読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

切り干し大根を作る

2011年01月28日 | 畑の作物
畑の大根が大きくなり
  家庭菜園の大根は、このところ毎年2畝くらいしか作らないが、夫婦二人では毎日大根
 というわけにもいかず、ご近所に差し上げてもまだ余る。
 栃木県や茨城県あたりでは「しもつかれ」という郷土料理がある。鮭の頭や大根、ニンジ
 ン、大豆などを使ったなかなかおいしいものであるが、秋大根が時期に活躍したあと、春
 先まで畑に残ったものを使う。

  数年前にやはり今頃の時期に、残った大根を「切り干し大根」に加工したことがある。今
 年も大根が大きく育ち(1本は2.6㌔もあった)保存食材にしようと、とりあえず2本ほど
 加工した。
  
<大根を洗い皮をむく>

     

<7ミリくらいの輪切りにして、拍子木切りする>

         

<ざるに撒いて干す>

                     
   初日(1本分)         2日目         3日目        4日目  

<完成品>

 2本で4.5キロあった大根が450グラムになりました。
 
  
    5日目・完成品

                         (この項終わり)
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浅田次郎「終わらざる夏」

2011年01月27日 | 読書

◇戦争とは一体何なのか
  「終わらざる夏(上・下)」著者:浅田次郎 2010.7 集英社刊
 
 昨年夏に出版された「終わらざる夏」を、早々に市の図書館にリクエストしたが、今年に入って
やっと順番が巡ってきて、上下本を一気に読んだ。
 浅田次郎は映画化されて高倉健が好演したということで有名になった「鉄道員(ぽっぽや)」の作
者として始めて知り、その後「ハッピーリタイアメント」を読んだくらいで、多くの作品もほとんど読
んではいないが、今度読んでその力量に感心した。
 初出は小説「すばる」で、2005.11~2009.10までの連載。

 太平洋戦争の末期、千島列島の北縁の島「占守島」におけるポツダム宣言受託前後における
帝国陸軍の始末記でもあるが、いってみればこれは浅田の反戦小説であろう。
 小説の主人公は一応千秋社という出版社の編集長片岡ということであろうが、この小説の本来
の狙いは戦争というものがいかに人の人生をめちゃめちゃに踏みにじるものか、この不条理を登
場する人々の口を藉りて糾弾するところにある。と私は思う。

 登場人物は多い。
 雑誌編集長片岡直哉、その妻チャコ(久子)、同僚尾形、その妻(佐江)、大本営作戦参謀吉池
大佐、作戦本部動員班参謀小松少佐、第5方面軍参謀吉江少佐、占守島第32軍の古参将校
大家准尉、少年戦車兵中村兵長、歴戦の勇士鬼熊軍曹、美形不死身の船舶兵岸上等兵、信州
への疎開学級の小山訓導・浅井訓導、疎開児童である片岡の息子・譲、一緒に脱走する上級生
女子生徒吉岡静代、ひょんなことから脱走の二人を助けることになった元博徒岩井万助、占守島
の鮭缶工場の森本主任、その工場に動員された函館高女の生徒夏子とキク、不可侵条約を踏み
にじり、ポツダム宣言受託後に占守島に攻撃を仕掛けた、ロシア軍対戦車砲大隊第一小隊長
オルローフ。

 戦争は人と人がするのではない。国同士がするのであって、割を食うのは国民という個人。軍
人も民間人も平等に被害を受ける。抽象概念としての国民は、勝った負けたにかかわりなく生身
の人間一人ひとりは、間違いもなくそのために人生を蹂躙される。
 軍隊にあってはどうか。動員計画を策定する参謀も、その数字を生身の人間に割り振らねばな
らない役場の徴兵担当も、召集令状を配る人も苦しむ。その召集令状を配られた人も、その母も
兄弟もその子も、働いていた職場の上司も同僚も、人しなみに突然戦争という不条理の世界に突
き落とされ、振り回され、泣く。

 私の兄も終戦前年に高等小学校を卒業し海軍少年兵を志願し横須賀へ向かった。母は長男を
戦争に巻き込んだ国を恨んだ。「先生にたぶらかされて」と言っていた。当時国民学校1年生であ
った私には空襲や食糧難のつらさは記憶にあっても、この小説で語られている国民各層各人の
苦悩する姿に思いを及ぼすだけの頭はなかった。いくらか長じてのち、戦争が続いて戦場に狩り
出され、命をとられることにならなくて良かったとしみじみと思った記憶はある。今どきの戦争を全
く知らない人たちにはこの実感は分からないだろう。

 この小説の主たる時間的舞台は終戦の詔勅の前後1ヶ月足らずの短い期間であるが、登場す
る人物それぞれの人生が、運命の日8月15日に向けて徐々に収斂していく。
 「この戦争はもういい。負けてもらったほうがいい。」軍人ですら本土決戦といった無謀な決定
がもたらす国民と国土の悲惨な姿を思い描くとき、戦争はしてはいけないと思うのだ。ただ個人の
非戦の思想も、よほど確固たる姿勢を維持したとしてもその思想を反映しがたいシステムやその
中の決定因子の反応次第で戦争は起こる。個人の世界では不条理でも、マスの世界では十分成
り立つ条理があることを忘れてはならない。

 主人公である片岡は、外語学校を出て出版社で翻訳などを仕事にしていた。すでに召集可能
年齢の45歳直前ではあったが、堪能な英語力があだとなり召集され北辺の島に配属されること
になった。
 占守島はアメリカの本土上陸の最有力地点と目され、2万3千人の精鋭部隊が配された。しかし
実際は硫黄島・沖縄と南方方面が本土上陸の主戦場となって、終戦間近にあってもこれら精鋭部
隊は無傷でかつ士気旺盛なまま千島列島に取り残されたのである。本土決戦の場に動かそうにも
移動用の艦船が払底していたがために。
 終戦時に、2万3千人の精鋭部隊を、混乱なく武装解除させるためには、占領軍とスムーズな武
装解除等の交渉が行われる必要がある。片岡はまさにそのために召集され占守島にて送り込ま
れるわけであるが、しかし本人はもちろん周りを取り巻く関係者もほとんど終戦の最終段階までこ
れを知らない。これは、もしかすると
天皇陛下から和平の御聖断が下されることになるかもしれな
い。その時に、大本営命令を混乱なく行き渡らせる方策の一環として、大本営参謀本部編成課動
員担当参謀が本土決戦要員動員計画の中に密かに紛れ込ませた企みであった。

 終戦後にスターリンが卑怯にも仕掛けた無益な戦闘で、戦場にあった主要登場人物のほとんど
は命を落とす。祖国の地を守った兵士も極寒の地シベリアに抑留され苦役で斃れていく。
 
 あの戦争が終わって65年が過ぎた。既に当時少年だった若者も後期高齢者と邪魔者扱いされる
歳になった。戦争という究極の不条理がまかりとおる状態がおこる予感は今のところないが、この
状況も、かつて祖国のわが子や父母や兄弟、友人のためを思いながら死んでいった多くの人びとの
切ない思いの上に築かれていることを忘れないようにしなくてはいけない。

 本書は決して風化させてはならない太平洋戦争の実像を描いた反戦の書として受け止めたい。

 

                                 (この項終わり)

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新春初笑い・第二弾・浅草演芸ホール

2011年01月21日 | その他

浅草演芸ホール正月二之席
 友人夫婦と「浅草演芸ホール」で正月寄席を楽しんだ後「フグ料理」を食べよう
と楽しみにしていた。
 明日乗る電車で打ち合わせの電話をしようと思っていた矢先、先方から電話
がかかってきた。
 「明日のことなんだけど…」、「そうそう電車は・・・」と言ったら、「実は昨日妻が
腰を痛めて、今日もやっと歩く状態なので病院へ連れて行こうかと思っているん
だが、明日の寄席は無理なんだよ。」とのこと。
 残念だがせっかく気分が寄席モードになっていたので我々夫婦は予定通り決行。

 

 いつもは11時40分開場だが、正月は特別興行で10時半から。1時間余計
で、出演者も多く(出演者20組→24組)、木戸銭も高い(2,500円→3,000円
上野鈴本と異なりシルバー割引はない。お高くとまっているようだが、シルバー割
引をするとほとんどがシルバーに該当して商売にならないのかも。 )。
収容人員は二階席を含め300余りであるが、団体予約があって、一般客の席は
高々80席くらい。早くいかないと通路側の席が得られない。
 
 今日は正月二之席後半最終日で、21日からは通常の時間・出演者に改まる。
 

      

 落語は桂夏丸、春風亭鹿の子、三遊亭遊喜、三笑亭可龍、春風亭鯉枝、春風
亭昇乃進、桂小文治、三遊亭とん馬、桂小南治、三遊亭金遊、桂幸丸、雷門助六、
三遊亭栄馬、三笑亭笑三、三笑亭茶楽、春風亭昇太、桂歌若、桂歌春、(主任
=桂歌丸)最近は古典落語を語る噺家が少なくなった。持ち時間が少ないし、話
を聞いても昔言葉の語彙が少なくて、さっぱり情景がイメージできずポカンとして
いるお客さんの顔を見ていたら、「あ、こりゃだめだ」となるのかもしれない。

 漫才・色ものは、鏡味初音(傘回し)、マグナム小林(ヴァイオリン漫談)、ぴろき(ギタレレ
漫談)、北見伸&スティファニー(手品)、神田紅(講談)、宮田陽・昇(漫才)、檜山
うめ吉(三味線)、東京太・ゆめ子(漫才)、ボンボンブラザース(バトン操り)・・・。
よかったのはマグナム小林、ぴろき、宮田陽・昇くらいであとはいずれもいまいち。 

 面白かった噺家といえば、三笑亭可龍、春風亭鯉枝、桂幸丸、桂歌春。歌丸は
社団法人落語芸術家協会会長であり、主任を張るだけに重鎮ではあるが、吾輩
としてはそう高くは評価しない。

 二週続けて寄席に通い、しかも5時間という長丁場で笑っていると、いくら笑い
は百薬の長とは言っても、さすがに疲れる。
 
 昼の部がはねる4時半には暮色が迫り、入口には提灯に灯が入りが賑わいを
映す。 
 すぐ裏手が花屋敷。その右手にはムサシを目指して背伸びを続ける「東京スカ
イツリー」の姿があった。 
 浅草公園町会の「三社祭」の山車は、昔懐かしい「十二階」の脇にあった。

        

             


三浦屋の「ふぐ料理」
 ここのフグは特別うまいのかどうかはわからない。あちこち食べ歩いているわけ
ではないから。二度行った築地の「天竹」はやたら高かった記憶しかない。
 ただ三浦屋さんは、食べたい品を食べたい量だけ注文し、ゆったりした気分で
フグを楽しめるから。しかも値段もそう高くはない(そうは言っても何しろフグだか
らそれなりの値段を付けられるのはしょうがない。)

 以前は予約を摂らなかったが、今年から予約も取る。
 店の向かいには三浦屋でしつらえた神輿が。
 二階席の入り口には人丈の大皿がでんと座っている。
 オーナーの趣味か、洋酒のボトルがずらり。よく見ると封は切られてはいない。

        

  

 今夜はフグ刺し、ふぐちり(終わったら雑炊に)、にこごり(オリジナル)、ふぐスペアリブ
(オリジナル)、ふぐひれ酒、燗酒。
 ビールはクーポン持参でジョッキ1杯サービスだった。
 突き出しは昨年も「子持ち昆布」。

      

      

  

     (以上この項終わり)

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還暦や古希以降の健康づくり

2011年01月16日 | その他

◇ 体力を維持するために
  熟年同士の会話といえば、病気と孫に偏って、よほど的を絞らないとなかなか知的・文化的な
 話まで到達しないことが多い。
  孫がいない人がいると遠慮して孫の話はしないが、病気や健康の話ならまず当たり外れはな
 い。「腰が…」とか「近頃前立腺の・・・」とかで、話が合うと、同じ悩みと戦っている同士という意
 識が働いて和やかに話が進む。自分がいかに健康であるかをひけらかしたりすると、異分子
 扱いされ嫌われるから気をつけた方がよい。
 年寄り同士で強がったり威張ったりしても始まらない。
  
  どういうわけか還暦を境に身体のあちこちに障りが出て、病院通いをすることが増える。
 心臓だけは黙々と死ぬまで働き続けるが、沈黙の臓器といわれる肝臓でさえ、酒や過労やス
 トレスが重なれば悲鳴を上げる。積年の悪行の咎め、良いこと悪いことの総決算と観念する
 しかない。
  歯はもちろん腰が痛い人は5人のうち3人はいるだろう。
 肌に張りがなくなったの、髪が薄くなったの、髪が白くなったのという悩みは加齢の証拠で別に
 誰に恥じることでもないので、こんなことでうろたえてはいけない。
  さすがに肥満は男女を問わず自己管理の甘さを問われそうだし、何よりも生活習慣病の代表
 格「糖尿病」になったりすると困るので、密かに食生活を変えたり歩いたりと努力はする。 
 
  風邪は万病の元といわれる。病が万もあるわけはないのだが、この歳になると風邪が引き
 金になって合併症を引き起こすことが多くなる。だから人混みの多い電車の中や街中に出た時
 は、出来るだけマスクをかけて予防する。本当は風邪をひいている人にマスクをして欲しいの
 だが、そんな人に限って電車の中などで盛大に咳き込んだりしている。自衛するしかない。

  また新型インフルエンザ流行の際にしつこく勧められた「手洗い」と「うがい」。これも余程習慣
 づけておかないとついうっかりして忘れたりする。食後の歯磨きと同じように、風邪のシーズン
 だけでなく、日常的に外出から帰ったら手洗いとうがいをすることを生活習慣とした方がよい。

  先年東京大学柏キャンパス一般公開の一環として鹿屋体育大学学長の福永哲夫先生から
 「ホーム貯筋術のすすめ」の講演を聞いた。毎日15分くらい続ける簡単な「ホーム貯筋術」で
 加齢で衰える筋肉を維持できるとのことで、続ければこんないいことはない。 いまやっている
 「腰痛予防体操」と「ラジオ(テレビ)体操」だって時たま忘れるほどの吾輩としては、まず続け
 る自信がない。何しろこの年では放っておくと1年で1%筋力が衰え、寝込むと1日で1%筋力
 減衰するという恐ろしい話だった。うっかり転んで、病院で治療を受けているうちにそのまま
 ベッドから離れられなくなったという話の根拠はこれだ。こんな羽目に陥らないように今のうち
 に貯筋をしなさいというお勧め。「貯金は減るが貯筋は増える」というキャッチフレーズは学者
 にしておくのが勿体ないセンスだ。

  ところで歳はとっても骨は鍛えられるという。カルシウムを摂るために小魚を食べ牛乳を飲む。
 なるべく毎日シラスを食べる。大根おろしやほうれん草のおひたし等と和える。酒の肴で小魚と
 くるみを和えたものを摂る。生来牛乳が苦手で、飲むとすぐ腸が異常反応するタイプなのだが、
 ヨーグルトでもよいということなのでヨーグルトを飲む(食べる?)ことにした。普通のヨーグルト
 は酸っぱくて、それでなくとも酢が苦手なのでいやいや飲んでいたが、ひょんなことで妻が
 「カスピ海ヨーグルト」の種を入手したことで毎日苦も無く牛乳のカルシウムを摂ることが出来
 るようになった。味はプレーンで、よく出来たカスピ海ヨーグルトはなめらかで食べ易い。
 多少甘味があった方がよいのでマーマレードなどを加える。市販のジャムやマーマレードを戴い
 た時などは加えてみるが、基本は自分で作ったマーマレード。これを作るのは吾輩の役目だ。
 好きなのは甘夏か夏ミカンだが、季節性があるのでグレープフルーツやオレンジなどでも作る。
 少し酸っぱい方が出来上がりがよい。大体甘夏などを5個くらい使うが、出来上がるまでに4
 ~5時間くらいかかる。半日以上掛かる仕事であるが、まず1回作ると4~5カ月はもつので、
 その時は気合を入れて取り組む。
  自家製マーマレードのいいところは、余り固すぎず、また柔らか過ぎず、ヨーグルト用の自分
 好みの固さに作れることだ。

  この間冬至の前日に、お向かいの家から柚子を一山戴いた。柚子湯のために数個、正月の
 おせち用に数個、それでも沢山余るので柚子のマーマレードを作った。ほのかな柚子の香り
 (皮を全部みじん切りにして入れた)がして良いマーマレードが出来た。柚子を下さったお向い
 さんに一壜差し上げたら「まー、大好物!」とおっしゃったとか。来年から柚子ジャム代理製造
 モードになる予感がする。

     
 
                                            (以上この項おわり)
  

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上野・鈴本演芸場で新春初笑い

2011年01月15日 | その他

上野・鈴本の新春寿寄席
  今東京には4つの定席寄席がある。上野・鈴本演芸場、新宿・末広亭、池袋・池袋演芸場、
 浅草・浅草演芸ホールだ。

  わが障害者施設支援ボランティアグループでは、先ず寄席で新春初笑いをした後近くで
 酒席を設け新年会をというのが恒例になっている。
  昨年は浅草演芸ホール。今年は上野・鈴本で新春初笑いを、御徒町の「越後屋」で新年会
 を催すことになった。

    
   
  鈴本演芸場は客席290ほどだが、今日は80名の団体が中央のいい席を独占していた。
 開演間もなくで満員だった。
  正月興業は出し物も多く、時間も早い。値段も高い(大人2,800円シニア2,400円)。
 一ノ席は1月日から10日まで。11日から20日までが二の席である。
 12:00に開場し、開演は12:30から。開場と同時に演芸場前の高座で呼び込み太鼓が打ち
 出される。

    

  前座ではさっき太鼓を打っていた敏助が若いに似ずなかなか立派な高座を務めた。

  出演者は日替わりで、今日は先ず二つ目は鈴々舎風車。次いで、柳家小さん、柳亭市馬、
 林家正蔵、金原亭馬生、林家正雀、鈴々舎馬桜、柳家喜多八、主任は鈴々舎馬風。
  桂才賀の代わりに出た林家正蔵(9代目)は襲名前はこぶ平で、ちっとも貫禄がない。歳を
 経てますます父親の三平に似てきた。それはかまわないが先代の正蔵を知っている眼には
 何とも頼りない。
  紙屑屋、小言念仏など江戸古典落語のあと馬風が落語とも思えない噺で笑わせる。
  もっとも友達のケーシー高峰から「絶対にガンで死なない方法を教える」と言われて3万円
 払ったという話は、おととしもやっていた。少しは新ネタを考えないと(ただ払った金は1万円
 が3万円になっていた。)。
  持ち時間は30分はあるがその3分の1は美空ひばりの歌真似。それも1~2フレーズだけ
 やるので何10曲にもなる。下手な歌でないので一応楽しんだが、噺家でこんなに歌をやる
 のはほかにいないだろう。
  オオサンショウウオみたいな顔貌で、それを売りものにしている。整形を頼んだら「やっても
 無駄です。せいぜい野村沙知代くらいにしかなりません。」と言われたとか。(本気にするぜ!)


  

  この合間に色ものとして傘回し(翁家勝丸)、奇術(ダーク広和)、漫才(大空遊平・かほり、
 ロケット団)などが入るが大したことはない。
  しかし三味線漫談として出演した三遊亭小円歌はよかった。歳の頃なら40前半の歳増。
 長身のすらりとした姿で、艶っぽくて、三味線で都々逸や新内節、サービスで「やっこさん」
 など踊られると、久しくきれいどころの出る宴席から遠ざかっている男どもにはたまらない。
 「三下がり」の意味や、志ん生や〇〇〇の寄席の出囃子をやって見せてくれたりして、なか
 なかよかった。
 「こちらを向いた流し眼がたまらなかった。」と某氏は感じ入っていた。(もっとも小円歌の方
  は「今日は私好みの男は一人もいない。」と言っていた。)

  

  さて、そのあとは「越後屋」で新年会。
   かねて悪徳商人越後屋と悪代官を懲らしめる黄門さまの寸劇を仕立てて、施設慰安訪問
  をやるかという無謀な企画をしたことがあった。既にキャスティングは決まっている。
   越後の肴で越後の酒飲ませる「越後屋」はその悪徳商人と全く関わりがないが、寝た子が
  起こされて大いに盛り上がり、今度の懇親旅行では一場面を試しにやってみようとなった。
  実に楽しみである。

   正月興行の落語を聞くとその年1年は無病息災だという。そのせいか一ノ席は毎年満員の
  盛況とか。
   笑いはとりあえずその時間は人を幸せな気分にする。
   体内ホルモンか免疫物質かなんだか知らないが、活発になるのだろう。笑いのもたらす
  疫学的効果は知られている。
   今日は何となく寿命が1年くらい伸びた気分。
   来週は浅草演芸ホールへ行くので更に1年は伸ばせる。

                                                 (以上この項終わり)

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