読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

横浜・本牧三渓園を訪ねて

2015年03月29日 | 里歩き

 本牧三渓園を散策
  ずいぶん前に仕事のついでに訪ねた記憶がある横浜三渓園を、こんどは妻と訪ねた。
  この3月14日から常磐線が品川まで直通で行けるようになった。柏から50分で品川
  に着いて、東海道線に乗り換えて20分ほどで横浜に着く。
  市営バス横浜駅東口2番乗り場で⑧ルートでバス停「桜道」で降りる。この次に「本牧
  三渓園前」というバス停があるのだが、どういうわけか三渓園はここで降りるよう案内
  がある。
  バス停から徒歩10分。

  好天ではあるが幾分風が冷たい日で、人は少ない。一年で一番人出が多いのは4月
  の桜、次いで11月下旬の紅葉の時期という。
  5月・6月はさつきと蛍が楽しめる。
  絵を描いている人たちがちらほら。

  三渓園は、明治から大正時代にかけて製糸・生糸貿易で財をなした実業家・原三渓
  (本名:富太郎)が5万3千坪の広大な日本庭園である。特徴は京都や鎌倉などから
  移築された、重要文化財に指定されている重要建築物が、数多く自然に調和して配
  されているところにある。(有料:大人500円)

  
  大池から観心橋、三重塔を望む

  
  鶴翔亭
  
  
  大池と涵花亭

  
  御門(宝永年間:西方寺薬医門)

  
  臨春閣(慶安年間:紀州徳川頼宣の別荘)

  
  臨春閣と亭樹

  
  聴秋閣(元和年間:家光・春日局ゆかり、二条城内)

  
  月華殿、金毛窟、天授院

  
  金毛窟(茶室)

  
  天授院(慶安年間:鎌倉・心平寺跡にあった地蔵堂)

  
  展望台からの本牧埠頭:南側

    
  展望台からの本牧埠頭:北側

  
  旧燈明寺三重塔(室町時代:木津川燈明寺)

  
  旧燈明寺本堂(室町時代:木津川燈明寺)
 

  
  旧矢箆原家住宅(江戸後期:飛騨白川郷の矢箆原家)

  
  旧東慶寺仏殿(寛永年間:鎌倉東慶寺にあった仏堂)

  
  横笛庵(建造時期不詳:奈良法華寺から移設)

  
  旧燈明寺本堂(室町時代:木津川燈明寺)
 
  (以上この項終わり)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

文旦ピールをつくる

2015年03月25日 | ものづくり

◇ 初めての「文旦ピール」づくり
  新潟県は魚沼でスローライフを過ごしている舎弟は、数年前から文旦の魅力に取りつかれて、
 文旦を四国から取り寄せ、皮の砂糖漬けやピールやらを造り送ってくれる。

  先月、今年の砂糖漬けの作品を戴いてヨーグルトに入れて楽しんだが、ちょうど終わったころ
 に知人のK氏から文旦を戴いた。K氏もお取り寄せの口であるが、これまで中身だけ賞味して
 いたものの、弟の文旦砂糖漬けに触発されて文旦ピールを作ってみた。出来上がりまでに4日
 くらいかかるが、手間がかかるだけに出来上がった作品はそれなりにほのかな苦みと香りがあ
 って、満足できた。

 ①文旦の厚い皮を4つに割って剥く。 
 ②分厚いワタはできるだけ取り除く。(ワタも製品にするので捨てない)
 ③皮は1センチくらいの短冊にする。ピールの最終形態。
 ④ワタと一緒に水煮(水から沸騰するまで煮る)する。20分くらい煮たら湯を捨てる。(この工程
  を3度繰り返す。)
 ⑤大分柔らかくなった皮とワタを水に浸し1晩置く。これで大分苦みが抜ける。
 ⑥ちょっとつまんでみてまだ苦みが強いようならば④の工程を繰り返す。
 ⑦苦みの頃合いを見てざる等に上げて水を切る。無理に絞ったりすると形が壊れるので重力だ
   けで水を切る。
 ⑧重量を計りその7~80%の砂糖を加え中火で煮る。砂糖は全量を一度に入れず3度に分けて
  入れる。
 ⑨ピールとワタが焦げ付かないようにゆっくりと煮詰める。
 ⑩材料に照りがついたところで火を止めて網等に並べて乾かす。
  (キッチンペーパーでいけるかと思ったが、少しくっついてしまったので網などが良いかも)
 ⑪ある程度乾いたところでグラニュー糖をまぶす。(皿に取ったグラニュー糖の中に転がす。)
  最初は珈琲などに使うスティックシュガーで何とかいけるかと思ったが、結局100gほど使った
  のでちゃんと用意した方が良い。 

 
   自然乾燥で1昼夜は置いた。陽光に当たったグラニュー糖がキラキラ光って高級和菓子のよう
  に 見えた。ワタもけっこういける。


  
   グラニュー糖をまぶす前の製品(1個分)

     
    グラニュー糖をまぶした後の製品   

  
   1昼夜乾燥させた最終製品(ピール)

  
   1昼夜乾燥させた最終製品(わた)
  
  (以上この項終わり)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春のくだもの・水彩画

2015年03月21日 | 水彩画

いちごデコポンなど春のくだもの
  先週の水彩画教室は「春のくだもの」がテーマ。
  とはいうものの、いまどきの果物といえばいちごくらいなもの。
  それと、おなじみデコポンもこの時期の出回るので春のものかも。
  そうなるとリンゴやバナナはこの頃はほとんど一年中店頭に並ぶので
  ほとんど季節感を感じさせない。
  ということで主役か脇役か見分けがつかないものの、勢ぞろいしたくだ
  もの。
  イチゴは新鮮さを表現できるかどうかが課題。
  デコポンは柑橘類であるものの頭の出っ張りが特徴なので、これさえ
  しっかりと描けばデコポンとわかってもらえる。
  定番の素材ではあるが常に課題は尽きない。

   


  (以上この項お終わり)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マイクル・コナリーの『チェイシング・リリー』

2015年03月14日 | 読書

◇ 『チェイシング・リリー(原題:CHASING THE DIME)』 
                著者:マイクル・コナリー (Michael Connelly)
                訳者:古沢嘉通・三角和代        2003.9 早川書房 刊

   

      引っ越しした際に取得した電話番号に、以前の持ち主あての電話がひっきりなしに掛かって
  来る。ほとんどがホテルの一室からの男性から。
   どうやら前の持ち主はリリーといって、娼婦らしい。

   ヘンリー・ピアスは「アメディオ・テクノロジーズ」というベンチャー企業の代表。スタンフォ
  ードを出た天才的生化学者で、革新的ナノテクで分子コンピュータの開発に取り組んでおり、今
  まさに特許取得と投資者獲得の関門に立っている。
   ピアスは、事業展開のこんな大事なときに、なぜか以前の電話の持ち主探しに没頭する。実はピ
  アスには今は亡き姉にまつわる痛ましい過去があった。

   最高のストーリーテラーとの評価が高いマイクル・コナリーが展開するノンストップサスペンス。
  最後まで「まちがい電話」を仕組んだ裏の人物がわからない。
   前の電話の持ち主リリーのホームページからウェブサイトの管理会社とデートクラブ経営者を
  探り出したが、リリーは数週間前から行方がわからないという。一緒に働いていたロビンは答え
  を渋る。ピアスはどんどん深みにはまっていく。大学時代からの親友コーディー・ゼラーの手を
  借りてハッキングでデートクラブ経営者の実像を探って貰うと、アダルト娯楽産業の大物ビリー
  ・ウィンツが浮かんできた。
   ようやく探し出したリリーの家で突然の失踪を確信する。さらにリリーが仕事用に借りていた
  部屋を探し出すとそこには明らかに殺人を示す血痕が。届けを聞いた警察は先ずピアスを疑う。
   その夜ピアスは二人の男に死ぬほどコテンパンに痛めつけられる。その一人はビリー・ウィ
  ンツ。 
   ピアスの借りているトランクルームからリリーの死体が入った冷凍コンテナーが見つかった。
  仕組まれた罠によってピアスは窮地に追い詰められた。そしてピアスは意外な黒幕を知る。
   そして彼のラボで繰り広げられた銃撃戦で犯人らは死ぬ。疑いが晴れたピアスらは無事に特許
  申請を果たし、新たな開発資金出資者さがしに取り組むことになった。

   原題のチェイシング・ダイム(Chasing The Dime)とはダイム(10セント硬貨)を追っ
  てという意味だが、Dimeには定冠詞 the が置かれている。実はピアスが目指す分子コンピュータ
  は現在実用化されているシリコンチップに代わる分子メモリー・アーキテクチャーによって
  Dime大のコンピュータが実現されるという夢の世界を追い求めることを指し示している。

                                   (以上この項終わり) 
    
   

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山本兼一の『修羅走る関ヶ原』を読む

2015年03月12日 | 読書

◇ 『修羅走る関ヶ原』 著者: 山本兼一  2014.7 集英社 刊

    

     時代小説巧者の一人。山本兼一は昨年2月に亡くなった。享年57。
   この作品のテーマは男の死に様と生き様である。関ヶ原の合戦は天下分かれ目の戦として
  あまりにも有名で、歴史小説の恰好の題材である。したがってこの本でも徳川家康、石田三成
   を初め福島正則、小早川秀秋など欠かせない重要人物はもちろん、東軍、西軍に属した諸将が
   続々登場する。これら主要人物の立ち位置を明らかにしながら、合戦当日における人間模様を
  描こうとしている。しかし並みの戦記ものと違うのは東西両軍の旗頭である家康・三成の心境は
  もちろん戦況の推移に伴う各将の微妙な心裡の移り変わりが豊かな想像力で綴られていること
  だろうか。

   三成は秀吉との盟約を裏切った家康に対する天誅のつもりで「義」を求めて戦いを挑んだ。
  一方家康は秀吉の死によって目の前にぶら下がった天下取りの好機を逃さじと、必勝の算段を
  積み重ねて関ヶ原の戦に臨んだ。
   三成とともに秀吉の近習として仕えた石田三成と大谷吉継はこの戦いは負けるから止めよと
  忠告したが三成の決心が固く心中のつもりで戦いに臨んだ。島左近はここが死に場所と主の
  三成に従った。秀吉から秀の一字を貰った宇喜多秀家は、五大老の一人として秀頼のことを
  頼まれた事を忘れない。豊臣家が天下の主であることを示すために絶対に勝つ。
   父の毛利輝元が西軍の総大将に担がれて大阪城に拠っっている毛利秀元は、お家の存続
  は家康に味方するしかないと覚悟している。吉川広家も然かり。義なくして天下は保てぬと西
  軍として攻撃を迫る安国寺恵瓊はやきもきするばかり。毛利・吉川・長曾我部・長束の軍勢は
  動かないことで東軍を利している。
   豊臣家への篤い忠誠心を持ちながら、石田治部少輔への反感から黒田長政とともに東軍に
  ついた福島正則。西軍に属しながら家康の調略に会い東軍・西軍のいずれにつくかで懊悩す
  る小早川秀秋。大勢が東軍勝利に傾いたとみて東軍として動き出しついに西軍に決定的な
  打撃を与えた。
   
   これら諸将のほかに登場する人物がまさに修羅走る武士として戦場を駆け巡る。小早川秀
  秋の重臣松野重元は主の日和見を責め、西軍として早く攻撃するよう迫る。大谷刑部吉継の
  家来・土肥市太郎は主の命で小早川秀秋の出撃を迫る役目。土肥市次郎は南宮山に布陣し
  ている毛利秀元の裏切りを防ぐ役目。キリシタンの明石全登と戦った槍の名手可児才蔵。戦
  わず逃げることだけを考えている織田信長の弟織田有楽斎等々。

      石田三成は関ヶ原の戦場から逃れたものの、間もなく捕らわれの身となり、京都四条河原
  で晒し首となった。

                                            (以上この項終わり)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする