【♪「鞠と殿様」の歌は、多分この辺りが舞台だろうと思うのだ♪】
私の住む町。国道から少し入った東西に通る道筋は、
「大和街道」 と呼ばれているのであります。
所々に石の道標が立っているのであります。
この街道は、県庁所在地である和歌山市の京橋が起点で、
和歌山県と奈良県の境の真土峠までを
「大和街道」と呼ばれております。
奈良県に入っても道は続いているのでありますが、
名前が変わるのであります。
「伊勢街道」「熊野街道」「河内道」「巨勢(御所)道」
それと「紀伊道」であります。
※奈良県五條市は、この五つの道が交差しているので、
五条(五條)という地名になったと言われております。
徳川家康の十男 頼宣(よりのぶ) が、紀州の殿様となって
和歌山に来られた頃、家老の「安藤帯刀(たてわき)」が、
紀の川の氾濫を防ぐため堤防を作ったのだそうです。
安藤堤と言われておりました。
この堤防が、今の私の住む町筋。「大和街道」であります。
今でも、所々に当時を忍ばせる古い家並みが残っております。
その家並みは、中二階と呼ばれる低い二階で、
二階の窓も窓枠や桟を塗り込めた「虫籠窓・むしこまど」で、
表通りには細かい格子が組まれております。
お殿様が参勤交代でお通りになるとき、
家の中から行列を覗いて失礼になってはいけないので、
こういう形になったのだそうであります。
ちなみに、紀州の殿様の行列(大名行列)は、
多いときで一千人程度、少ないときでも
五百人は通ったそうでございます。
多分虫籠窓から紀州の殿様お国入りを眺めたのでしょう。
鞠と殿様の歌の光景がこの街道を通ったのであります。
【白壁のこのお宅、何と登録有形文化財です↑。維持が大変。】
江戸時代が偲ばれる街道が、私の住む町にも
残っているのでありました。
日常の生活の中では、あまりこういうことは考えませんね。
私も他府県の古き町並みを訪れボランティア・ガイドの方の
お話で「おやおや、それだったら私の町にもあるわ」。と
再認識をした次第であります。(久々に通ったのであります。)
所謂、有名と無名。ガイドブックに取り上げられるか
注目されないかの違いだと思った訳でございます。
【用水路際のこのお宅。街道で生業は?江戸時代の蔵が凄い。】