読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

弦田英太郎画伯の『黒猫のいる裸婦』を臨画する

2018年02月25日 | 水彩画

弦田英太郎画伯の『黒猫のいる裸婦

  
  clester  F8

 東京美術学校出身の弦田英太郎画伯(1920年生まれ)の裸婦。藤島武二画伯に師事し、舞妓や裸
婦を得意とした先生です。  

 かつて人物画を描く前にお手本としてこの絵を臨画したことがあります。(下に掲示)
いま見直しても汗顔ものの絵ですが当時はこれが精一杯でした。元は油絵なので、一発勝負の水彩画
では限界があります。

 若い女性のみずみずしさが表現できたでしょうか。人体の赤い毛細血管や青い静脈を描くのはとて
もむつかしいものがあります。特に脚などは重力の関係で赤みが違います。丁寧な観察が重要です。

弦田先生はおっしゃっています。
裸婦はあらゆる芸術で、最も困難な題材のひとつである。永遠の象徴として、裸婦の美しさを生涯
 掛けて追求していきたいと思っていま
す。デリケートな肌のにおいや、ふくよかな女体のエロチズ
 ムの中に、
純粋で哀しく、孤独な影がにじむポエジーが欲しい・・・。
  願いつつ黒猫のいる裸婦を描きました。」

デリケートな肌のにおいや、ふくよかな女体のエロチズムの中に、純粋で哀しく、孤独な影がにじ
むポエジーなど、とても表現できたとは思えません。前よりは少しマシになったかなと思いますが…。
また挑戦します。


(原画)

    
(2008.7)  (2007.1

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池井戸潤の『鉄の骨』を読む

2018年02月22日 | 読書

◇『鉄の骨』 著者:池井戸 潤 2011.12 講談社 刊 (講談社文庫)


  

   鉄の骨と言えば鉄骨、つまり建設のことが主題だなということは予想できる。
その業界ではいつの時代でも話題になるのが談合。この業界では格別の陋習で
ある。談合は独占禁止法でいう典型的な公正な競争を阻害する行為。入札談合
禁止法(入札談合等関与行為の排除及び防止並びに職員による入札等の公正を
害すべき行為の処罰に関する法律=平成14年制定)ができても一向に抜けだせ
ない慣行。なぜ談合はなくならないのか。業者が言うように本当に必要悪なの
か。入札談合禁止法ができて紛うかたなき犯罪となった現在もなお談合が行わ
れる風土とは何なのか。これに池井戸潤らしい切り口で臨んだ企業小説が本書
である。

 談合問題を建設業界に焦点を当て、当事者たる建設業者とその社員、与信先
の銀行、うまい汁にありつこうとする政治家、談合フィクサー、談合を暴こう
とする検察をフル稼働させて根深い談合の本質を暴く。そこに中堅ゼネコン一
松建設会社の現場から「談合課」と呼ばれる業務課に異動させられた、まだ社
会人3年の若造・富島平太とその彼女・野村萌(一松のメイン銀行の行員)を
配し、肩肘の張らないエンターテイメントとして仕上げている。登場する人
物にあてる眼差しが優しい。後味が悪くない。さすが池井戸潤である。

 建設会社同士のやり取りはともかく、並行して進む道路族の代議士城山への
黒い金の流れを追う検察特捜の追求劇の方も結構面白い。最後の数ページでこ
の談合未遂事件のからくりが明かされる。その意味でミステリーの要素もある。
内部告発、チクリである。悩ましい行為であるが、内部情報がないとなかなか
解明できない巧妙なシステムを暴くにはそれしかないのかもしれない。昨今の
内部告発者保護への動きを見るとそんな気がするのだ。


                         (以上この項終わり)

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中上健次の『枯木灘』を読む

2018年02月19日 | 読書

◇『枯木灘』 中上健 次  2015.1 河出書房新社 刊

  

  紀州・熊野灘、海と山と川に囲まれた、昔宿場町であった田舎町に私生児として生まれ
 育った竹原秋幸26歳。この小説は秋幸を中心に綴られる。中上<紀州サーガ>のひとつ。

  巻末には相関図がついている。腹違い、種違いの兄弟やいとこなど、狭い土地ながら
 関図がないと混乱するくらい
入り組んだ血縁、地縁の人びとが入り乱れる。
  1976年『岬』で芥川賞を取った中上健次はこの地を題材に、『化粧』、『奇蹟』、
 『千年の愉楽』などいくつもの作品を書いている。『枯木灘』は反復の最終版である。
 『枯木灘』は単なる私小説でも物語でもない。と巻末に「解説 三十歳、枯木灘」を書い
 た評論家柄谷行人は言う。固有名詞を持った人物がその関係性をもって他の作品に生きて
 いるというのである。柄谷は中上を日本近代文学(自然主義文学)の保守本流とする。
  
 実兄の郁男は24歳の時首を縊り死んだ。
 秋幸は腹違いの弟秀雄を殴り殺した。そばには妾腹の従兄の徹しかいなかった。徹は
「逃げろ」と言った。秋幸の耳には「あの男」の呻き声が聞こえた。秋幸は答える「殺
 して何が悪りいんじゃ」26まで育ったこの地からどこへ逃げればよいのか。秋幸は
「あの男」にはっきりと教えてやりたかった。その男の子を別の腹の息子が殺した。そ
 の男の何百年も前の祖先浜村孫一の血が殺したのだ。「すべてはその男の性器から出
 た凶いだった。」
  「その男」とは秋幸の実の父親・浜村龍造。人を殺し、妻ヨシエ以外に秋幸に母
 フサと愛人のキノエに合わせて5人の子を成している。

  併禄された「覇王の七日」は「あの男」と人称代名詞であらわされているものの浜村
 龍
造の夢想である。その男は腹違いの兄に殺された英雄の葬式から7日間暗い部屋に閉
 じこもって、遠い先祖の浜村孫一の姿を何度も見る。狂った血の秋幸と自分の姿も。 

   和歌山県の潮ノ岬から白浜辺りまでの海岸線を「枯木灘」という。(著者ノートにかえ
 て 風景の貌)

                            (以上この項終わり)

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バラを描く

2018年02月14日 | 水彩画

◇ 深紅のバラを描く
 
  
        clester F6

  我が水彩画グループは新年度が2月に始まります。例年定期総会の後は先生がデモンストレーション
 (実演)を行います。普段プロの画家がどんな手順で、どんな筆遣いで絵を描いているのか、なかなか
 見る機会がありません。この日はみんな目を皿のようにしてプロの技術、技法を盗み取ろうと真剣です。

  前回はマーガレット、その前は日本水仙。今回は深紅のバラです。
 先生のデモが終わって、バラ4本を競売しました。その2本を競り落として自宅で描きました。
 バラはむつかしいです。苦手をつくってはいけないと言われていますが、重なり合った花弁をちゃんと
 描かないとバラに見えないので、重なり合った花弁をある程度ちゃんとスケッチしますが、絵具を置い
 ていくうちに重なり具合がおかしくなってしまいまたも落胆。なかなか納得いく絵ができません。

   バラは貴婦人が身に着けるビロードような深紅。この色はなかなか出せません。出ないのでそれに近い
 色をと思いましたが結果はこんな色。

                                   (以上この項終わり)

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中島義道の『私の嫌いな10の人びと』

2018年02月11日 | 読書

◇『私の嫌いな10の人びと』 著者: 中島義道  2008.9 新潮社 刊

  
  
  哲学博士の中島義道先生のエッセイ集。大学で教えている教授であるがご本人はあと
 がきで(タレント)としている。
  ご職業柄哲学的なお話かと思えば、全くそうではなくて日本人の常識としている事々
 について強烈に抗議している本なのである。
  その「事々」の代表が「私の嫌いな10」と思えばよろしい。
  著者は独特の感受性を有していると宣言しているのであるが、大部分の現代日本人が
 好きな人、そういう人だけを「嫌い」のターゲットにしている。

 1 笑顔の絶えない人
 2 常に感謝の気持ちを忘れない人
 3 みんなの喜ぶ顔が見たい人
 4 いつも前向きに生きている人
 5 自分の仕事に誇「誇り」をもっている人
 6 「けじめ」を大切にする人
 7 喧嘩が起こるとすぐ止めようとする人
 8 物事をはっきり言わない人
 9 「おれ、バカだから」という人
 10 「わが人生に悔いはない」と思っている人

 以上10の人たちは一般的に良い人で模範にしたい人のように思います。ところが中島
先生は世の中の大部分の人が常識として容認している、多分10を十分上回る習慣や行動
規範などに一部生理的に嫌悪感を抱いて受け入れ難く、その常識の底に潜む深層心理を
読み解いて、唾棄すべきなれ合い精神を怒っているのです。

 なんにしても中島先生が忌み嫌うのは、「自分の頭で考えず、世間の考え方に無批判
に従う怠惰な姿勢」なのです。そしてそれが日本人の大多数なので怒っているのです。
要するに物事を「よく感じない人」「よく考えない人」で自分の感受性というものがな
くて世間の感受性に漠然と合わせている怠惰な人が嫌いなのです。

 普段お目にかかれないような、横目どころか後ろ目線で物事をとらえているので切り
口が新鮮です。
笑顔の絶えない人」では太宰治の『人間失格』のお道化を思い出しました。
「どうせ死んでしまうのですから」これを聞いたらどんな激しい論争もがっくときて腰
が折れてしまう(常に感謝の気持ちを忘れない人p59)。
専門バカと普通バカの違い、まるで落語を聞いているような面白みがあります。(「お
れ、
バカだから」という人p223)

とにかく一度読んでみてください。

(以上この項終わり)

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