読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

初めてのパリ(第2話)

2007年10月31日 | 海外旅行

◇詐欺にご用心・パリは魔窟?
 10月4日(木曜日)7時に起き出す。外はまだ薄暗い。窓から見える隣の建物
 は一見するとそうは見えないがオフィスで、こんなに早くからもう働いている人が
 いる。昨日は徹夜だったのかも。

 今日はルーブル美術館中心に周辺を歩くつもりで、9時半頃ホテルを出て、歩い
 てルーヴルに向かった。途中のショウウィンドで、パリ名物「マカロン」を見つけて「忘れ
 ないで買おう」なんて言いながら交差点近くまで来た。
 歩道の右側にある大きな案内板の前で、スペイン人らしい男に呼び止められ
 た。「自分が今どこにいるのか分からないので地図の上で教えてくれ」といっ
 ている。つい親切心を出して一緒に地図に見入っていると、やおら一人の男
 が寄ってき来た。件の「道聞き男」に対し「俺はポリスだ。パスポートを出して見
 せろ」と言った。何んだ、いかがわしい男にチェックを入れているのかと見てい
 たら、「金も見せろ」と言っている。
 ちょっと妙だなと思っていたら、今度は我輩に対し「お前のパスポートも見せろ」
 と言う。フランスの官憲がパスポートを見せろというのだから見せないわけにはい
 くまい。そう思ってパスポートを出して見せた。ところがその警官、その際一緒
 にしてあった紙幣を指して、「持っている金も見せろ。」という。なんで金も見
 せなきゃいけないの? と思ったが、事の成り行きというものはおそろしいも
 ので、見せないわけにはいかなくなった。そうしたら、やおら札を数え始めた。
 いくら外国の官憲が汚れているからといって、パスポートと一緒に金を取り上
 げるとは納得いかない。きっとニセ警官に違いないと結論し、「ノン!」と力強
 く言って、男の手から我輩の札束(?)を取り返しさっさと逃げ出した。後ろも
 振り返りもせずにどんどん歩いて現場から遠ざかった。
 結局偽警官は追っては来なかった。多少ならず通行人はいたのだから、不
 成功に終わった偽警官詐欺劇。深追いして本物の警官に追われたくなかっ
 たのだろう。
 旅行先のトラブル例は外国旅行ガイドにいろんなケースが紹介されていて、「なる
 ほど、そんなときにはこんな対応をすればいいんだな。分かった、気をつけ
 よう。」と思っていたが、よもや自分がこんな詐欺に引っかかるとは、思って
 もいなかった。何よりも如何に巧みな演技とはいえ、自分がこんな詐欺にま
 んまと引っかかったこと、鴨にされかかったことが悔しくて腹が立って仕方が
 なかった。一緒の妻はしばらく足がガクガクして震えが止まらなかったと言っ
 ていた。
 おのおの方、くれぐれもご用心めされい。

 さて、こんな早朝のハプニングのあと、パレ・ロワイヤルを左に見てルーブル美術館に
 入る。さすがにパリで最高の観光スポット。広大な館内は多くの人が右往左往
 していて、目が回る思い。しかも目指すジャンルのフロアに辿り着くのも容易じゃ
 ない。移動時間に時間をとられて、見たい近代絵画まで辿り着くのに右往
 左往してしまった。エレベータや階段を探し、階段を上り下りし、見る前に草臥
 れ果てた。ここはツアーでは必ず見ることになっているので、とにかく「モナリザ」
 や「ミロのヴィーナス」などの前は人だかりが多い。こうした著名な作品は、外国
 の美術展に貸し出ししていることもあり、折角来ても鑑賞出来なかった人も
 いるらしい。

    
      パレ・ロワイヤル           ルーブル美術館            モナリザ

   
      ミロのヴィーナス

  デジカメのメモリーが一杯になったので、昼食がてら一旦ホテルに戻り、ベランダ
 で、途中で買った焼きたてのパリ式サンドイッチとビールで
昼食をとった。

 さて、次はシテ島。先ずはコンシェル・ジュリー(王室管理府)。ここは元々10~14
 世紀のフランス王の居住・執務の館であった。その後ルーヴル宮に王宮が移っ
 たことから王の執務部門特に司法・刑務所が残ることとなったという。革命
 時ここに革命法廷が置かれ、監獄にもなった。およそ2,700人もの処刑者
 が収監された。マリー・アントワネットはもちろんダントン・ロビスピエールもここから処刑
 場に送られた。建物内にはマリー・アントワネットの独房が再現されている。また
 処刑者が処刑場に送られる前の控室には遺髪や鋏が置かれていて、薄
 暗いランプの光の影で、なお一縷の望みを残しながら処刑を待つ者の無念
 が思い起こされ、一挙に当時にタイムスリップしかかってしまう。

   
     ホテルのベランダから      シテ島 コンシェルジュリー             シテ島 ポンヌフ


  
  
 
    マリー・アントワネットの独房            処刑者待機部屋

 
◇見逃せないノートルダム寺院
  随分昔になるが、モノクロ映画時代に「ノートルダムのせむし男」という映画
 があった(今は「せむし」は差別用語に当たるので使われない。)。1956年
 の作品で、鐘楼守カシモドにはアンソニー・クインが、踊り子エスメラルダにはジーナ・
 ロロブリジーダが扮した。美女に思い焦がれるせむし男の叶わぬ恋の切なさ
 に妙に共感した記憶がある。パリの空から地上を睥睨するかのようなガー
 ゴイルがひどく印象的だった。
 塔に登るには並ばないといけない。1時間ほど並んで待った。これでは
 ツアーではなかなか見られないだろう。387段ある階段を一気に上がる。後
 ろから人が来るので休んでなどいられない。息が上がる。とても歳をとっ
 てからはこんなしんどい観光は出来ないぞ。
 塔に上がってみて人員制限の訳が分かった。40センチくらいしかない通
 路を横になって通るしかないのだ。次のグループが待っているので写真撮
 影もそこそこに追い出される。しかしここからの眺めはパリ市街をほぼ俯
 瞰出来るので、欠かせないスポットである。
 
 
  
     ノートルダム寺院      礼拝堂ステンドグラス      塔からセーヌ川・エッフェル塔方面

   
                 ガーゴイル           モンパルナス方面          寺院尖塔基部


   
    サン・ルイ島方面        パリ大学・パンテオン方面             ノートルダム寺院前の家

 ◇サン・ルイ島
  シテ島と橋でつながるサン・ルイ島はこじんまりした島であるが、いまやパリ
  っ子憧れの高級住宅地とみなされている。女優岸恵子もここに住まい
  をお持ちとか。小じゃれたお店がさりげなく店を開いている。
  評判のソフトクリームのお店が見つかったのでバニラソフトを買って食べなが
  ら、トゥールネル橋を渡りカルチェラタンに向かった。
  
  
   
   サンルイ島目抜き通り      サン・ルイ・アン・リル教会        チーズのお店 

 ◇カルチェラタンからパンテオンへ
 
左側にはパリ第三・第四大学(通称ソルボンヌ大学)がある。そのせいか街に
 は学生らしき若者が多く歩いている。地図を見て方角を定めてパンテオン方
 面に歩いたつもりだったが、一本通りがずれたらしく遠回りになってしまっ
 た。おかげでパンテオンには入場出来るぎりぎりのところでシャットアウト。長身の
 黒人のおじさんに冷たくあしらわれてしまった。ここは1758年にルイ15世が
 再建した聖女ジュヌビイェーブの霊廟で、地下埋葬所にはジャン・ジャック・ルソー
 ヴォルテール、ヴィクトル・ユーゴーやエミール・ゾラなどが埋葬されている。
 仕方なく近くのリュクサンブール宮の庭園へ。パリで最も美しい公園の一つとさ
 れている。既に6時を回っているが充分明るい。庭園内に自由の女神像が
 あるというが時間も遅いので「オデオン座」( ヨーロッパ各地の演劇を上演して
 いる。我輩などはつい新宿の映画館を思い出してしまう。)を経由して、
 地下鉄「オデオン駅」から「コンコルド駅」へ。シャンゼリゼ大通りを歩いて何か食
 べようと歩き出したが、全長1880mという距離を歩くといい加減疲れる。
 木立ちにはイルミネーションの電球がついているので、これが点灯するまで我
 慢しようと頑張って歩いた。フランクリン・ルーズベルト駅から本格的に著名なお
 店が並んでいる。8時頃からイルミネーションが点灯し始めたが木立ちのはつ
 いに点灯しなかった。一方食事の方はカフェらしきものばかりで何となく入
 る気もせず、とうとうコンコルド駅まで戻ってしまった。
 シャンゼリゼー大通りからコンコルド広場方向を見ると、最近出来た観覧車が
 ライトアップして光り輝いている。エッフェル塔が出来たときも景観上物議をか
 もし、ルーヴル美術館のガラスのピラミッドのときも散々その当否が問題にな
 った記憶がある。この観覧車は果たして「花の都パリ」のイメージを壊して
 いないのか疑問である。この大観覧車については景観との調和がつい
 ぞ話題になったとも聞いていない。そういえば京都タワーが出来るときも
 景観との調和を欠くか否かで論争喧しかった。今となってみれば多少
 違和感があるものの、左程気にもならなくなった。慣れとは恐ろしい。
 かつて中山道を歩いていて、関ヶ原を越えると途端に弁柄を塗った建物
 が増えて「なるほど関西か。」と訳もなく納得したことがあるが、旧い煉瓦
 造り駅舎を復元し首都にふさわしいものにしようとしている東京駅と、古都
 の玄関口にしては大胆な超モダン駅舎を持つ京都駅。美的感覚に関東と関
 西にそれほど極端な違いがあるとも思えないが、その時々の力関係で思
 わぬ結果を招いてしまうことは間々あるので、仕方ないか。そのうち時間
 が経てば景観に溶け込んで違和感がなくなるのかもしれない。
 しかし、くどいようだが我輩はこれはやっぱりパリジャンの美的センスを疑わせ
 るに充分な代物であると断ぜざるをえない。
  
            
      
   
 カルチェラタンの一角         パンテオン(万神殿)         リュクサンヴール宮庭園

    
       オデオン座           コンコルド広場暮色          シャンゼリゼ大通り

   
     シャンゼリゼ大通り       コンコルド広場の大観覧車

 

 

 

 

 

 

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初めてのパリ

2007年10月26日 | 海外旅行

◇ヴェルサイユ宮殿を訪ねる
 10月3日(水曜日)
 案の定Wベッドは窮屈で安眠できない。ここであと3泊もするのかと思うと何
 とも耐えられない。軽い食事をとった後、フロントで部屋の交換交渉を始めた。
 昨日の女性と担当が替わってなにやら難しそうな感じの若い男性であった
 が、粘り強く頼み込んでいるうちに「2ベッドの部屋があった。ベッドメイクが済
 んだら呼ぶけど、すぐ引越しできるように荷物を片付けられるか。」と聞く。
 「OK、OK、サンキュー・ベリー・マッチ。メフシー(メルシー)・ボクー」。
 新しい部屋は1階下がって4階であったがこのホテルではいちばん良いクラスで
 (その証拠にWebページにはこの部屋の写真が載っている。)部屋にベランダ
 が付いている。精算のときに高い追加料金を請求される恐れもなくはないが
 快適な部屋には代えられない。「パリではベランダつきの部屋はなかなか取れ
 ないときいているけど、ラッキーだわ」と妻は大満足である。
 
 部屋の問題が片付いたので早速予定に従ってヴェルサイユ宮殿へ。先ずは地
 下鉄のチケット自販機でカルネ2人分買う。表示に従って操作していったが、料
 金の紙幣を入れて最後のところで「?」。すぐに駅員が飛んできて「OK」を
 押して「OK」 。何だったんだろう。
 ヴェルサイユ宮殿には地下鉄からは直行できない。「RER」という別の会社
 が運行する郊外電車に乗り換える。乗入れもないし乗越しもできない。改
 めて切符を買うしかないのだ。
 電車が外にでると天候は次第に回復していて、陽が差してきた。40分位で
 到着。10分ほど歩くが、人の群れに付いていけば迷うこともない。

 シェーンブルン宮殿も大きかったがここはスケールがもっと大きいらしい。ここは
 17世紀後半に、太陽王といわれたルイ14世が築いたもので、壮麗な宮殿
 のほかいくつかの泉、運河、フランス式庭園、数多くの彫刻等々が広大な
 敷地に配されており、一日ではとても見切れるものではない。
 早速予め買っておいた「PARIS MUSEUM PASS 4」 を使って入場。日本
 語のガイドイヤホンを借りる。
 説明を聞きながら絵画・天井画などに口をあんぐりと開いて見とれたり、豪
 奢な家具・調度品など備えた部屋部屋を見て回るのに小1時間ほどかかっ
 た。
 世界中の国から見学に来ていることがよく分かる。しかし日本人らしき人に
 は殆ど巡りあわなかった。
 宮殿の次はいくつかの泉、彫刻の数々を見ながら大運河へ、そこからグラン
 トリアノン(ルイ14世が愛人のマントン夫人のための建てた離宮)とプチ・トリアノン
 (マリー・アントワネットが好んで過ごした離宮)まで歩いた。優に3キロはある。プチ
 ・トリアノンは小振りながら離宮としての格式は保ち、しかし必要最小限のもの
 は備えている様子で、なるほどここなら落ち着いて一日を過ごせたかもしれ
 ないと思った。
 へとへとになって大運河まで戻り、例のフランス式サンドイッチと生ビールを買って
 昼食とした。結局用意した絵の道具は一回も出番を見出せず再びパリ中心
 部へ。

      
    ホテルのベランダ         ヴェルサイユ宮殿            鏡の間

  
       天井画             地下鉄動く歩道



 セーヌ川クルーズ
 電車でタワーエッフェルで降り、予て予約してあった「バリー・パリジァン」のセーヌ川
 クルーズに乗る。ツアー客が殆どで案内もイスペイン語でやっている。ガイドイヤホン
 は日本語版もあるが、右を見ろ、次は左を見ろ、今度は右だと面倒なこと
 夥しい。地図を見ながらあれはルーブル、これはコンシェルジュリーと、自分で
 見当をつけた方が手っ取り早い。こちらはモルダウ川クルーズと違って飲みも
 のもケーキも何もなし。船はサン・ルイ島の先で折り返し、およそ1時間ほどで
 クルーズも終わり。セーヌ川は決してきれいというわけではないと聞いていた
 がそう汚いというわけでもない。

 エッフェル塔に登ってパリを見渡す予定であったが、何しろ並んだ行列に恐
 れをなした。これなら凱旋門で見た方が良いと、イエナ橋を渡り、シャイヨー宮
 の脇を通って凱旋門に出た。凱旋門へは横断歩道がなく、地下から行く
 しかない。
 パリには5つの凱旋門があるが、エトワール凱旋門は1806年にナポレオンの戦
 勝記念として建てられたもの。門上から眺めるとパリの大通りがこの凱旋
 門を中心に、放射状に走っていることが手に取るように分かる。

      
    大運河を望む              彫像           紅葉の並木

    
   グラントリアノンの庭園      マリー・アントワネットの応接間    マリー・アントワネットの寝室

   
    セーヌ川クルーズ          アレクサンドルⅢ世橋         パリの恋人たち

   
    ルーブル美術館            凱旋門             シャンゼリゼ大通り

 
 
  

  

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中欧初めての旅(第7話)

2007年10月25日 | 海外旅行

 シェーンブルン宮殿へ
 ウィーン第2日目。昨夜は少し寒くよく眠れなかった。9時に食事をとったが
 ツアー客とは部屋が別なのだが未だ結構混んでいる。今日はシェーンブルン
 宮殿へ。かつて城壁があったところが環状道路になっている。宮殿はそ
 の外にあるので地下鉄U3、U6、U4と乗り継いで行く。
 外は実にいい天気で汗ばむくらいである。宮殿前に「焼き栗」の屋台が
 あって、それを買って頬張りながら広い庭園に入る。今日も若夫婦とは
 別かれての観光。
 彼らは宮殿内の「動物園」へ行ったようだ。後で聞いたらゴリラと、パンダ
 と、トラ・ライオンなどに感動した模様。こちらは焼き栗のおかげで喉が
 渇いて、宮殿内の屋台でメートヒェンから水のボトルを1本だけ買って分け合
 って飲んでいたのに、彼らはちゃっかりとビールを呑んだらしい。

 宮殿内の案内ツアーは1時間くらい掛かる。中世にあって飛ぶ鳥を落とす
 勢いで欧州に覇権を広げたハプスブルグ家。1683年レオポルドⅠ世によって
 建てられた狩猟用建物は、その後女帝マリア・テレジアによってロココ様式の
 宮殿に建て替えられ、公式にウィーン・ハプスブルク王室の夏の離宮とされた。
 シェーンブルン(美しい泉の意)宮殿は1400室という、とてつもない大きさで、
 そのうち40室が公開されている。主としてここで生まれて、68年間在位
 した皇帝フランツ・ヨーゼフにまつわる部屋が多い。「巨万の間」や「鏡の間」
 その他見所が多い。巨大な庭園の奥の小高い丘陵の上にはグロリエッテ
 という建物がありここからのウィーン市内の眺望はすばらしい。
 
 再び市内中心部カールスプラッツ駅に戻り、ハプスブルク家王宮を見学する。
 640年間の栄華の舞台となった王宮は増改築が繰り返され(こちらは
 2,600室とか)たため、各時代の建築様式が随所に見られるという。
 ミヒァエル門から入って、左手に新王宮を見て英雄広場を抜け、ブルク門か
 らマリア・テレジア広場で休憩する。左右にある宮殿は今は美術史博物館と
 自然史博物館になっている。右手には市庁舎トヴオティーフ教会の二本の
 尖塔が見える。
 いい加減疲れて喉が渇いたので、宮殿内の「Caffe Hofburg」で一休み
 しビールを呑んだ。
 明日4人組は別れ別れになる。今晩は最後の夜なので、免税店で「お
 いしい店」と聞いてきたという「金龍飯店」で中華の夕食をとった。味とい
 い、量といい確かに高い評価が出来る店だった。杏酒、老酒も飲んだ。
 
   
    シェーンブルン宮殿正門         園内トラム         大広間(10m×40m)

   
        グロリエッテ        リスの多い森の木立ち     グロリエッテから宮殿と市内を望む

    
    庭園内の木立ち          丘からの宮殿・庭園     王宮内「Caffe Hofburg」

   
     王宮ミヒャエル門           新王宮             美術史博物館
 
 
憧れのパリに立つ
 
 今日はパリに立つ日なので少し早起きして食事。大変な混雑である。二
 人分空いたテーブルがあったので入り込んだ。相席の老夫婦は聞いてみると
   カリフォルニアから来たらしい。娘の連れ合いがカリフォルニアでサンタアナの近くだと
 いうと、「私らは大宮に行ったことがある」と言っていた。
  若夫婦二人は我々より1時間ほど遅い電車でミュンヘンに出る。一緒にチェック
 アウトし、駅に荷物を預けて、空港までの連絡線の駅まで送ってくれた。今度
 会うのは成田空港。パリからの我々の方が20分早く着いていることになる。
 「成田で互いの無事を確かめ合おうぜ。」と誓い合って分かれた。

 今日は何はともあれパリに着いて、予約したホテルに入るということが肝心。
 飛行機に遅れてはいけないので、万が一のことを思ってバスやTAXIを使わ
  ないで鉄道を使ったのに、空港までの専用線は出発が20分後、しかも途
 中で止まったりのろのろ運転だったりで何のことはない30分近く掛かってし
 まった。
 さてエール・フランスのチェックインカウンターを探さないといけない。ターミナルが二つあり
 第2ターミナルだと思っていたら第1だという。第1まで行っても焦って探すとな
 かなか見当たらない。他所の航空会社のカウンターで聞きやっと辿り着いた。
 大きな荷物があるのにエスカレータが故障中。腰痛再発覚悟で長い階段を持
 ち運び、さてお次は妻の・・・と思っていたら見かねた屈強のサラリーマンが軽々
 と持って上がってきてくれた。こんなときのご親切はほんとにありがたい。
 「ダンケシェーン・ビッテ」。

 無事に乗り込んで2時間ほどのフライトでパリ・
ロアシー(シャルル・ドゥ・ゴール)空港に
  到着した。
 ホテルの近くまで行く「ロワシーバス」(8.5ユーロ)が運行しているのであるが、荷物
 が大きいのでは諦めてTAXIを使う。女性ドライバーだったが結構気が荒く、
 「早く行けー!」、「んにゃろ!」といった類のことを口走って運転している。
 でも運賃に程ほどのチップを含めて払ったらちゃんと「メフシー(メルシー)」と言っ
 た。

 さてHotel Heliosはオペラ・ガルニエとサン・トリニテ教会の中間くらいで、少し地
 下鉄トリニテ駅に近い地点に立地している。
 チェックインは40年ぶりに復習したフランス語でと思って、先ずは「ボンジューフ(ボン
 ジュール)マダム」などと挨拶しながら、お次は「予約している○○だが・・・」と
 チェックインしようと思って緊張していたら、妻が予約のバウチャーを持って英語
 で話し始め出番がなくなってしまった。
 「ありゃーなんというこった。」と思ったが、ちゃんと予約が通っていたから、
 まあいいか。
 これで一安心。
 ところが部屋に通ってみるとダブルベッド!。普段寝慣れていないWでは・・。
 と思ったがとにかく疲れていたせいもあって、これまた「ま、いいか。」と一
 旦受け入れてしまった。

 まだ時間も早いので、ちょっと散歩がてらホテル周辺の様子を探ろうと外に
 出た。地下鉄トリニテ駅からサン・ラザール駅、マドレーヌ教会、オペラ・ガルニエまで歩
 いた。
 そのうち喉が乾いたので近くのCafeに入り生ビールを。その先の大通りに
 パリ三越があった。
 百貨店の「プランタン」の地下にスーパーがあり、ホテルにも近い。ビールや水それ
 にサンドイッチ(ここでは長いフランスパンを割って中にいろいろ挟んである。)を
 買い込んでゆっくりとした部屋食でパリの第一夜を楽しんだ。

     
     サント・トリニテ教会        サン・ラザール駅           マドレーヌ教会
  (第7
話終わり)

 

 



 

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中欧初めての旅(第6話)

2007年10月22日 | 海外旅行

ハプスブルク帝国の首都・ウィーンへ
 9月30日(日曜日)朝食を8時にとってTAXIでウィーンまでの列車の始発駅へ。
 良い天気でさほど寒くはない。今日も一等車であるが、座席は1等車も2等
 車も通路を挟んで片側1座席と2座席でゆったりとしている。乗車率も30%
 くらい。

 飲み物とサンドイッチやケーキのサービスがある。折角の列車の旅なのにソフトドリンク
 ではもったいないと食堂車で生ビールを手に入れて車窓の風景を楽しんだ。
 青い空、白い雲、みどりなす木々と草原、そよ風まで伝わってくるような豊
 かな田園風景で、まるでイタリアやスペインの田園を思わせる光景。シューベルト
 の「田園交響楽」を髣髴とさせる。
 国境辺りで係官がチェコ出国とオーストリア入国のパスポートのチェックに回ってくる。
 言われて気がつきました。パスポートのチェック済み印は、鉄道で出入りしたと
 きは電車(汽車?)のえが、航空機で出入国したときは飛行機の絵があっ
 て、出入りは矢印⇒で示してある。分かりやすいね。

 およそ4時間くらいでウィーンに到着した。駅前の「メルキュールホテル」へ直行。電
 車でもいけるが荷物が多いのでTAXIで。
 荷物を置いて地下鉄で4駅ほど乗って中心部に。Stephansplatz駅に降り
 立つと目の前にゴシック建築の「シュテファン寺院」。壁面のレリーフには骸骨の
 絵がある。地下にはカタコンベ(地下墓地)がある。
 寺院の前には中世のオペラ衣装を身に纏ったチケット売りがたむろしている。
 婿どのの配慮で由緒ある「クーアサロン」(ヨハンシュトラウスの像がある市立公園の
 中にある。モーツアルトもここで演奏した。)のチケットを買う。5月にここを訪れた
 Wifeはツアーの自由時間に行きそびれて残念がっていたので大喜びである。
 ウィーンではあちこちでコンサートが催されている。時間に余裕があればじっくり
 と曲目など内容を検討してお気に入りを聞きたいものだ。

 ウィーンの目抜き通り「ケルントナー大通り」のお店などを見て国立オペラ座から
 Karsplatz駅周辺を散歩する。女性らはザッハホテル(Sacher Wien)のザッハ・
 トルテを今食べるか、食事の後食べるかでもめていたが、よく見ると混んで
 るのでまた来ようということになった。(結局食べることはなかった。)
 バフェ形式のレストランで食事をすませ演奏会場へ。B席なのだが団体予約の
 席が多くかなり後ろになってしまう。団体客は概してお行儀が悪く、遠慮
 会釈なく動き回って写真を撮りまくっている。本当に音楽を楽しみに来て
 いる客ばかりではない。
 8:15から10:30までインターバルが30分近くある。第一部、第二部ともモーツアルト、
 シューベルト、ヨハンシュトラウス等の耳に慣れ親しんだ曲が多い。またオペラ歌曲の
 ハイライト部分を聞かせるなどのサービスもあって楽しめた。

 今日は遅くなってシャワ-を浴びて12時過ぎに寝た。

   
   ウィーンヘの列車(1等)        2等車            車窓からの田園風景
 
   
    ウィーンの旅券検査官        ウィーン駅            ウィーンの地下鉄=ノブを引く

    
    シュテファン寺院           ケルントナー大通り           国立オペラ座

   
      カール教会              クーア・サロン             演奏会場
 
       パスポート検査済み印

 

 

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中欧初めての旅(第5話)

2007年10月21日 | 海外旅行

◇世界遺産プラハ城・カレル橋
 ホテルに落ち着いたあと地下鉄A線で市中心部へ。ガイドブックを見て「これが
 食べたい」と目指したレストランが一杯でやむなく近くの小振りなレストランに入る。
 いろんな皿を取って少しずつ味見しようということで、グラタンやシチュウのような
 ものジャガイモ料理などを注文した。どれも味も塩加減も良かった。西洋料
 理も味に満足すると腹も一応納得するようで、次の食事時までは保つ。不
 満足だとすぐに日本食が恋しくなる。
 チェコの一人当たりビール消費量は世界一とのこと。ビールもピルスナー、バイツェン、
 黒ビールといろいろあるがここでも我々はバイツェンをとった。

 食事の後カレル橋からプラハ城へと続く石畳の道ネルドヴァ通りのお店を覗きな
 がらを散策し、城への急坂を登った。城から見晴るかすプラハの街は世界
 遺産の名に恥じない素晴らしさである。木の文化である日本の京都の町と
 石の文化である西洋の歴史的街並みをくらべても、経過した年数が現す歴
 史の重みではちょっと向こうに叶わない。青い空、木々の緑、赤い屋根、白
 い壁、銀色の川面、・・・こうした色彩的華やかさと調和の取れた佇まいは日
 本には見られない。

 婿どのの提案でリヒテンシュタイン宮殿で弦楽四重奏のコンサートを聴いた。スメタナ、
 モーツアルト、ドボルザークなどポピュラーな曲目で楽しかった。

 ここの地下鉄では自販機で切符を買うと機械で時間を刻印し乗車する。有
 効期間(時間?) で値段が違うのが面白い。出る時は勝手。ただ時折検
 札があって有効な切符を持っていないと4倍の罰金を取られる。なおドアは
 降りる人がボタンを押して開ける。障害者には優しくない。

   
    プラハでの食事           プラハでの食事2         プラハでの食事3
   
    プラハ市内遠望            プラハ城正門            コンサート会場
             
    プラハ地下鉄刻時機         地下鉄ドアのボタン                 プラハの教会 

  翌9月29日(土曜日)は自由行動となった。朝の食事はツアー客とは別に
   なっていてゆったりと食事が出来た。驚いたのは日本食が用意されてい
   たこと。
  まさかプラハで日本食のサービスを受けようとは思ってもいなかったのだ。大
   きなジャーにご飯が一杯。味噌汁の豆腐とワカメ、さすがに納豆はなかったが
   沢庵としば漬け。何とも嬉しくて、久しぶりの白いご飯にわが胃袋もしばら
   くは不平は言えまい。

  昨日は遠くから見たカレル橋に向かい、127段の階段で塔に登る。塔の上
   から見えるプラハ城やモルダウ川はまた格別で、観光客でごった返すカレル橋
   の様子が手にとるように見える。
  橋では楽器を奏でる人たち、絵を描いて売る人、手回しオルゴールで稼ぐ人、
   手作り宝飾品を商う人などが橋に立ち賑わっている。

  モルダウ川クルーズに乗った。ビールとケーキ、美術館入場券つきで375コルナ(日
   本円で約2,000円)。チェコはEUには加盟しているが通貨はユーロ導入に至っ
   ていないのですこぶる不便である。ガイドはドイツ訛りの硬い英語で説明し
   ているが客は日本人の我々二人のほかイタリア・スペイン人などでさっぱり聞
    いていない。

  今夜は近くのコンビニでパンやビールを買い込んで、持ってきた「山菜おこわ」
   を作って部屋食。

     
      カレル橋遠望           カレル橋袂の塔          カレル橋の雑踏
   
     
      カレル橋上の芸術家達     クルーズ船の若いガイドさん

  
    

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