読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

幸田真音の『天佑なり(上・下)』を読む

2013年10月31日 | 読書

◇『天佑なり』―高橋是清・百年前の日本国債― (上・下) 
                        著者=幸田真音 2013.6.10 角川書店 刊

   
 
 

  2000年に『日本国債』でベストセラーを勝ち取った幸田真音はその経歴もあって金融
 ものが多い。その幸田真音がだるま宰相こと「高橋是清」を書いたということで、かねて
 興味があった不世出の財政家たる高橋是清の一生を知る絶好の機会とばかりに図書館
 に予約をした。何百人の順番待ちでやっと手にした2冊は、それこそあっという間に読み
 終えた。
  明治期の傑物は誰であれ幼少のころから俊英で、貧しい中でも刻苦勉励し、若くして国
 家のために身を捧げる。子細に見ると倫理観がどうかといった振る舞いもあるにはあるが、
 それを許して余りあるほどの功績があってマア許せるかといった気分になってしまう。

  高橋是清は幼少の頃よりまことに数奇な育ちをして運命に翻弄されたという感が深い。
 彼の艱難辛苦の様子を知ると、現代のわれわれが口にする、苦学の貧窮のなどといった
 ものはいかほどのものかと思う。
  川村家から高橋家への養子、13歳でアメリカ留学、迂闊に年季奉公契約を結び奴隷の
 ような生活に。1年で帰国。語学力を生かして学校教師をしたり文部省や農商務省の役
 人になったするが、特許制度設立ののちペルーの銀鑛開発で苦汁をなめる羽目になる。
 帰国後請われて日銀に入り、横浜正金銀行支配人として金融制度に精通することになる。
 日銀副総裁の時に日露戦争が起き、戦費調達の公債発行の使命を帯びてロンドンに赴
 き見事成功。1911年日銀総裁となり、後に6度も大蔵大臣を務め、第20代総理大臣にも
 なったが、軍部に睨まれ2・26事件で凶弾に倒れた。享年83。
 
 著者は是清の事案解決能力がいかにして鍛えられていったか、その足跡をかなり克明に
 追っている。とりわけ国債発行には多くの頁を割いているが、青年から壮年期の苦労と人
 脈形成が後のちの活躍の強固な」土台となっている。
  先を急ぎいくらか乱暴な文章のはしょり方をしている部分もあるが、それでも上下二冊の
 大部の作品になっているので先ずはよくまとまったということかもしれない。
 
  是清はアメリカで鍛えた語学力と豊かな人脈で政府筋から懇望される困難な事案に、柔
 軟な発想と現場を知る的確な解決能力を発揮しながらなんとか解決していく。 
  「天佑なり・・・」は日露戦争の戦費調達のために、およそ不可能とされていたロンドン金
 融市場で、英国人シャンドやユダヤ系米国人ジェイコブ・シフなどの助けがあり、1000万
 ポンドの新発日本国債発行を成功に導く。いよいよ明日ロンドンで、明後日ニューヨーク
 で国債が発行されるというその日に、日露の戦況が鴨緑江での勝利など日本優勢に傾き、
 一挙に26倍もの応募があったことを指す。

    昭和恐慌の後国防予算の復活を強要する軍部に財政の抑制を諄々と説く是清に対し、
 軍部の不満は高まる。ついに昭和11年(1937)2月26日未明。軍備膨張の楯になった
 高橋是清はついに陸軍の暴挙に斃れた。

   本書の後半、第一次世界大戦後の戦時バブルの反動と昭和金融恐慌状態が、まさに長
 引くデフレのソフトランディングに悩む現在の日本の財政運営に酷似しているとの指摘が
 あり、これを見事克服した高橋是清の手腕と手法に関心が集まっているらしい。

   「もとより人間は、無一物でこの世に生を享ける。その後、どんな波瀾や苦難に直面しよ
 うとも、所詮自分の始末は自分一個の腕でつけるものだ。その時々で骨惜しみせず、己
 の信ずるままに精一杯生きて、何も残さず、裸で堂々と死んでいけばそれでいい。」
  国の財政問題をライフワークとしてきた著者をして感動させた言葉であろう。不世出の
 政治家高橋是清。少しでもこのような高邁な政治姿勢を持った政治家の到来を待ち望
 む昨今である。

  (以上この項終わり)  

   
 

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坂と霧の都サンフランシスコ

2013年10月27日 | 海外旅行

急勾配の坂に驚く

  9月末のサンフランシスコ。
  日本でも長崎や神戸小樽など港町で坂の多い街はある。
  しかしサンフランシスコの坂には驚いた。坂が急こう配で坂の途中で交差点があったりすると
 赤信号で止まった車はぐぐっと間違いなく少し後退する。35度はあるかという急坂だとドキッとする。
  有名なのはRUSSIAN HILLにあるランバートストリート。急勾配のヘアピンカーブが続く超危なっ
 かしい道路で、これを6人乗りのSUVで下った時は正直実が縮む思いだった。

          

   
ケーブルカーとトロリーバスなど
  サンフランシスコと言えばケーブルカー。とりわけデッキに突っ立ったまま風に吹かれたいというの
 が通らしいが、何しろ人気の路線では乗客が並んでいて辟易する。この急坂をよく昇ったり下ったり
 できるわいと感心する。昔東京でも走っていたトロリーバスや一般のバス(BARTやMUNIMetro)、
  二階建オープンバスなどいろんな乗りものがある。中にはゴーカートの車で街中を走っていたり、昔
 小泉首相がブッシュ大統領と仲良く乗っていたセグウェイの集団走行もあって、交通の妨げになっ
 ていたり、とにかく随分寛容度の高い都市ではある。

          
  パウェルストリート ケーブルカー                     ユニオンスクェア停留所    フィッシャーマンズワーフトロリーターミナル
  
        
  パウェルストリートのターミナル                 トロリー

ユニオンスクェアなどダウンタウン
  泊まったのはホテル・ニッコー・サンフランシスコ。メーシーズ・ユニオンスクェアなどのある
 ダウンタウンの一角で、近くには最近進出したユニクロがあった。裏にはなんと和食系「はな
 膳」があった。
  どこのホテルも同じなのかもしれないが、宿泊客でも一晩$40もの駐車料金をとられる。
  ホテル1階にスタバがあったが、朝は長蛇の列でげんなりした。 
 
         
   ユニオンスクェア        同左            ダウンタウン

            
  ダウンタウン           「はな膳」後ろは日航H   ユニクロ  

   
旧アルカトラス刑務所
  映画「ロック」の舞台となった海上の孤島刑務所「アルカトラス」は、現在は観光化して本島から
 観光船が出ている。本島から1キロ余りで泳いで渡れなくはないが、脱獄しても海水が冷たく保た
 ないのだそうだ。
  港には退役した駆逐艦や潜水艦が観光用に係留されていた。

         
    アルカトラズ島       フィッシャーマンズワーフ船溜まり  ウェルカムセンター     潜水艦Pampanito

フィシャーマンズ・ワーフ
  家人は「絶対クラムチャウダー!」と騒いでいたが、酸味のあるパンをくりぬいた中にクラムチャ
 ウダーを容れた「チャウダー・インナ・サワードウ」をとったものの、持て余し助けを求めていた。

         
       Grotto ここでクラムチャウダー
 
     

ゴールデンゲートブリッジとベイブリッジ
  サンフランシスコと言えば赤い吊り橋「ゴールデンゲートブリッジ」が余りにも有名であるが、
 オークランドと結ぶ「ベイブリッジ」は銀色の当たり前の橋である。
  近くにサンフランシスコジャイアンツのホーム球場がある。大きいホームランは直接サンフ
 ランシスコ湾に飛び込むという話。

       
     Bay Bridge         AT&T Park(S・F Giants)

   (以上この項終わり)

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今ラスベガスは

2013年10月23日 | 海外旅行

◇ ラスベガスの変貌
  ほぼ10年ぶりにラスベガスに。これで3回目になるがこれで最後かも。
  以前はJALが直行便を運航していて、ロサンゼルスを往復するたびにラスベガスに立ち寄って、
 なけなしの金を減らしていたのだが、採算が合わないのかJALも路線を廃止してしまった。
  そのせいだろうか、以前はもっとたくさん見かけた日本人にほとんど出会わなかった。出会うアジ
 ア人はほとんど声高に騒ぐ中国人、台湾人、韓国人。ホテルのフロントでチェックインした時も「コリ
 ア?」と聞かれて、誇り高き日本人はムッとしてしまった。
 いまや斜陽の一途をたどる日本と伸び盛りの新興国の活力差は歴然としている。

       
       ラスベガス夕景(モンテカルロから)                  ラスベガスの朝

    
  ラスベガスの夕景(Aria)

  十年ひと昔とはいうが、ラスベガスも大きく変貌した。
  新しい巨大なホテル&カシノが続々お目見えしたのはもちろんだが、なんといっても大通り(ストリップ)に
 歩道橋が出来たことに驚いた。しかも3本も。今なお横断歩道が何本かあって利用者も多いが、中心部の
 3本のブリッジはほんとにありがたい。歩道橋の上からストリップサイドのホテル&カシノ群や車の流れを眺
 めるのも楽しい。

  今回もNETでホテルの値段と部屋の広さ・アメニティなどを比較し、結局かつて宿泊したことがある「MONTE
 KARLO」にしたのであるが、すぐ近くに「ARIA」というバカでかいホテルが出来ていた。シティセンターのショッ
 ピングモール・エンターテイメントの上に4004室のホテルがある。2009年に8000億円をかけて建設された。

  そのほか新しいホテルと言えば、Trump(旧フロンティア),Planet Hollywood(旧アラディン)   Vdara,Palazzo,Platinum,Elara,Mandarin,Cosmopolitanなどである。

    
   Aria resort&kasino                         Aria resort&kasino

    
    Aria resort&kasino                         Aria resort&kasino

    
  Planet Hollywood                           Elara ヒルトングランドヴァケーションズとポロタワー                   

    
  Bally’s Paris方面を望む                          シーザースパレス前のブリッジ

    
  噴水ショーのベラッジオとコスモポリタン(左)              Aria前のブリッジ

       
   有名なハーレーの飛びだすマシン                   歩道橋からシーザースパレス

    
   前回も面白半分でストリップ大通りに面した10を越えるホテルはもちろん、ダウンタウンやシャトルバスで
 行く中心部から外れたホテルなどのカシノを訪ね、スロットマシンだけは総なめしたことがある。今回もおよ
 そ10ほどのホテルを覗いたが、前回に比べて心なしか客数が少ない感じがした。以前はもっと活気に溢
 れていたのだが。

  マッカラン国際空港は、国内線搭乗ゲート前ロビーにはスロットマシーンが何十台も並んでいる。搭乗前
 の待ち時間に使い残した小銭をつぎ込むお客さんも多い。小生も10ドル使って15分ほどで20ドルほど
 儲けたが換金で2ドルも手数料を取られた。  

                                          (以上この項終わり)

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最近の米国の入国審査・セキュリティチェック事情

2013年10月22日 | 海外旅行

◇ 入国審査は長蛇の列
  12年前の9.11事件以来米国の入国審査が極端に厳しくなったのはご承知の通り。
  つい先ごろ(9月から10月)アメリカ西海岸で動き回った際の入国審査・航空機搭乗前
 のセキュリティチェックの様子で感じたことを御参考までにお知らせします。

◇LAX(ロサンゼルス国際空港)で入国審査
  ブログなどでは「入国審査では全米一の厳しさ」などと言われているが、今回はマニュアル
 通りの審査官に当たった。海外旅行ガイドブックなどで「こういう質問があったらこう答えなさ
い」などと書いてある、その通り。「旅行の目的は何か」、「どれくらい滞在するのか」、「滞在先
はどういうところか」、「娘のところというが留学生ではないか」、「食品の持ち込みがあるがど
んなものだ」・・・。
 そして掌紋チェック、光彩チェックで初めてOK。
 3年前の前回は愉快な審査官で、「何だ、二度目の新婚旅行か」、「いや、三度目だよ」など
と調子のいいやり取りをしただけで、「OK,Have a nice stay!」で済んだのに。 
 前々回も宿泊先にまで立ち入ったしつこい聞かれ方はしなかった。今回は3週間という割と
長い滞在だったからかもしれないが、要はどんなタイプの審査官に当たるかということです。
夫婦二人旅の日本人に根掘り葉掘り聞いても始まらないという割り切りが出来る人と、マニュ
アル通りにやらないと気が済まない几帳面な人の違い。 

◇ 搭乗前のセキュリティチェック
 日本を出国する前のセキュリティチェックは、ご存知の通り水気のあるものと刃物は厳禁と
いった割と簡単なチェックでスル―するが、米国内の航空機搭乗前のセキュリティチェックは
けっこう厳しい。
 サンフランシスコへ向かった際、国内線中心のSNA(ジョンウェイン空港)では先ずTSA
(連邦運輸保安局)審査官に搭乗券と写真付きID(パスポートなど)を出して面通しする。
次の担当官の前で手荷物のチェックを受ける(中身までは改めないが、水はないか、パソ
コンは外に出せなどと言われた)。
 次いで金属性のものはもとよりジャケット、靴、ベルト、ボールペンなどあらゆる小物をトレ
―に入れて、次の担当官に引き継がれて円筒形の光学式透過機のようなものの中に立ち、
足を開き、両手を万歳し、凶器などは何も持っていないことを形で示す。
 OKが出ると、ドアが開き次の担当官が待ち構えていて、両足を開き、両手を水平にして
ボディチェックを受ける(もちろん女性には女性担当官がチェックに当たる)。
 「ポケットにある物は何だ、出せ」(小さなメモ用紙)「左のポッケは」(ハンカチ)「後ろを向け」
(上半身の脇とズボンを手で探る)これでやっと解放される。
 小生の顔を見れば気の弱そうな小男なのに、人は見かけによらない、外見だけで判断して
はいけないときつく言われているのか。私の孫を連れた米国人の娘婿は円筒形の透過機も
通らないで脇のゲートからするっと通された。何やら人種差別をされたような嫌な気分だった。
 連邦運輸保安局は今神経質なんだろうと思ったが、サンフランシスコ(SFO)から帰る時は
それほど神経質な取り扱いではなかった。
 さてつぎにラスベガスに向かう際、再度SNAの搭乗前チェックを受けた。前回の記憶が生
々しいので、ポケットのものは全部出してのぞんだ。ボディチエックは省略だった。これは何だ。
 LAS(ラスベガス・マッカラン国際空港)から帰る際のチェックはどうかと言えば、円筒形機械
にも入らずに脇のゲートから出て良いと言われた。一体どうなっているのか。つまるところ担当
官の裁量というか勘というか、怪しくないと思えば通しているということではないか。
 ところでここではどこかのおばさんの手荷物に怪しげな影が映ったらしく、手荷物コンベアが
ストップされ、チェックが一時中断したことがある。おばさんは取り調べを受けて「アイムソーリー」と
謝っていた。 
 いま思い返してみるとSNAの最初の担当官は白人、二度目は黒人、LASではヒスパニック
系だった。ひところアラブ人は随分しつこく扱われて憤慨したとの話はよく聞いた。白人系担当
官はアジア人と見るとアラブ人並みに外見にかかわらず神経質になるのかもしれない。サリン
事件以来日本人も警戒されていると聞く。人種差別だけではないのかもしれない。
 しかし所詮人がやること、入国審査と同様に担当官の「属人的要素」が強く、まずい人に当た
るといやな目に会うことも多いと観念した方がいい。

(以上この項終わり)


った。

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旬の味・茹で落花生を堪能

2013年10月16日 | 畑の作物

採りたて落花生を茹でて食べる
  明日は10年に一回という大型の台風26号が来襲するというので根深ネギの植え床を
 つくった。ついでに植えてある落花生の10株のうち一株を掘った。
  まだまだ小さい房が一杯あるが、これは最後まで大きくなるのを待っているわけにはい
 かない。見切り発車。

   

  けっこう良く実っておよそ1キロ。
  早速良く洗って、たっぷりの水を張った鍋で水から茹でる。
  水が沸騰したら中火にして塩を大匙3~4杯ほど入れて、全体として40分~1時間茹でる。
  火を止めたら20分ほどそのまま蒸らす(放っておく)。

   

  笊にあげ、冷めるのを待ちかねて殻をむく。落花生の実には頭とお尻があって、お尻は丸い。
 頭は烏帽子かフクロウの頭のようにちょっと前に飛び出している。頭の下にえくぼがあるその下
 に(写真の赤い→)親指の腹を当てて押すと簡単に剥ける。

      

  生落花生を茹でて楽しむのは栽培者の特権。家人は一人で一度に300gは食べる。

   (以上この項終わり)

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