◇新聞小説の掲載責任
今朝何気なく新聞一面の下にある広告を見ていたら、「言葉が足りないとサルになる」という本の
紹介があった。(著者:岡田憲治・亜紀書房1,680円)
「問題のたびに口を閉ざす政治家。「今のお気持ちは?」以外に言語がないマスメディア。日本社会
の劣化は言葉が足りないから?」
岡田憲治という作者は知らないが、最近とみに日本人の言語力劣化傾向に不安を抱き始めている
日本人の一人としては本を読んでみるまでもなく、共感を覚えた。
ちょっと名が知られるとすぐに誰もが物を書き、奔流の如く書店に並ぶ昨今の出版界。 何も電子本
を引き合いに出すまでもなく、出版物が増えている割に活字文化の後退がささやかれる裏には、物
書きにも書物を世に出す側にも日本語に対する緊張感が希薄になっているからではないのか。
御大層なことを吐くほどの立場にあるわけではないが、最近経験したエピソードをご紹介しよう。
購読しているN紙の夕刊に、それなりに名の知れた女性作家が小説を連載している。その力量に
は評価まちまちとは思うが、先日の掲載文には大げさにいえば「えっ!」と眼を剝いた。
「来週の日曜日、琵琶湖に行くのだ。炊きたての米でおむすびをにぎり、ソーセージを焼き、・・・」
主人公の女性が今は相思相愛の関係になった男性と初めて外に出ることになったシーンである。
私であれば「炊きたての米」は「炊きたてのご飯」とするだろう。これは好みの問題ではなく、日本語
の問題である。米をむすんでもおにぎりにはならない。
高名な作家でも誤字・当て字・変換誤りなどあって、別にいちいち挙げ足などとることもない。人は
間違う動物であることは身を持って証明できるから。ただこれは単なる間違いではあるまいとなると
問いただしたくなる。ことに間に言葉の専門家が入れば尚更である。
妻にも自分の感じたことを訴えたが、「やはりちょっとおかしいね」である。「本の出版の場合、普通
間に編集者がいて、疑問符がある場合ちゃんと指摘して直すんだと思うけど、新聞にはいないのか
しら」ということで、N紙に電話をして聞いてみることにした。
電話をすると女性が出て「どんなご用件ですか」というので、「新聞の連載小説のことで・・・」という
と「読者センターにつなぎます」という。ははあ、会社でいえば「お客さま相談コーナー」みたいなとこ
ろか。
「どんなことでしょうか」出たのは男。しかもぶっきらぼうで、いきなり「なんか文句あっか」という口調
で引いてしまいそうになる。
「普通出版社では、作者と掲載の間に編集者がいて中身をチェックする仕組みになっていると聞くん
ですが、新聞の連載小説ではどういう仕組みでしょうか。」
「新聞でもいますよ」
「なぜこんな質問をしたかといえば、今連載の〇〇さんの11日の内容に…という個所があって、これ
は日本語としてはいかにもおかしいと思うのですが」
「おかしいですか」
「おかしくないですか。米を握ってもおむすびにはならないでしょう。」
「元は米なんだからおかしくないでしょう」
唖然!
(おいおい、喧嘩を売る気かよ。「元は米だからいいじゃないか」というのを強弁というのだよ。
権力を握っている輩がよく使う手だ。)
「日本語ならそういう使い方はしないでしょう」
「それは人によるでしょう」
「編集者もおかしいと思わなかったということですか」
「おかしいと思ったかも知らないけど、ま、流したんでしょう。」
「流すとはどういうことですか」
「ちょっとおかしいけど、ま、いいかということです。」
「そんなことで済むんですか」
「そんなとこです」
(もしかして似たような電話がほかにもあったのかな?)。
「わかりました。ありがとうございました。」(何がわかったのか判然としないが・・・)
「はい」。
「ご意見ありがとうございました」の言葉はなかった。
新聞社の読者センターは所詮「お客さま相談窓口」ではなかった。木で鼻をくくったような応対は、
かつて新聞記者と多少はかかわりもあった身としては不思議にも思わないが、所詮購読者あって
の商売、サービス業なのだから、もう少し応接態度の教育が欲しい。それともまったく属人的な問題
で、ねつ造記事やコピー記事を書いて、今記事は書かせてもらえなくて「読者センター」に追われて
いる身なのか。
社会の木鐸意識だけがよりどころの身としては、素人さんは余計なことを考えるな、黙って自分ら
のつくった記事を読んでおればよいということなのだろうか。
たとえ締め切りに追われていようと、文章を糧にしている物書きとしては、言葉を大事にしなければ。
そして出版社も新聞社もいやしくも言葉を飯の種にして、政治家やタレントなどの言葉の端々をとらえ
て云々する身としてはやはり言葉を大事にしてほしい。「ま、いいか。」と流すのは、われわれのするこ
とであって、プロにはやって欲しくない。さもないとどんどん日本語は乱れてしまうのだ。
(以上この項終わり)