読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

市川市大町公園の池を描く

2021年05月31日 | 水彩画

◇ 緑豊かな大町公園を写生

    
     Arches F6  (荒目)

 北総鉄道の大町駅から300Mほど歩いたところに入口がある大町公園。長田谷津
と呼ばれる谷間に湧水を持つ水路があり、ビオトープとなっています。バラ園や
植物園があり、アスレチックや奥には市川市動植物園もあります。
 この絵は水路の一番奥にある池を描いたもので周囲の斜面にあるうっそうとした
木立が谷津田を取り囲んでいます。
 実は昨年9月に水彩画グループでここで写生会を行いました。その際スケッチし
た絵を取り出し色を置いたものです。人物は少しでも動きがあるものをと思って
加えました。

                          (以上この項終わり)

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コルソン・ホワイトヘッドの『ニッケル・ボーイズ』

2021年05月27日 | 読書

◇『ニッケル・ボーイズ』(原題:NIKEL BOYS)

著者: コルソン・ホワイトヘッド(COLSON WHITEHEAD)
訳者: 藤井 光   2020.11 早川書房 刊


    
 
 コルソン・ホワイトヘッドが淡々とした語り口ながらアメリカの黒人に対する
人種差別の実態に鋭く切り込んだ作品である。時代は少し遡るものの同様に人種
差別を取り上げた「地下鉄道」の方がスリリングで物語性を持っていて、本作は
作者独特の抑制の効いた叙述が残酷な内容にそぐわないような気がしないでもな
い。確かに常軌を逸した虐待のおぞましさには目を背ける思いであるが、アメリ
カではこの少年院だけでなく、刑務所のような施設でも似たような暴力、虐待が
日常的に行われているに違いないと思わせるものがある。
 この作品は前作『地下鉄道』と同様ピュリッツァー賞を受賞した。

 フロリダ州タラハシーにニッケル校と呼ばれる少年院があった。3年前に廃校
となって都市開発用地となったその跡地を、南フロリダ大学考古学専攻の学生が
発掘調査をしたところ、多くの白骨を発見する。肋骨の散弾銃痕、ひびが入って
陥没した頭蓋骨。これはマスメディアの知るところとなり、州当局も調査に入っ
た。次々とニッケル校の隠されたおぞましい実態が暴かれていった。
 
 フロリダ州で実際にあった少年院と、その虐待事件がベースになっているが、
小説としてはニッケル校に収容され、この収容施設の実態を数年間にわたって
実体験したエルウッド・カーティスという黒人の体験談のような造りとなって
いる。
 
 エルウッドは6歳の時に両親がいなくなり祖母に育てられた。真面目で優秀な
少年で、マーティン・ルーサー・キング牧師の演説のレコードが宝物で彼の考え
に心酔していた。
 エルウッドは新任教師の勧めで大学に行けることになっていた。その日エルウ
ッドは大学受講のために11キロ離れた大学に向かっていたが、自転車が壊れてい
てヒッチハイクに頼ったところ偶々乗せてもらった車が盗難車だった。
 車は保安官に停められエルウッドも連行される。側杖を食らったのであるが不
運だったとしか言えない。
 高校では教科書は白人高校のお下がりで、欄外に罵倒語が書き連ねてあった。
先生は教科書のバカげた書き込みを消させた。エルウッドは公民権運動に興味を
持った。1963年に黒人にもバスの席を開放するよう求めるデモが起き、エルウッ
ドの祖母のハリエットも参加した。公民権法が成立しても隔離実態はなかなか進
まなかった。

 エルウッドは罪もないのにニッケル校に送られた。同校は1900年開校した。最
初はフロリダ男子工業学校と言った。日本の少年院と同様の少年の矯正施設であ
る。刑務所や普通の寄宿舎など集団収容施設では所長、寮長のほか総じて親玉や
支配的権力者がいる。ニッケルでは度外れた法治外空間で、管理者による虐待、
不正が常態化していた。 
 ニッケルでは白人と有色人種は建物も区別され処遇も当然黒人棟は劣悪である。
何故なら食料や備品、学用品などは大半を学校理事らに横流ししているから。ま
た理事らは自宅の塗装や掃除なども使用人の如く使っていた。
 エルウッドも友人のターナーは選ばれてこうした作業に携わった。彼らはこれ
を「地域奉仕班」と呼んだ。

 ある日エルウッドは喧嘩を仲裁しているところを指導監督員のスペンサーに見
つかった。ここでは喧嘩両成敗どころか仲裁者も同罪で鞭打ちの刑を受けた。用
務員の気分次第だった。「ホワイトハウス」と呼ばれるお仕置き棟があり、光の
入らない懲罰房、独房がいくつもあった。エルウッドは切り込みの入った皮の鞭
で70回以上打たれ気を失い、校内の病院に担ぎ込まれた。背中や脚の肉が抉られ
Y字の切り込みを入れた鞭のため衣服の布が肉に食い込んでいた。

 州の査察が入った時、エルウッドは施設の劣悪な実態を書き連ねた手紙を書く。
監査官への訴えを躊躇する彼の代わりにターナーが渡してくれた。
 査察官から知らされたのか、エルウッドはスペンサーに呼び出され鞭打たれっ
た。二度目の鞭打ち懲罰は20回 だった。そして独房に入れられた。
 3週間経った時、夜中にターナーがやってきた。明日の夜エルウッドは裏の仕
置き場で殺される予定という。ターナーは「一緒に逃げよう」と言った。

 夜陰に乗じまんまと逃げだした二人は「地域奉仕班」で見知っていた家で自転
車を手に入れてタラハシーに向けて逃走した。
 しかし途中で車で追いかけてきた学校の用務員に見つかり散弾銃に撃たれたエ
ルウッドは死んだ。ターナーは逃げ切った。

 ターナーは亡くなったエルウッドの遺志ーキング牧師の訴えている人種差別の
解消を受け継ごうとエルウッドに成り済ます。そしてニューヨークで引越し屋を
創業し、ミリーという妻を得た。

 ニッケル校の虐待報道をみたエルウッド(実はターナー)は妻に対し自分がニ
ッケルボーズの一人だったこと、エルウッドと逃走し、彼が殺されたので成り代
わって社会での成功を勝ち取ったこと、彼の遺志を実現するためには現地に行っ
てエルウッドの事実を証言し、エルウッドの遺族(祖母は亡くなっていて、娘の
イヴリン)に説明しなければならないと思うと言った。
 妻のミリーは彼の状況のすべてを聞きわかってくれた。

<キング牧師のアピール>
 私たちを刑務所に放り込んだとしても、私たちはあなた方を愛するでしょう。…
だが、これは断言しておきます。私たちは耐え忍ぶという能力によってあなた方
を疲労させ、いつの日か自由を勝ち取るのです。私たちにとっての自由を勝ち取
るだけでなく、あなた方の心や良心に訴えかける中で、あなた方のことも勝ち取
り、私たちの勝利は二重の勝利となるのです。
                        (以上この項終わり)

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家庭菜園のトマト栽培(その3)

2021年05月24日 | 畑の作物

◇ トマトは実を付け始めました

  苗を定植してから4週間たって、今日2回目の追肥を施しました。トマトも
子供ができると食欲旺盛になって、栄養を多く求めるようです。第1果は葉の
7から8枚目の上につきます。大体4・5個付くので、育ちがよくないものいび
なものなどは摘果します。
第1果ができるとそこに栄養が行き過ぎるので全
部摘果を勧める向きがありますが、あまり神経質にならない方が良いという方
もいます。ちょっといびつなもの以外はそのままにしておくのが我が家の栽培
方針です。













 今年も何となく徒長を疑わせる伸びですが、木は太くなってきたのでまあい
いかと思っています。6月の末頃には色付いてきます。
                         
                        (以上この項終わり) 

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吉川英治の『新書太閤記(八)』

2021年05月22日 | 読書

◇『新書太閤記(八)
 
  著者:吉川 英治  1990.7 講談社 刊(吉川英治歴史時代文庫)

  

   秀吉は信長の悲報に接してからもこれまでと変わらない日課を続ける。そして
安国寺恵瓊を介して高松城の解放・毛利軍との和解工作を進めた。信長死去の報
が毛利軍に伝わらないうちに和睦を決めなければならない。
 間一髪、4千の城兵・領民を解放する代わり清水宗治が切腹し馘を差し出すこ
とを条件とする和議案を宗治がのんだ。

 毛利輝元、吉川元春、小早川隆景と和睦の誓書が交わされて2時間後毛利軍は
信長死去を知った。当然毛利側は烈火のごとく怒り、秀吉討つべしの声も多かっ
たが、小早川隆景の冷徹な判断が優位となり結局秀吉軍は高松城解放の後直ちに
姫路城を経て京を目指し、わずか3日で大阪尼崎に到達した。

 秀吉は父の敵討ち、弔い合戦という大義名分を掲げるために信長の3男神戸信
孝の出陣を待っていたが、信孝は一向に動かず、漸く高山右近、中川清秀らの
参戦を得て明智勢に打ち向かった。秀吉は頭を丸め弔い合戦の意気を示した。 
 ついに信孝、長秀の軍が到着し秀吉は総軍指揮官として采配をとることになっ
た。
 明智軍との合戦は天王山。戦略的にここをどちらかが先に取るかが勝敗を分け
ると双方ともわかっていた。先に抑えたのは秀吉軍だった。なぜ明智軍が後れを
取ったか。逡巡が過ぎたこともさりながら、秀吉が姫路を立ってから少なくとも
1週間はかかると踏んだ読みである。日に夜を継ぐまさかの疾風怒涛の足並みで
山崎後に迫ろうとは。明智の最大の誤算だった。

   天目山の両軍の熾烈な闘いが続く。
 作者吉川英治の見方としては、光秀のこの度の戦闘の目的は既に信長を弑した
事で終わっている。天下人となって国を治めようという野望などないので、絶対
に勝って天下を取るという秀吉には勝てるわけがなかった。戦意において負けて
いたのである。

 華々しく決戦をとはやる光秀を比田帯刀、斎藤利三など老臣の諫言もあって重
臣ら十数名で夜陰に乗じ秘かに坂本城を目指したところ、山科の手前の山里で野
伏りに遭い命を落とすことになる。
 坂本城には光秀の妻子など明智の一族を集めた光春が覚悟を告げる。周囲は既
に秀吉軍に囲まれていた。

 光秀の首は本能寺の焼け跡に曝された。
 一時明智軍の手に落ちた安土城も間もなく秀吉軍によって焼かれ、秀吉は自身
の長浜城へと向かい母らの安否を求めたが、石田佐吉(後の三成)の探査によっ
てすでに家族は伊吹の大吉寺に逃れていることを知って迎えに赴く。

 清須会議。
 織田家の宿老の筆頭柴田勝家は 今後の織田家の統領を決め、明智光秀所領の
配分を決めるために清須城に関係諸侯の集合をかけた。議長の勝家は信長の跡目
には次男の信孝を推したが、秀吉は戦死した長男信忠の三法師丸を推した。勝家
は光秀成敗では秀吉に後れを取った負い目があるし、男系長子相続の習いは筋目
であることから無理押しできず結局秀吉の案通りとなった。なお且つ三法師丸の
保護者として上段において信孝、信雄を初め宿老、その他諸侯の挨拶を受けると
いう決定的なダメ押し場面を作られては如何ともし難かった。

 かてて加えて勝家がお市の方との婚姻にかかずらっている間に、秀吉は信長追
悼の大法要を執り行って京都の民心を捉え、まさに信長の偉業を継ぐ人物として
の評価を我がものとしてしまったのである。 
                          (以上この項終わり)


 
   

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水彩で描いた田園のレストラン「アンチーブ」

2021年05月19日 | 水彩画

◇ 田園の中のレストラン「アンチーブ」

   
    clester F4

  先週の金曜日、気温が高く日差しが強い中、かねてから気になっていた田圃の脇に
 ある「軽食・喫茶の店 アンチーブ」を描いてみようと、小さなスケッチブックを持
 って出かけました。
  大津川沿いに広がる稲田の脇を走る農道(とはいえ主として車が便利に使う)脇に
 緑色の屋根を持った小洒落たレストランがあります。6・7台は停まれる駐車スペース
 もあって、時分時には結構客が入っているようです。

  市街地から離れていて周辺には民家がちらほらといった場所で、あえて絵の中では
 省略したものの、目の前の水田には植えたばかりの細い苗が風に揺られていました。
  何本かある散歩道の一つ。これからこの苗はどんどん育ち、秋には首を垂れた黄金
 色の稲穂が波打ち、やがて刈り取られます。

  木立の新緑をもっと丁寧に描きたかったのですが…。

                            (以上この項終わり)

  

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