◇『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』
著者:ケント・ギルバート(Kent Sindney Gilbert)
2017.2 講談社 刊 (講談社+α新書)
著者はアメリカ・カリフォルニア州弁護士にして日本人・日本文化に関する評論等をものし、
かつTV等でコメンテーターなどを務めているマルチ人間。かねてから著作題名から見て並の日
本人以上に日本を愛していて、反射的に日本につらく当たる外国、主として韓国、中国、北朝
鮮などにきつい言葉を突き付けている御仁ではないかと推測していたが、この度『儒教に支配
された中国人と韓国人の悲劇』を読みほぼその推測は確信となった。
確かに日本はかつて儒教を受け入れて寺子屋などで孔子の『論語』、『四書五経』の素読な
どで儒教の中核となる「仁・義・礼・智・信」といった道徳心や倫理観を身に着けて来たけれ
ども、中国では孔子以前から祖先崇拝の念が強く家族愛やその信義が論語にまとめられた。
中国では公よりも家族愛を上位に置き、「私」や「一族」の利益のためなら法を犯すことも良
しとする風潮へと変化し、文化大革命でこれが決定的となり、社会道徳や公共心は育たない社
会となったと断定している。確かに韓国や中国では一族の結束が固く、コミュニテイやグルー
プでの活動や協力といったことは不得手のようで、これは儒教の特徴かもしれない。
一方日本では罪人も死ねばその罪から解放されると考えるのに中国・韓国では罪人は永遠に
罪人だそうだ。なぜ韓国人や中国人が慰安婦と靖国神社参拝にこんなにもこだわるのか。その
原因が儒教にあるとする著者の解釈も理解できる気がする。
また著者は世界的に見て日本人の行動原理で分かりにくいものとして「和」を挙げている。
聖徳太子の「和をもって貴しと為す」。話し合いでまとまればどんな原理であっても差し支え
ない。無原則のようでも和が優先という考えは論理性を重んじる西洋人には理解しがたいこと
かもしれない。
要はこんな風に日本と同じ儒教の流れを汲む中国、韓国は完全に出口を間違えて「自己中心」
の中国人、韓国人が出来上がったというわけである。こうした日本人の「和」の価値観からす
ると「自己中」の中国・韓国とは永遠に交わることができないのかもしれない。
著者は本書あとがきの中で、「儒教の呪いに支配された国々からの、いわれなき誹謗中傷に
臆することなく、もっと自信と誇りを持ってください。」と言っている。本書の核心は、日本
人は中国や韓国からの理不尽な言いがかりに対しもっと自国の文化・歴史に自信を持って反論
しなさいという叱咤激励にある。
総合的印象としては日本礼讃、中韓誹謗的内容であるが、いちいち納得できる裏付けがあっ
て、標準的日本人である私としては、本のタイトルから右傾的バイアスのかかった内容ではな
いかと幾分気にかかったものの、一安心であった。
著者は今度『ついに「愛国心」のタブーから解き放たれる日本人』を出版した(2017.8)。
(以上この項終わり)