ダンスも大好評。私の振り付けの内でもベスト3に
入ると思っている。私は連日連夜、至る所で指導者に変身。
そして「無錫旅情」は、どの会場でも一番の目玉となった。
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ところがである。平成元年に、あまりにも色々あって、私は
体調を崩した。平成2年には、とうとう不眠症と診断を
受けた。その後、心因反応。いわゆる、うつ病である。
その原因は自分でも分かった。「燃え尽き症候群」である。
仕事は勿論だが、ボランティア活動、し過ぎの結果である。
3ケ月ほど仕事を休んだ。
私を励まそうとT氏が仲間と「飲み会」を催してくれた。
そして、カラオケ。気が進まないが、私は「無錫旅情」を
歌った。案の定、音程は定まらない。リズムは狂う。
「あれれ、まっちゃんの歌。下手になったネ。
 これだったら、みんなの方が上手いや。」

当然の結果である。でも、ありのままを受け入れるしか無い。

その後、寛解はしたものの、病気は何度となく襲い掛かった。
その度に「ありのままを受け入れよう。」で今に至っている。
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現在、ある部署のボスである。毎日ストレスとの戦いだ。
でも今、「ボスの間は、このストレスを逆手に面白がろう。」
いう気持ちで、毎朝を迎えている。

数年前の顎下腺全摘手術後、以前のように思うような
声は出ないが、久々に「無錫旅情。」を歌ってみた。
そして、面白がってYou  Tubeにもしてみた。
人生、何があるか分からないけれど
今、私は生きている。そして、歌っているのだ。
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それでは「無錫旅情。」下をクリックして
見て、聴いてくださいネ。

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YouTube: masaringの「無錫旅情。」2012。

↑の画像、もしくは文字をクリックして
歌と画像を見て、聴いてくださいネ。

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2

【高原のヤマザクラ。人生色々あるから面白いのかも知れない。】

コメント (7)
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