読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

第105回太平洋展を観る

2009年05月25日 | 水彩画

国立新美術館で太平洋展
  六本木にある「国立新美術館」で開催中の「太平洋展」(5/13~5/25)を観に
 いった。
  水彩画教室の先生が所属する美術会というだけでなく、教室のお仲間のH氏、
 Mさんが一般の部で初応募ながらお二人とも見事入選。入賞はなかったもの
 の快挙であるので、是非拝見したいということと、この際出展水彩画をはじめ
 各絵画の作品の特徴、手法など先生から解説していただくという移動教室のよ
 うな感じで出かけることになった。

  「太平洋美術会」は今回が105回、前身の明治美術会から数えて120周年とい
 う 歴史ある団体で、小山正太郎、浅井忠、中村不折、石井伯亭画伯などそう
 そうたる巨匠が名を連ねている。
  油絵、水彩画、版画、彫刻、染織の5部門があるが、絵画だけでも数百点が出
 品されており、気に入った作品だけ鑑賞といってもじっくり観ていたら一日がかり
 となる。

  お仲間の作品は50号(1166×910ミリ)。普段教室では6号(410×310ミリ)の画板
 を使っているので、その3倍の大きさというとそれだけで恐れをなしてしまうが、
 この展覧会では出品作品は最低30号かららしいが、50号は小さい方で、殆どは
 100号(1621×1303ミリ)。大きいものは板戸2枚分くらいある作品で、「こんな絵
 はどこに飾るのだろう」と余計な心配をしてしまう。第一これだけの作品を描くと
 なるとそれなりのアトリエカが必要で、「描くときは脚立の登るのかね」などと同行の
 T氏とまたしも余計な心配をした。

  さて、H・M両氏の作品。いずれも教室での勉強の成果が遺憾なく発揮されて
 いて、多少先生からのアドバイスがあったにしろ、立派な出来で、審査員お目に適
 った他の一般作品の中でも傑出している。美術会のS理事から懇切な解説があ
 ったが、目線の置き方がいいとか、緑一色の着彩の中でアクセントの置き方が
 いい等となかなか高い評価であった。

          


       

 一方われらが先生の作品は並みの風景画ではない。毎回入賞されており、今
 回は太平洋美術会105回賞を受賞。

    


  私が気に入った水彩画(一般)を1点ご紹介。


  

  (この項終わり)


   

コメント (4)
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サイコミステリー「森の死神」ほか

2009年05月24日 | 読書
◇「森の死神」(原題:La mort des bois)
 著者:ブリジット オベール(Brigitte Oubert)香川由利子訳1997.6早川書房刊

 いやー 久々に引き込まれました。珍しくフランス作家のサイコミステリー。
 パリの爆弾テロに巻き込まれて目も見えず、口もきけない(耳だけOK)の全身
 麻痺状態の美女に忍び寄る連続殺人魔の影。身動きできない身体にささやく
 触る、針で刺す…。結構気丈で「こんちくしょう、うすのろ(対刑事)」など、言葉
 にできない過激な内心の声が括弧つきで連なるので面白い。こんな状況設定
 は他の小説でも部分的にはあるが、全編この調子なのが珍しくて新鮮。
 しかも連続殺人犯候補者が周りに数人いて、主人公が推理するのだが、意外
 な人物が犯人…。

       

◇昏い部屋(原題:THE DARK ROOM)
  著者:ミネット ウォルターズ( Minette Walters)成川裕子訳1999.7東京創元社刊

  この作家の代表作「氷の家」、「女彫刻人」、「死のひそむ家」などはすでに読
 んでいる。なかなか手の込んだストーリーで少々疲れるが、惹きこまれる。
  今回の作品は自動車事故からの昏睡から覚めた女主人公が、すっぽりと抜け
 落ちた事故直前の記憶と、時折現れる深層記憶像との間で戦くさまが事の真相
 を予感させる。そして周辺に起こる連続殺人。
  どの辺でこの犯罪者を当てることができるかで読者の力量が試されるのかも。
 舞台はイギリス。ウィルトシャー州の片田舎。

          

スペンサ-ヴィル(原題:Spenncer Ville)
  著者:ネルソン デミル(Nelson Demille)上田公子訳1997.6文芸春秋社

  「ゴールドコースト」で初めてネルソンデミルに出会ってファンになった。軽快・軽妙
 な語り口が良かった。これは原書で読まないとほんとの魅力がわからないだ
 ろうと御茶ノ水の「丸善」で分厚い原書を手に入れた。2・30ページ読んだが、
 そのままになっている。なぜか。言い訳は山ほどある。
  物語の舞台スペンサーヴィルは著者の生まれ育った故郷の原風景、古き良き
 アメリカ・・・少なくともヴェトナム戦争前の素朴で自信に充ち溢れていたアメリカ
 のたたずまいが奇跡的に色濃く残っている土地のようだ。
  米国国家安全保障会議のスタッフという要職に上り詰めながら、我を通した
 ために辞職に追い込まれた頑固な元スパイ。 お互いに愛し合っていながら
 も、ヴェトナム戦争がきっかけで疎遠となり、しかし忘れられない女のために生
 まれ故郷に帰ってみれば、かつての恋人は意外にも地元の警察署長となっ
 ている悪ガキの妻に。
  アメリカ現代史をなぞりながら主人公の過ぎ越しかたをなぞり、今に残る古
 き良き時代のアメリカ風景を描き、なおかつ悪徳警察署長に闘いを挑み、恋
 人を苦境から救い出そうとするヒーローの活躍を描いた本書は、エンターテーメントと
 して過不足ない。

         

  (以上この項おわり)

        

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畑では今・・・

2009年05月19日 | 畑の作物

収穫は来月?
 じゃがいもの茎がバラけて来た。まだ黄色くなっていないので収穫はまだだ。
 来月くらいには収穫だろうか。そのころ一番上の孫(5歳)が来れば、イモ掘
りができるのだが。パパが転勤にでもなったら…。

                     

インゲンと枝豆は
 発芽時にはネットを掛けて鳥の攻撃から守った。 
 順調に育っている。まだ実が入るには時間がかかる。
 時間差で3週間後に2度めの枝豆とインゲンを蒔いた。まずまずの生育である。

                   

トマトの支柱立て
 トマトには消毒が欠かせない。マラソン乳剤を噴霧器で散布した。その後敷き
藁をした。これで水分の蒸発と土壌からの病気を防ぐ助けになる。

 トマトは木が40~50センチくらいに伸びたので、支柱を立て、脇芽を丁寧に摘
んで支柱に麻ひもで誘引した。
 既に花芽が着いている。

                   

スイカは如何に
 スイカは子蔓が何本か出てきたので支柱を立て、誘引した。
 親蔓は芽を摘んだ。花芽はまだ。

                      

そらまめ
 1月7日に芽を出したソラマメは大きな鉢にうつしたがそれでも何とも育ちが遅
いので、ついに庭の畑に移植した。しかし時すでに遅し。木の成長は止まり、実
が大きくなってきた。

 同じ日に生まれた孫は順調に、いやそれ以上にぐんぐん大きくなっており、早
くも人見知り。顔を見ては泣き出したりして、気弱な祖父母を困惑させているとい
うのに。
  
             

 (以上この項終わり)
  

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燻製に挑戦

2009年05月17日 | その他
段ボールのスモーカー(燻製器)でつくる
 越後の国小出に住む我輩の愚弟(といっても決して本人が愚か者というわけでは
なくて、単に謙称として申し上げた次第。舎弟の方がいいかも。)がこのほど還暦を
迎えた。「娘や孫が集まる良い機会じゃ」と、我が家においてバーベキューパーティーを開
いた。
 ところが三女の娘婿H君が「燻製をやっては」と、通販で燻製器(スモーカー)を送って
くれた(気が利く~)。当人も最近「くんせい」が気になり始めたところで、チャンスと思っ
たようだ。

  かねて近所の飲み仲間で「燻製」を作ってみようか、という話が出ており、関心は
強かった。どこかで5ガロン缶(一斗缶)を手に入れて、桜のチップはホームセンターで買
って・・・と段取りらしい話までいったが、そのまま宙に浮いていたので、今回の提案
は将に渡りに船。早速準備を調え、バーベキューの前から燻製作りに入った(時間が
かかる)。

 送られた燻製器は段ボール製。段ボールは以外に用途が広く、エッと思うところ
に段ボールが使われていたりする。たしかに加工性から言ったら5ガロン缶より
段ボールの方が良いかもしれない。スモークセットの製造元は「アウベルクラフト」。

                     
  高さ70cm縦・横27cm 下にチップの出し入れ口 上に素材を置く網、吊るす棒がある。

 前回は、チーズ、笹かまぼこ、ソーセージ、塩鯖、鯵の開き、ゆで卵。
 チップは「なら」、「りんご」、「くるみ」材を使った。チップ材は肉に向くもの、魚類に向
くものとそれぞれ香りに特徴があって、素材ごとに選べば出来映えが違うらしい。

  成果はGOOD!。なかなかの評価が得られた。

 さて、まだ「くるみ」のチップが残っていることだし、まだ手がけていない「ベーコン」
に挑戦してみた。
 ベーコンは手間がかかるが前処理がきちんと出来ていないといい製品が出来ない。

 <ベーコン作成手順>
1.前処理段階
 (1)豚のばら肉ブロック(400gくらい)を買い求め、一度熱湯を掛け血合いなどを
    洗い落とす。たっぷりの塩(肉の重さの5・6%)と砂糖少々(2%くらい)
    ・ブラックペッパー、ナツメグなどの香辛料を十分にムラなく丁寧に擦り込む。
 (2)これをジップロックなどビニールの袋に入れ空気を抜いて縛り、冷蔵庫で4・5日
   寝かす。(この間に肉の蛋白質がアミノ酸に変わる。水分が出るので日に1
   回は裏返す)
 (3)肉を取り出し、水洗いの後、水を張った器に入れて5・6時間位かけて塩抜
    きをする。(2時間おき位に水を替える)。
 (4)キッチンペーパーなどでよく水分を拭いて、一晩冷蔵庫で乾かし、1・2時間陰干
    しする。

    

2.燻製経過
 (5)3時間以上「燻製器」にいれ燻す。
 
 (今回はついでに「プロセスチーズ」と「ズワイガニソーセージ」と「甘塩銀鮭」を一緒に燻
  した。)

      
    チーズと魚肉ソーセージ     鮭は水分をよくふき取らないと煙を吸収しない。



   
      準備OK

   
    チップは「くるみ」材

   
    素材から液がたれる。ガード用にアルミホイルを。

 
(6)燻製完了

   
      燻製完了
 
(7)ベーコン試食

           
    ベーコンは絹さやと炒めた  さやえんどうの甘さとベーコンの香りが混ざり合って絶妙の味が・・・

  
(この項終わり)
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湖底に消える「川原湯温泉」

2009年05月16日 | 山歩き

「川原湯温泉」を楽しむ
 「王城山神社」を下り、宿の車で「川原湯温泉」まで送ってもらった。
 王城山神社は、「長野原草津口駅」と渋川寄りにある「川原湯温泉駅」のほぼ
真ん中にある。

 その昔、承久4年(1193年)源頼朝が浅間狩りの折発見したという歴史ある
「川原湯温泉」は2015年には湖底に沈む。

 昭和24年(1949年)の利根川改定改修計画に準拠し、昭和27年に計画発表
された「八ッ場ダム(やんばダム)」のダム地点が1967年に発表されたことによって
川原湯温泉は水没することになった。
 このあと長野原町では強力な反対運動が沸き起こる。何といっても観光資源で
ある川原湯温泉と、関東の耶馬渓と称される名勝「吾妻渓谷」の景観が失われて
しまうわけだ。(その後ダム地点が600m上流に移動し、吾妻渓谷の景勝地の3/4
が残ることになった。)

 計画時に340世帯と言われた川原湯温泉の集落は、度重なる完成時期の先
送りや移転代替地の選定遅れ等もあって域外への移転が続き、現在は僅か1/5
の60世帯とか。
 「川原湯温泉観光協会」に挙げられている温泉宿は、主力の「柏屋」、「高田屋」
を含め9軒だけになった。勢い1月に行われる奇祭「湯掛け祭り」もさびしくなる。
 川原湯の新しい源泉も掘削が成功し、「温泉卵」が作れる高温の泉源が移転地
に登場したらしい。しかしいくら頑張っても「新川原湯温泉」。頼朝由来の川原湯
温泉とは言えない。寂しいことだ。

 たまたま最近(5/11)八ツ場ダムに反対する団体が提訴した国・地方自治体の
このダムに対する公的資金の支出差し止め訴訟な初めての判決が東京地裁で
あった(実はこの利水・治水を図る多目的ダムの利水団体1都5県=群馬・栃木
・茨城・埼玉・東京・千葉で同様の訴訟が提起されている。)。
 50年といえば一昔。計画時と現在では背景環境が様変わりし、都市用水需要
も変化し、治水条件も変わる。計画が遅れれば遅れるほど建設費が増大し、総
工費9000億円と見込まれており、すでに4,600億円が費やされているのである。
 わざわざ地域住民を移転させ、川原湯のような歴史ある温泉や観光資源を損
ないながら作るほどの価値が本当にあるのか。議論のあるところであろう。
 ダム地点が発表されてから50年近い年月がたった。当時20代で反対に立ち上
がった人も既に70代である。度重なる完成時期の先送りで生活設計もたたず、
もうどっちでもいいから早く決めてくれと悲鳴を上げている人もいるらしい。

 川原湯温泉駅まで車で送ってもらった。
 駅舎は懐かしい田舎の駅のたたずまい。2010年にはJR吾妻線の付け替えが
完成し、駅舎も移転の予定。この姿も来年には見られないのかと思うと何となく
かわいそうになる。

      

 駅前に歓迎アーチが立っている。この坂のずっと上に「標高586m」という標識
がある。どうやらダム水面が来る地点らしい(コンクリート重力ダムの堤高116m)。
 歓迎アーチの近くに珍しい茅葺の郷土料理屋があった。すでに廃業しており、
人の気配はない。観光バスが4・5台は駐車できようかという大きな店で、本物
の粉挽き水車がある。もったいないことではあるが客が激減しやっていけない
らしい。

      
 
 宿泊した「高田屋」さんに聞いてみた。いつまでこの旅館をやっていけるのか。
「あと3年くらいでしょうかね。」
 泉質は草津系の含硫黄泉でやや熱目、宿の食事は時期の山菜やこんにゃく
など地元の食材も生かした心のこもった内容で、利用客では人気も高いという
のに残念である。

     
  高田屋さんの玄関にあった頼朝の鎧。「うそ!」
                 五月の節句だから。

   共同湯「王湯」。頼朝の紋どころ「竜胆(リンドウ)」が下がっている。


 新緑はまだ瑞々しく、鳥が賑やかに啼いている。紅葉の頃にはきっときれい
 に色付いているだろう。

 まだ遅くはない。
 みなさん、何とか時間を見つけて、いずれ湖底に沈んでしまう悲運の
  「川原湯温泉」を訪ねましょう


 
 

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