◇ 『死の島』 著者: 小池 真理子
2018.3 文藝春秋社 刊
澤 登志夫69歳。某出版社で文芸編集者として活躍した。退職後文化アカデミーで
小説の書き方など教えたりして4年を過ごして完全リタイア―した。
そんな澤をほどなく襲った病魔は腎臓がん。そして肺や腰椎まで転移し否応なく死
を強く意識するようになる。
プライド高く生きてきた男が余命を知った時どう感じ、どう行動し、どう始末をつ
けるのか。自分の人生に自ら始末をつけた三島由紀夫、川端康成、江藤淳などを思い
浮かべ自裁、自決の道を探る孤独な老人の苦悩を描いた作品である。
「末期がんの、古稀に近づいた身寄りのない一人暮らしの男」と嘯く澤。人の好き
嫌いが激しく、結構ひねくれたところがある男が、迫り来る死期を前に、年若い教え
子宮島樹里の告白を耳にし揺れ動く澤の心情が痛々しい。
知的で感受性豊かな女性と思って結婚した妻典子は単なるヒステリー。夫を全否定
するだけの女だった。次第にほかの女に向かう澤を娘の里香は妻と共に不潔な父と嫌
悪し、未だに音信不通である。典子とは48歳で離婚した。
まだ妻と離婚する前に知り合って熱烈な関係になった三枝貴美子がすい臓がんで亡
くなったという知らせを妹の久仁子から受けた。貴美子から彼へと託されたアルノル
ト・ベックリーンの絵「死の島」を前に、しばし追憶と死後の世界に思いをはせる。
ー黒々とした糸杉の木々の間に城砦を思わせる建物があり、そこに向かう一艘の小
船に乗せられた白い棺ー
《それはまったく貴美子らしいプレゼントだった。小舟に揺られて、俺も行くことに
するか、と彼は思った。》(69p)
澤の小説教室で傑出した才能を見せた宮島樹里は、敬愛する澤の病を知りなんとか
支えになろうと働きかけ、澤はその素朴極まりない純真な心に動揺するが、病の先行
きを知る澤は何とか深入りしないように心を抑える。何しろ密かに決めた計画があっ
たから。
しかしついに佐久の別荘でのプラン実行を告げた夜。初めて澤は樹里を腕に抱く。
「彼は樹里に近づいた。両腕を伸ばした。筋肉の失われた、細くて情けなくなった腕
と薄く平べったい胸の中に、樹理を柔らかく抱きしめた。」・・・「…俺が死んだら、
俺のことを書け。小説にするんだ。君なら傑作が書ける。間違いない。」樹里はあた
りかまわず泣き声を上げた。
その年の三月の末、かねての計画通り澤登志夫は逝った。誰にも迷惑をかけないよ
うに心を配った誇り高き男としての自決であった。
(以上この項終わり)