読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

最近読んだ本

2011年08月31日 | 読書

蒼い猟犬 1300万人の人質  著者: 堂場瞬一 
                               2011.4 幻冬舎刊
  
  
  
  警視庁刑事部捜査1課に特別捜査第3係が新設される。そこにまだほん
 の駆け出しの二人の若造刑事が配属される(しかも官舎の幼馴染!)。
 なんという安直。役所の常識として普通あり得ない。
  折しも都下の小学校をターゲットにした給食毒物混入事件が発生。
 犯人から5億円の身代金(?)が要求される。動機は復讐。実は意外な人物
 が犯人だった。
  物語としてはよく出来ているし人物のキャラクターもまずまずだが、如何
 せん「そんなことほんとにあり?」というシーンがよく出て来て鼻白む場面も。

核心(上・下) 著者:パトリシア・コーンウェル 訳者:池田真紀子 
                                    2010.12講談社刊
  
   

  おなじみのNY市検屍局検屍官ケイ・スカーペッタとその関係者(ついに結婚を果たした法
 精神医学者ベントン、ITの天才・姪のルーシー、ケイの信奉者ピート・マリーノなど)がぞろぞ
 ろ登場する。
  毎度のごとくケイとベントンは愛し合っていながら感情的行き違いが多くいらいらし通しで、
 こちらまで「いい加減にせい!」と発破をかけたくなる。
  相次いで起こった殺人事件とケイを貶めようとするTV番組司会者カーリーとベントンの天
 敵ワーナーの二人。ルーシーを騙し陥れたハンナ・スターの行方、真の犯人は誰か。いくつ
 かの事件の絡み合いがなかなかに面白い。結局ケイとベントンは一緒に犯人と対決し見事
 射殺する。事件はクリスマスに大団円を迎える。
  これまでP・コーンウェル作品の翻訳は相原真理子さんが手がけていたが、このところ池田
 真紀子さんの手に。相原さんはどうされましたかね。

泥棒はライ麦畑で追いかける  著者:ローレンス・ブロック 訳者:田口俊樹
                                2001年3月早川書房刊

  

  <泥棒バーニーシリーズ> 泥棒が本業ながら、最近古本屋を副業にしているバーニー
 のところに、なかなか魅力的な女性が現れ、有名な作家の私信がかつてのエ-ジェントから
 オークションに出されようとしている。本人はこの私信が公開されることを望んでいないので
 何とか盗み出してくれと依頼する。
 かつて若かりし自分の人生に大きな影響を与えた作家ということでもあり、早速盗みに行く
 とそこにはエージェントの死体が。
 現場から逃れる途中の部屋から失敬した宝石にはとんだ謂れがあって…。食事友達のレズ、
 その友達、かつてのクライアントの友達とその女性の遊び相手の金持ちおじさん・・・。登場
 人物は多いが、さて犯人は誰か。最後に関係者全員を集めてバーニーが謎解きをして犯人
 を指摘、同席の警官に身柄を委ねるというトラッドなやり口は今時流行らないらないとは思う
 が、本格推理的ストーリーでたまには面白い。
  お気づきと思うがタイトルも内容もJ・D・サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」の訴訟騒動
 をもじっている。

                                                (以上この項終わり)
 

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夏の野菜を描く

2011年08月21日 | 読書

◇ 夏の味覚トウモロコシ

   今回は夏の野菜代表格とうもろこし。しかもこれだけ。
     わが田舎では「とうきび」と言った。家人の母の里では「とっきび」と言ったという。いずれにしても
   トマトと同様トウキビを野菜と見るか果物と見るか難しいところ。野にある「菜」ではなくて、何とな
   く果物的に食べている実態からすると「夏の味覚」か。

   課題は如何にすれば皮をむきたての新鮮さ・みずみずしさを表現できるか。

   先ずは実の色。そして皮。しかも紗の衣のごとき薄皮がトウモロコシらしさを示す。
     焦げ茶のひげもトウモロコシ特徴である。
   (聞くところによるとトウモロコシは薄皮を取らないでそのまま茹でると鮮度とトウモロコシの栄養
   素を保ち美味いのだという。知らなかった。)
  
   これらを間違えないで描けば、描いた絵がトウモロコシであることを間違えられることはない筈。

   ある程度仕上がったところで2歳半の孫Mに「これなんだと思う?」と聞く。「う~ん」と言われたら
   まずアウト。

   なんとか合格した。

   
    CLESTER4F

   (以上この項終わり)

 

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乃南アサ『地のはてから(上/下)』を読む

2011年08月19日 | 読書

『地のはてから』 著者:乃南アサ 2010年11月 講談社刊

  著者乃南アサが初めて石狩の地を訪ねてから構想10年。書き下ろしの本書は北海道最果ての地
 知床で生きた一人の女性を通して大正時代から昭和の高度成長期までの開拓民の生々しい人生を
 描いた一種の時代小説である。

  乃南アサといえば、『凍る牙』を初めとする音道貴子シリーズなどでおなじみであったが、このような
 セミ時代小説も書く器用人であることを知った。
  執筆時期が相前後するが、2009.10刊『ニサッタ・ニサッタ』のネットカフェ難民の若者は実は本書
 の主人公「とわ」の孫に当たるとのこと。読んではいないが最後に北海道で再生する設定になってい
 るという。

  乃南アサは東京生まれのはずであるが、文中の会話は福島弁が多出する(なじみある北海道弁は
 下巻の後半に出てくる)。標準語に方言の振り仮名が付くこともある。まるで山口瞳調である。下巻に
 著者記として「福島県田村地方の方言を調査・記録されている、郡山市在住の渡邉勝美氏にお力添
 えをいただきました。」とある。まさか会話部分をまんべんなく方言調に書き換えて戴いたわけでもあ
 るまいが、会話をここまで忠実に再現する必然性に乏しい。私には大変読み辛い。

  知床の地は訪れたことはないが、斜里町出身の知人がいたし、すぐ近くの清里には妹の家族が住
 んでいたし、網走・弟子屈までは行ったことがあるので満更見当が付かない土地でもないが、ウトロ
 (宇登呂)、イワウベツ(岩尾別)、オトネップ(音遠別)と言ったら最果ての知床に近い。こんなところ
 まで開拓の手を伸ばし、内地の食い詰めもの(失礼)を勧誘していたのだ。
  当時まだ2歳の「とわ」は、借金取りに追われた両親と兄と共に、夜逃げ同然で福島県郡山近郷の
 田舎から青函連絡船で北海道に渡り、鉄道で延々と斜里の街に運ばれ、クマザサと天を覆う木々
 が続く北縁の地に住みつくことになる。
  このイワウベツの原野を切り開く苦労はまさに筆舌に尽くしがたいものとなるが、イナゴの大群にせ
 っかく育ちかけた作物の芽を食い尽され、木の実・草の根を食べながら命をつなぐことになる。
  こうした中とわは山でアイヌ人の少年三吉と知り合う。

  どうしようもないろくでなしの父親は出稼ぎ先で飲み屋の女に入れ上げ、挙句の果て埠頭に落ちて
 亡くなる。そのうち知人の紹介で、母親がイワウベツよりまだましな地ウトロで後添になり、家族は8人
 になる。
  小学校を卒業したとわは口減らしのために小樽の商家に子守として奉公に出る。そのうち奉公先は
 零落し暇を出され実家に戻ったとわは再び2年間子守として奉公に出る。しばらく家の仕事に携わっ
 たとわも18歳になった。嫁入りの話を受けたとわはすっかり青年になった三吉に再会し、互いに愛し
 合っていることを知り結婚を前に思い悩むが、大人が取極めた話はどんどん進み、ついにまともな別
 れも出来ずに嫁に行くことに。

  家を出て町場で働いて稼ごうとする農家の次男坊と一緒になったとわは古着屋で身を粉にして働く。
 そのうち立て続けに女児2人を産んだりして、何とか家計も楽になってきた矢先、夫は召集されて戦地
 へ。実家の兄も義兄も召集令状が来て、帰らぬ人となった。
  そんな中、ある日とわはでんぷん工場近くで乞食同然の三吉に再会する。あれほどまで恋焦がれて
 いた青年は、今や、兵役を逃れるために傷を付けた腕は破傷風で切断され隻腕状態、しかも眼は黄色
 く濁り、歯は黄ばみかつての姿は既にない。とわは一番大切な宝物がたった今泥にまみれたことを知る。

  戦争は終わった。しかし無事に帰ってきた夫は人が変わったようになる。昭和30年に夫は亡くなった。
 子供は家を出て働いているが女の子は時々帰ってくる。
  とわは今度オシンコシンまで開通した道を斜里バスに乗って、久しぶりに母の住む宇登呂に向かう。
 バスの中に戦後開拓民としてイワウベツにやってきたという男がいた。とわは何かと話したがった男を
 避ける。何も知らずにあの地に来た人に、あの苦労をもたらした地の厳しさを語ることはできない。 
  
  本書に特定のモデルはいないそうだ。それにしてもとわも生きていれば現在96歳。
  人はどんなことがあっても生きるしかない。

  (本書表紙の装画は東山魁夷の「緑の窓」である。)

       
              
                                                      (以上この項終わり)

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重量級ノンフィクション『悪魔と博覧会』を読む

2011年08月14日 | 読書

シカゴ世界博覧会と連続大量殺人鬼を描く
 『悪魔と博覧会』(原題:The DEVIL in the WHITE CITY)
                                                                
著者:エリック・ラーソン(ERIK LARSON)
                                            訳者:野中邦子  2006.4 文芸春秋刊

 ノンフィクションの魅力は、事実のみが持つ圧倒的な迫力である。これは単に事実を羅列するだけでは得られ
 ない。ポジションを変え、いろんな角度で事実をためつすがめつしながら描きだす筆力が求められる。歴史的
 事実は資料比較・ルポルタージュ・インタビューなどの手法で不明瞭な状況が埋められていく。とくに有名な歴
 史事実のノンフィクションとなったら、焼き直しではない何かが求められる。

  「歴史を読む面白さは一種の俯瞰であり、小説を読む楽しみの一つは共感だろう。この本はこの二つの魅力
 が混在している。」(訳者あとがき:507p)
  著者E・ラーソンは、19世紀の終わりごろ超大国へのとば口にあった米国の、パリ大博覧会を凌ぐ「世界博」
 への挑戦とイギリスで起きた連続殺人事件(1888年)、ジャック・ザ・リッパー(切り裂きジャック)を凌ぐ大量猟
 奇殺人事件に焦点を当て、この時代を描く。

  「(大博覧会を敢えて引き受けたシカゴの)プライドと底知れない悪(ホームズの連続大量殺人)を並べること
 で人間の本質と野心をくっきりと描きだせるだろうと私は考えた。」(引用と資料:作者の言503p)

  1889年パリ万博はアメリカ人を圧倒した。その大規模さとエッフェル塔を初め工学・科学技術と芸術・文化の
 粋をを集約した世界博に、急速に成長し国際的な地位に自信を持ち始めたアメリカはプライドを傷つけられ、か
 つてない愛国心が燃え上がった。
  コロンブスのアメリカ大陸発見400年を記念しパリ万博に負けない世界博をやろう。何処が一番ふさわしいか。
 首都ワシントンか。文化的にも経済的にも実力ナンバーワンのニューヨークか。歴史がありアメリカ第二の大都市
 となりつつあるシカゴか。はたまた南部の大都市セントルイスか。
  結局7度の投票の末シカゴが勝った。軟弱な地盤と過酷な気象条件を克服しながら巨大な博覧会場を切り開
 き、いくつもの巨大な建築物を設計し構築していく一群の設計(景観と構造・建造物)技師と建築家、途中で亡くな
 ったジョン・ウェルボン・ルート、最後まで博覧会の総合指揮者となったダニエル・ハドソン・バーナム、死ぬまで景
 観維持にこだわったフレデリック・ロー・オームステッド。彼らはアメリカの威信と自らの建築家としての威信をかけ
 てこの難事業に取り組み実現にこぎつけた。完成した通称「ホワイトシティ」は6カ月の博覧会期間中2,750万人
 (最大一日に70万人)の入場者を数えた(当時米国の人口は6,500万人)。
  
  シカゴ万博ではパリ万博のエッフェル塔を凌ぐシンボル施設が模索されていたがなかなか良いアイデアが出ず、
 建築物工事が始まった1892年12月ジョージ・ワシントン・ゲール・フェリスのアイディア「直径75メートルの縦に回転
 するホイール」(大観覧車)に決まった。これはアメリカはもちろん世界をあっと言わせ、会期中20万ドルを売り上
 げた。

  1893年10月に幕を閉じたころアメリカの経済はどんどん悪化し、失業者があふれていた。博覧会の従業員は
 どっと町に溢れ、職と住まいにあぶれた人たちは、空き家となったビルに住みつき、博覧会場は荒廃し建物も火
 災で焼失するものが増えた。最大の功労者バーナムはタイタニック号の沈没で親友を失った後間もなく亡くなった。
 またシカゴ市長ハリソンは閉会式の前日、自分の貢献を正しく評価しなかったと市長を恨んだ狂信的な支持者
 プレンダーガストに自宅において拳銃で射殺された。  

  一方アメリカの連続大量殺人鬼、通称「ホームズ」は本名ハーマン・ウェブスター・マジェット。1884年ミシガン大学
 医学部(解剖学)を卒業。カレッジに入る前18歳でクララと結婚した。在学中から保険金詐欺など悪事に手を染めた。
 彼が初めてシカゴに足を踏み入れたのは1886年8月のこと。年齢は26歳、髪は黒、パッチリとした大きな目、瞳は
 驚くほど澄んだブルー、175センチ70キロで、薄い唇と黒い口髭、極めて繊細な体つきだった。
  シカゴの郊外イングルウッドで言葉巧みにドラッグストアを乗っ取り、そこを担保に金を借り(債務は四の五の言っ
 て払わない)、博覧会目当てのホテルを作る(家具調度品を入れるがこれも払わない)。どういうわけか人は皆この
 おしゃれで、青い目でまっすぐに眼をのぞき込み、親しげに触って誠実そうな言葉で語りかける若い事業家の言い
 なりになったという。人を思いのまま操る口舌はまさに天性のものだったらしい。

  博覧会目当ての宿泊者向けホテル(3階建てで35室ある)は、1階は5軒入る店舗だった。いわゆる「ホームズの
 館」は彼自身が設計したもので、次第に怪しげな構造の建物に変身していく。。窓のない小部屋、ガス噴出口のあ
 る小部屋、窯がある地下室、次々と工事業者を代え大工なども金を払わず首を挿げ替えた。

  一方ホームズは気に入った女性を見つけると言葉巧みに自分の店に雇い、口先だけで結婚する。そしてその財産
 などを手に入れると秘かに館の秘密の部屋で処理し(地下には焼却窯、塩酸の入ったバケットもあった)。また次の
 獲物を探す。このような異様な建物がどうして不審感をも持たれずに建設出来たのか。先ず次々と大工、左官、配管
 工を代え、全体像を分からないようにしたことにある。市当局も防火施設や安全管理に全く関心を持っていなかった
 ことなどがあげられよう。
  ホテル宿泊者も男性はお断り、女性のうち気に入ったのは特別の部屋に泊め、夜密かに訪ね秘密の部屋に誘って
 ガスで殺す。遺体は切断・解剖し、地下で解体処分する。骨格は高い値段で売れるので懇意の業者に売る。死に至
 る過程が堪らない快感らしい。

   しかしホームズの犯罪もフィラデルフィアのベテラン刑事フランク・ガイアの粘り強い捜査でぼろが出始める。
 保険金詐欺でフィラデルフィアの刑務所に収監されたホームズを、殺人の罪で逮捕したい地方検事は、保険金詐欺
 はホームズの助手ピッツェルの死をでっち上げたのではなく、ホームズ自身が殺害した疑いがあると断定。ガイア
 刑事にピッツェルとその子供3人の行方を徹底捜査するよう指示した。1895年6月からホームズの足取りを追った
 ガイア刑事はシンシナティ・インディアナポリス・シカゴ・デトロイトそしてトロントへ。ついにトロントの中心のホームズ
 がかつて借りた家の地下室で2人の子供の遺骸を発見する。捜査開始から1カ月が経過していた。その後漸くシカゴ
 警察の手が「ホームズの館」に及び、ついにおぞましい犯罪現場のすべてが暴かれることになった。
  3人目の子供の遺骸はインディアナポリス近郊のアーヴィントンという小さな町の貸家の暖炉で見つかった。

   博覧会の期間中数十人の女性がホームズの毒牙にかかったと思われる(200人とする説もあった)が、正確な数
 は分からなかった。ホームズは獄中で回想録を3回出版したが、中身は自分の都合のいいように虚実取り交ぜてお
 り、犯行の真相・実態は最後まで分からなかった。 
  
  ジャーナリストのウィリアム・マンチェスターは1932年から1972年までの政治・経済から芸能・風俗まで、アメリ
 カの民衆の目で捉えたアメリカ現代史「栄光と夢」(全5巻)を書いた。膨大な資料調査と詳細な描写で綴った労作で
 あるが、本書も切り取った一時期は短いものの、これに匹敵する大作といえるだろう。

      

                                                (以上この項終わり)


   

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梅干しを漬ける

2011年08月10日 | 料理

◇ 恒例の梅干し漬け
  娘家族らからのしぶといリクエストもあり、恒例の梅干し漬けをした。
   結論から先にいうと、今年の梅干しの出来はこれまでにない出来栄え。
  それはなぜか。しっとりとした果肉はもちろん、塩の塩梅(あんばい:塩加減)
が絶妙で、お店で売ったら
 1個〇〇〇円の値を付けたいほどだ。それもこれも取り寄せた樹成り完熟南高梅が最高の状態で手元
 に届いたことによる。
  梅干しの出来不出来は梅の熟し加減次第ということが良く分かった。

 梅を漬ける
  届いた梅は「樹熟紀州みなべ南高梅」2Lサイズ10キロ。
  熟し加減を見て申し込み順に送られてくる。
  年によって中身が違う。今年は粒も熟し加減もそろっていて満足。少々熟し過ぎて傷んでいるものが
  12個くらいあったが、歩留まりから言ったらこれくらいは想定内だろう。

①梅を丁寧に洗う。

    (不良品)
  
②ヘタを取る。10キロとはいえ並べると大ざる2枚分である。

  

③笊に上げて35度の焼酎で消毒し、同じく焼酎で内側を消毒した樽に並べる。

    
④塩分はこれまでの経験から12%とした。梅10キロに対し塩を1.2キロ使った。
  (西の方では砂糖を入れるらしいがうちでは入れない。)

   
  
⑤塩は先ず底にやや厚めに塩を撒く。その上に梅を並べ塩を撒く。一番上にはやはり少し厚めに撒く。

    

⑥梅の量より重い重しをする。(6キロの重し2個を使った)
   雑菌が入らないようにビニールの袋を被せる。

        

⑦ 4~5日すると梅酢が上がってくる(重しをした状態で5センチくらい)。

  次の<赤紫蘇玉つくり>で出来た赤紫蘇玉を入れ、1週間ほど漬け込む。
  重しは軽くする(6キロを1個にした)。

    

  
 <赤紫蘇玉つくり>
①八百屋で赤紫蘇を買ってきた。この辺で出回るのは群馬県産。一袋190円で5把買った。畑にも立派
  な赤紫蘇が育っていたので採ってきて加えた。その分がほぼ同量あった。

  

②赤紫蘇の葉を枝からとって丁寧に洗う。これが意外と手間を食う。爪と指先がアクで黒くなる。

      

③塩を300グラムほど用意して、ボールの中で赤紫蘇の葉に塩をまぶして、赤黒い灰汁が出るまで揉み
  こむ。
  一旦この赤紫蘇玉を洗って二度揉み揉み込む向きもあるが、我が家では1回で済ませる。

      

    (梅酢を少し入れると真っ赤に染まる)

土用干し
①梅雨が明けて天候が安定したら赤紫蘇を入れて赤く漬かった梅を笊に上げて干す。

   
   
②3回ほど干すが、毎日樽に戻す。一回は夜露にあてた方が良いしわしわが出るとのこと。「梅干しばばあ」
  に例えられるしわしわをどれくらい作るか。これは好み。
 今年は第1回目の後天候に恵まれず、また娘(孫たち)の帰省があったりして、第2回目以降がやっと先週
 の土曜から。かれこれ5回も干した。

③樹上完熟の梅を使った梅干しは仕上がりが上品であるが、干し工程で何回も出し入れするので実が破れ
 ることがある。これは商品にならないので早く食べる自家用に分ける(かれこれ5個ほど破れた)。 

      

④ 出来上がり。梅干しらしい「しわ」が出来た。

   
  
⑤ 赤紫蘇葉じっくりとからからに干して、こまめにミキサーに掛けて「ゆかり」を作る。

    

      (以上この項終わり)

 

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