masaring

自己チューの進行形日記でshow。

大和街道。私の町編。

2011年08月20日 | ちいさな旅。

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「鞠と殿様」の歌は、多分この辺りが舞台だろうと思うのだ

Ie

私の住む町。国道から少し入った東西に通る道筋は
「大和街道」 と呼ばれているのであります。

所々に石の道標が立っているのであります。

Syobu

この街道は、県庁所在地である和歌山市の京橋が起点で、
和歌山県と奈良県の境の真土峠までを
「大和街道」と呼ばれております。

奈良県に入っても道は続いているのでありますが、
名前が変わるのであります。

「伊勢街道」「熊野街道」「河内道」「巨勢(御所)道」
それと「紀伊道」であります。

※奈良県五條市は、この五つの道が交差しているので、
  五条(五條)という地名になったと言われております。

Syobu

徳川家康の十男 頼宣(よりのぶ) が、紀州の殿様となって
和歌山に来られた頃、家老の「安藤帯刀(たてわき)」が、

紀の川の氾濫を防ぐため堤防を作ったのだそうです。
安藤堤と言われておりました。

この堤防が、今の私の住む町筋。「大和街道」であります。
今でも、所々に当時を忍ばせる古い家並みが残っております。

その家並みは、中二階と呼ばれる低い二階で、
二階の窓も窓枠や桟を塗り込めた「虫籠窓・むしこまど」で、
表通りには細かい格子が組まれております。

お殿様が参勤交代でお通りになるとき、
家の中から行列を覗いて失礼になってはいけないので、
こういう形になったのだそうであります。

ちなみに、紀州の殿様の行列(大名行列)は、
多いときで一千人程度、少ないときでも
五百人は通ったそうでございます。

多分虫籠窓から紀州の殿様お国入りを眺めたのでしょう。

鞠と殿様の歌の光景がこの街道を通ったのであります。

Syobu

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【白壁のこのお宅、何と登録有形文化財です↑。維持が大変。】

Ie

江戸時代が偲ばれる街道が、私の住む町にも
残っているのでありました。

日常の生活の中では、あまりこういうことは考えませんね。

Hito_2    

私も他府県の古き町並みを訪れボランティア・ガイドの方の
お話で「おやおや、それだったら私の町にもあるわ」。
再認識をした次第であります。(久々に通ったのであります。)

所謂、有名と無名。ガイドブックに取り上げられるか
注目されないかの違いだと思った訳でございます。

20080617_006

【用水路際のこのお宅。街道で生業は?江戸時代の蔵が凄い。】

コメント (6)
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