読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

収穫期に入った我が家のトマト

2018年06月28日 | 畑の作物

赤くなってきた大玉トマト ホーム桃太郎


    4月末に苗を植え付けた大玉トマトのホーム・桃太郎。
    5月1日に支柱を立てて1か月半過ぎて、ようやく第1節のトマトが収穫適期になり、
 昨日収穫し食卓に上りました。

  自宅の庭で作ったトマトは由来が明らかで安心して食べられます。しかも完熟し
 たものを食べることができるのでトマト本来の味わいが楽しめます。
  第5節の花が咲いたら幹中心の芽を欠くつもりです。

  

  

  

  

  
  ただ一本あるミニトマト

     

                     (以上この項終わり)
 

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三羽省吾の『刑事の血筋』

2018年06月22日 | 読書

◇ 『刑事の血筋』著者:三羽省吾  2018.2 小学館 刊

  



 発行所キャプションでは本邦初の警察家族小説!とする。
曾祖父(ひいおじいさん)
から三代にわたる警察一家にまつわる小説ではあるが、読み終えてみれば亡くなった
父親が残した捜査ノートを手掛かりに、二人の息子が組織のしがらみに抗しながら事
の真相に迫るという、ありきたりの警察小説ではないか。
 佐々木譲に『警官の血』という類似の作品がある。


 著者にとって警察小説は初めてではないかと思うが、結構警察という特殊社会の雰囲
気を捉えている作品ではないだろうか。

 警察庁勤務のキャリアの兄と所轄刑事のノンキャリの弟。これまで決して仲が良いわ
けではなかったが、かつて刑事だった父がある殺人事件の捜査に係わり、暴力団に捜査
情報を流したという噂の真偽を探り、父の汚名を雪ぐために二人で協力し合い調査を進
める。ことの真相を突きとめはしたものの、
警察組織と暴力団との癒着の問題にどう始
末をつけるのかに悩む
というストーリー。

 長年警官高岡敬一郎の妻として二人の息子を育てた春江、兄剣の妻志緒里と娘の恵梨
香、剣の部下小谷野、弟守の妻美子、守の相棒久隅、亡父敬一郎の同僚越川・奥寺等々
関係者は何人もいるが、小さいころからそりが合わなかった兄弟二人が、父親が係わっ
た最後の事件の真相調査に取り組む中で、次第にわだかまりが解けていく過程がほほえ
ましい。

                            (以上この項終わり)

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東京都水元公園で写生(水彩画)

2018年06月20日 | 水彩画

写生会は水元公園(東京都葛飾区)で花菖蒲を描く


    
      clester F8
       
      6月の写生会は久しぶりの「水元公園」ちょうど花菖蒲祭りがおこなわれていた。残念ながら平日の
    ために屋台はちらほら。しかし結構花菖蒲を愛でる人たちは多く、絵にも何人か取り込まざるを得な
    かった。
     花菖蒲は絵のメインの対象物としてとらえるとそれなりの描き方になるが、花菖蒲の群落と周辺の
    景観も含め風景の一部とししてとらえると風景画としての描き方になる。結局大雑把なとらえ方にな
    るが、3・4種類の色を持つ株が固まりとして植えられているのでそのパッチワークをとらえることに
    なる。
    
    花はマスキング液を用いたが、それにしてももうちょっと丁寧に描かなければいけなかったと反省。   
    遠景の池の向こうは埼玉県三郷市の「みさと公園」になる。

    自宅での仕上げ時間を含めるとおよそ6時間の作品。



   

   

   

   

   

   

   

   

   
   
   

   
   
   

   

   

                      (以上この項終わり)

    

  


 

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当世コトワザ読本『ことわざのタマゴ』

2018年06月18日 | 読書

◇『ことわざのタマゴ―当世コトワザ読本―』 

                  著者: 時田 昌瑞  
                          2018.2 浅倉書店 刊

  


  本書はいわゆることわざ辞典ではない。題名に示す如く、「タマゴ」つまりまだこ
 とわざとして安定的地位を獲得していないものの、メディア等を通じて一定の人口に
 膾炙しているものを取り上げている。視点がユニークである。

 「ことわざ」をキーワードとして世相や社会文化を読み解くという別の視点もある。
 ジャンル別に整理され、しかも索引がことわざ別にとどまらず、人名索引、トピック
 ス索引と読者のために実に行き届いていて助かる。とくに出所・用例が証拠として挙
 げられているところがすごい。
  またころどころに1ページ物のコラムが挿入され、ことわざの歴史やことわざの定
 義・要素、ことわざの言語芸術性の検討、常用度の高いことわざ、ことわざの国際性
 などが整理検討されているのも特徴である。

  何んにしろ膨大なことわざの卵を丹念に選び出し、世の中に生まれ、使われ出した
 場面を丹念に抽出して整理するということは大変なことだろうと感心するところ。
 ことわざのタマゴも、未熟児であったり、早熟であったり、成人直前であったりとさ
 まざま。読者(利用者)として欲をいえば、ことわざ毎に、ことわざとしての成熟度
 合を点数とか、星印とかで表示していただくと、一層当該ことわざへの親近感が湧く
 のではないかと思った次第。

 一言にことわざと言っても、時の流れと共に本来の意味合いとずれた使い方になったり
 するところが面白い。
 *小生は「40・50ははなたれ小僧…」は松下幸之助氏が使い始めと思っていたが、渋沢
 栄一氏だったとは。渋沢先輩と言われればさもありなん。

 *良く使い方というか認識が正反対な「情は人のためならず」はどんな扱いになってい
 るか興味があったが扱われておらず残念。

 「*足は口ほどにものをいう」では客商売では足元(靴)を見て良い客筋かどうかを見
 分けると聞いていたが、靴屋さんのことわざであったとは知らなかった。

 *小生は新潟の生まれであるが「越後では男の子と杉は育たない」ということわざは小
 さいころから耳にしていた。訳はよくわからないが、男の子である自分はここでは育た
 ないのか、と思って家を飛び出して東京の住民になった(それだけではないが)。
 女性が働き者で色白もち肌、男は腑抜けという解釈はあまり当たらないと思うし、尾崎
 紅葉の著作に出てくる「新潟は砂地で杉の生育に適さない」というのは海岸線だけに限
 定されるのでいまいち納得できない。
 それにしても正解は単に男の子と杉の木は成長が遅いということだったとは。

 *「ゴキブリにモラルを求める」にはまいった。ないものねだりの譬えではあるが、こ
 れをことわざとするにはやや異論があろう。

  それにしてもことわざは世相を映し含蓄があり、その誕生にもっともらしい訳がある
 とされることから小説(特に短編)の題材になりうる。これは座右の書である。

                              (以上この項終わり)



  
  



 

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トマス・H・クック『緋色の記憶』

2018年06月14日 | 読書

◇『緋色の記憶』(原題:THE CHATAM SCOOL AFFAIR)

         著者:トマス・H・クック(Thomas Cook)
   訳者:鴻巣 友季子    1998年12月 文藝春秋社 刊(文春文庫

   
  クック記憶3部作の一つ(他に『夏草の記憶』、『死の記憶』)。
  フラッシュバックを得意とするクックが描く何とも暗い記憶の物語である。
    アメリカの東部マサチューセッツ州の片田舎チャタム村。回想する老弁護士ヘン
 リー・グリズウォルドは独り身のまま老境を迎えた。
  ヘンリーはあの事件以来愛を求めたことがない。愛の結末が恐ろしいから。
 
  11926年8月のある日、ひとりの年若い美貌の女性がバス停に降り立った。それ
 からほぼ1年後、この時から1927年5月の痛ましい事件の歯車は動き始めた。
 悲劇が起こったということはたびたび述べられるが、事件の詳細は最後まで明かさ
 れない。それはあまりにも身近な人の出来事であることと、何よりも事件のきっか
 けをヘンリー本人が作ったかもしれないという慚愧の念があるからかもしれない。

  回想する私(ヘンリー)は私立チャタム校の学校長アーサーの息子。この日バス
 を降り立った新任の女教師エリザベス・チャニングの生徒として、また学校長の使
 い走りなどを通じてミス・チャニングと親しくなる。
  美術教師であったチャニングは7年前に赴任したレランド・リード(35歳)と互
 いに惹かれあうようになる。リードには妻アビゲイルとメアリという幼子がありる。
 3年がかりでヨットをつくっているリードの作業を手伝っているうちに、もしかして
 リードはチャニング先生と新しい世界に旅立つのかもしれないと思い始める。
  
  リードの妻アビゲイルは夫の心が若いチャニングで満たされていくことを感じ取
 り、苦しい思いを幼なじみのヘンリーの母に打ち明ける。しかも妻を殺す計画をた
 てているのではとまで。

  そんな中、ついにヨットが出来上がった。ヘンリーはリードとチャンイングの二
 人の道行きを確実なものにしたい一心で、あろうことかアビゲイルに「二人を自由
 にいしてやってください」という。煮えたぎった疑心の心に油を注いだ結果か、ア
 ビゲイルは黒池のほとりにたたずむチャニングに突っ込むが一緒にいたヘンリーの
 家のお手伝いサラに当たり、アビゲイルは車と共に池に沈んでしまう。

  最初は事故と思っていた警察は、アビゲイルからリードが妻を殺して愛人と逃避
 しようとしていたと聞いたというヘンリーの母の証言で事件性ありと捜査を開始す
 る。リードは疑惑を解きもせずに自殺する。何の罪かチャニングは獄につながれる。

  結局ヘンリーが事件に火をつけ、その母が事件を大きくしたのだった。しかし、
  ヘンリーには父にも告げていない、隠された深淵を抱えていたのだった。

  まだ封建色の残るアメリカ東部の田舎の不倫でも姦通でもないたんなる恋愛が、
 かくも厳しく指弾され、まるで縛り首にまで追い立てようとする時代性と、クック
 特有のフラッシュバック技法が、主人公が回想するうす暗い悔恨のストーリーを巧
 みに織り成し、抑えに抑えたタッチの描写で、成功している。

                            (以上この項終わり)

  

  

  
 

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