読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

トニ・モリスンの『暗闇に戯れて』

2023年12月25日 | 読書

◇『暗闇に戯れてー白さと文学的想像力』(原題=PLAYING IN THE DARK Whiteness and the Literary Imagenation)

   著者:トニ・モリスン(Toni Morrison)
           訳者:都甲 幸治  2023.9 岩波書店 刊(岩波文庫)

    
 本の題名で一瞬サスペンスか何かと誤解しそうになるが、違う。キャザー、ポー、
トウェイン、ヘミングウェイなどアメリカ文学者の作品にみる人種的差別の構造を分
析した批評書である。
 アメリカ文学史の根底にある「白人男性を中心にした思考」形態を鋭いタッチで抉
り出す。

 ”白人ではない、アフリカ的な(あるいはアフリカ系の)存在や人物が想像力の中で
どう構成されてきたのか、そしてまた、こうして捏造された存在が想像力の中でどう
利用されてきたのかを、この研究では堀り下げる。”

 ”文学的想像力においてアフリカニズムが何の役に立ったのか、そしてどのように機
能したのか、というのはもっとも重要な関心事である。なぜなら文学的「黒さ」を詳
細に見ることで文学的「白さ」の性質、そして起源すら発見できるかもしれない。”

    第2章「影をロマン化する」ではE・A・ポーについて語る。アフリカニズムとい
う概念を考える際にポー程重要な人物はいないという。『アーサー・ゴードン・ピム
の冒険』を例に、アメリカ人が旧世界からの脱却と新世界への希望という葛藤の中で、
芸術家が見出したのが黒人と奴隷制社会だったとする。

 また第3章「不穏な看護師たちとクジラたちの親切」ではA・ヘミングウェイの作品
『持つと持たぬと』を例に、彼がアフリカ系アメリカ人に対して何の必要性も欲望の意
識も持ち合わせていないことを説明する。作品の第1部では黒人に名は与えず「ニガー」
と呼び、第2部で直接の対話相手では「ウィスリー」と呼ぶが、語り手としての黒人男
性に言及するときは「ニガー」と呼ぶ。しかしニガーには喋らせないという構造。

 アメリカにおけるアフリカニズムの変容を辿る。それは階級的な差異を構築するとい
う単純で不穏な目的のために用いられてきた。しかし次第に黒人たちは劣っているとい
う憶測や人種間の差異の階層化によって、権力は略奪や支配を合理化し、不正な利益を
獲得し続けることになった。

 著者は小説家でもあるが、本書は評論である。翻訳者は「本書の原文は格調が高く、
豊富な語彙を駆使しながら、華麗な比喩が多く用いられている。内容をしっかり掴もう
とすると、読者は必要な知識を自分で身に着け、著者の論理構造を自分の頭中で再再築
しなければならない」。そこで翻訳者は読者の理解を助けるために次のような基礎的な
論点をあげる。

1.「普遍的な価値観」への問いかけ
  なぜアメリカ文学は白人男性の作品ばかりなのか。文学史の研究者たちは普遍的価
値観に基づいて公正に選ばれた結果よるという。がそれはヨーロッパ男性知識人の価
値観のみが普遍的でありアジア、アフリカ、女性の価値観はそれより劣るローカルな
価値観であるとみるからである。

2.「人種主義」とは何か
 自分の属する人種と違うとされる人々を、異質で、多くの場合理解不能で、なおかつ
劣った存在として見下し、排除するのを人種差別と言い、その源が人種主義である。自
由を求めてアメリカに来ながら、奴隷主になったために、他人の自由や平等を否定する
という矛盾に打克つために、奴隷は自分たちと違う種に属し動物に近い存在であると確
認する必要があったからである。

3.作られた「白人」「黒人」
  人種主義と本質主義、構築主義の説明。黒人、白人という人種主義は奴隷制廃止後も
強く維持された。ヨーロッパや他地域からの移民たちは、自分たちはアメリカ社会の最
下層の黒人たちではない者であると位置づける利益があった。しかしこうして黒人を排
除宣言しても彼らは白人のアメリカ人には入れない。
4.「アフリカニムズ」と「オリエンタリズム」
本書を理解するうえでの最重要概念が「アフリカニムズ」である。黒さを示す概念には、
白人たちの不安がすべて投入された。「黒さのイメージは邪悪かつ保護的で、反抗的か
つ寛大で、恐ろしくかつ好ましくありうる―自己矛盾した性質を全て兼ね備えているの
だ」(93p)。またそれは「オリエンタリズム」のアメリカ版であるというのが筆者の
理解である。

5.「言説」による支配のかたち
 かつてヨーロッパ人たちは長年中東のイスラム教徒たちを政治的、軍事的、文化的勢
力として恐れてきた。その後強大な力を得たヨーロッパ人は彼らの地を植民地化した。
この植民地を支配するための知の体系がオリエンタリズムである。
 ノベルが主体であったヨーロッパの文学世界と、冒険、奇想、恋愛主体のアメリカ文
学のロマンの世界の違いはなぜ起きたのか。奴隷制を踏まえた現実世界を描くことが作
家にとって好都合だったとするのが筆者の見方である。

 6.『サファイラと奴隷娘』
 1873年生まれのウィラ・キャザーは20世紀前半においてヘミングウェイやフィッツ
ジェラルドなどと肩を並べる活躍をした女性作家である。1940年に出版された本書の
舞台は南北戦争前のバージニア。奴隷主の曾祖母がモデルである。奴隷主の娘として
育ったサファイアの夫は奴隷廃止論者、召使の奴隷ティルの娘ナンシー(白人の血を
引いていてやや色白)を好ましく思っている夫に嫉妬したサファイアは夫の親族であ
るマーティンを屋敷に招きナンシーを襲わせようとする。サファイアにとって奴隷主
と奴隷は絶対的上下関係と信じているので、対等な関係として扱う夫を赦せない。み
んなマーティンの企みを知っているが、奴隷たちはナンシーを助けようとしない。肌
の色からナンシーに見下されていると思っているから。
 結局ナンシーを救ったのはサファイアの娘レイチェルだった。彼女は父親と同じく
奴隷制を憎み、奴隷制反対論者のネットワークを使ってナンシーをカナダに逃がした。 


<モリスンが変えたこと>
 『サファイラと奴隷娘』は現実逃避的作品として読まれていたが、本書をきっかけに
人種関係に鋭いメスを入れた作品として興味を持たれるようになった。

<本書の題名『暗闇に戯れてー白さと文学的想像力』の意味
 暗闇でちらちらと揺らめき、戯れるものとは何か。暗闇とは、強烈な光を放つアメリ
カの社会、文化において影となっている、死角としての領域である。そうした暗闇に目
を凝らしてみると、数百年前からいたにも関わらず、いない存在として扱われてきた黒
人たちが押し込められている。そしてまたその領域には白人たちの心の中にある暗い部
が投影されている。アメリカにおける、輝かしい白さが保証されてきたにもかかわらず、
だ。
 
                           (以上この項終わり)
   

 

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みかんを描く

2023年12月16日 | 水彩画

◇ 我が家の青島ミカン

  
        clester     F6(中目)

 今年は我が家の柿がほとんど実を付けなかった。
 昨年が豊作だったので諦めていたところ、花が沢山咲いたみかんが
驚くほどたくさん実を付けた。
 先週の水彩画教室でみかんを描くというので葉枝付きのミカンを持
って行った。
 店頭のミカンと違って枝と葉を付けただけで新鮮さが伝わってくる。
皮を抜いた姿も捨てがたい。
                     (以上この項終わり)
  

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荒山 徹の『風と雅の帝』

2023年12月13日 | 読書

◇ 『風と雅の帝

   著者:荒山 徹    2023.9  PHP研究所 刊

  
 
    歴代天皇の系列に数えられていない天皇。王政復古、天皇親政を頑なに追い続けた
後醍醐天皇に対抗し「天皇とは何か」を追い求めた「光巌帝」の激動の人生を描いた
歴史小説。

 鎌倉時代から室町時代にかけて、万世一系の天皇家は持明院統、大覚寺統という二
系列の王朝が互いに正当性を主張し合う皇統分裂時代があった。学校の歴史教科書で
もあまり詳細には語られていない。この渦中にあった光厳天皇(量仁帝)に焦点を合
わせ、この時代の幕府の権力構造の波に翻弄された天皇の苦悩を描いたのが本書であ
る。
 作者は数多の史料、文献、著作を跋渉し魅力的な天皇像をヴィヴィッドに描き出し
た。

 皇統分裂は後嵯峨上皇が後深草帝と亀山帝とどちらを後継者にするかを定めないま
ま薨去したことに発する。一時は双方10年を目安に交互に天皇を出し合うという妥
協もあったが、鎌倉幕府が皇位継承に介入し幕府の主導権争いの中でこの二極構造が
臨機応変に利用された。

 鎌倉幕府北條氏を襲った足利尊氏は新田義貞を下し大覚寺統(南)尊治帝(後の後
醐醍上皇)を押した。のちに義貞が京都を支配した時尊氏は量仁帝に「義貞追討の院
宣を出して欲しい。そしたら天皇位に復位させる」と言った。時の幕府の権力争いの
度に皇位が揺らいだのである。

 大覚寺統尊治帝が謀反をおこした。謀反は不成功に終わった。しかし鎌倉幕府は天
皇股肱の臣日野資明を佐渡に流罪としたのみ、天皇お咎めなしとした。

 しかし後醍醐はしたたかである。両統合意を反故にした尊治帝は7年後またも謀反
を起こす。前回無罪放免となった日野俊基らが六波羅探題に捕縛され、尊治帝はいち
早く内裏から逃れ比叡山に潜み、後に笠置山に身を隠し「天皇挙兵」を布告した。
1か月もせずに謀反は潰えた。日野俊基、北畠具行らは斬罪、首謀者の後醍醐は隠岐
に流罪となった。
 幕府は後醍醐の退位と東宮(量仁)の践祚を奏請した。量仁は父帝の院宣によって
践祚し第96代目の天皇になった。

 ところが後醍醐の息子護良親王が吉野で倒幕活動を始めた。しかも後醍醐が隠岐を
脱出して兵を挙げた。京都を守る探題軍は尊氏の裏切りにあい敗走し西に走る。後醍
醐は京都に戻った。これにより量仁帝は「偽帝」であることとなった。
 その後新田義貞、楠木正成の登場などにより鎌倉幕府は滅んだ。これにより武家集
団における離合集散が目まぐるしく、両朝廷は幾度となく綸旨発出を繰り返すことに
なった。

  朝廷の後ろ盾となった尊氏系は権謀術数に長け、平然と持明院統を何度も裏切った。
また後醍醐も裏切られた。
 新田義貞と組む後醍醐は尊氏を討てと院宣を下したが、楠木正成、新田義貞や北畠
顕家は九州に逃れた足利尊氏を攻めた。後醍醐系の軍との攻防中、尊氏から量仁帝に
「義貞追討の院宣が欲しい」と言ってきた。裏切りの尊氏だが、熟慮の末これを呑む
しかなかった。 
  天皇親政に執念を燃やす後醍醐天皇は 量仁の姉を中宮にと勅命を発し、生まれた男
子を次の天皇に、また娘懂子を量仁帝の妃にせよと勅命し両皇統の統合を狙った。

 後醍醐は比叡山に籠城中、二帝の並列となったが間もなく後醍醐の義貞軍が敗北、
後醍醐帝は比叡山を降りた。尊氏は後醍醐に恩義があるから罪は問わないという。
後醍醐は帝位を息子の義良親王に譲り上皇になる。
 またも後醍醐は花山院から姿を消し吉野の賀名生に居を移した。後醍醐帝は延元4年
(1339)に薨去。後継に義良親王を指名した(後村上帝)。

 足利義満の代にようやく世の中が落ち着いてきて天中9年(1392)南北両朝の和睦が
成立した。足利義満が太政大臣に任じられ足利幕府が確立した。

 量仁は、院政も敷かず摂関もおかず天皇親政を始めた後醍醐天皇の強引さにに怯み、
臆し、萎縮してきたものの、果敢にこれを否定し徳を積み政を正す学問天皇が真の天
皇だとし信じ生涯を貫いた。
 禅宗の僧として出家した量仁は丹波の山中常照寺に隠棲。貞治3年(1364)崩御した。
                           
                             (以上この項終わり)
 

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水彩で魚の干物を描く

2023年12月04日 | 水彩画

魚の干物・目刺し

  
     clester  F4(中目)
  前々回の水彩画教室のモチーフは魚の干物。昨年と同様アジの開きとイワシ
 の目刺し。普段は目刺しはもちろんホッケの開きなど好物で良く食べるのだが、
 絵の素材には載ってこない。ましてや高橋由一画伯の超有名な「荒引鮭」など
 は論外。
  目刺しというが店頭に並ぶ目刺しはえらを竹串や藁で刺したのが多い。教室
 では藁は鰓から外されていた。
  新鮮な目刺しは皮肌が光り輝いている。鰓は陽に焼かれてべっこう色になっ
 ている。目にひかりはないが恨めしそうで、じっと見てはいけない。
  竹ざるにヒバなどの枝が敷いてあると色彩的にバランスがよく引き立ったと
 思うがそれは贅沢というもの。
  目の周辺をよく観察し丁寧に描けばよかったと後悔(下手にいじるとかえっ
 ておかしくなること必定)。

                         (以上この項終わり)
  

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パット・パーカーの『女たちの沈黙』

2023年12月01日 | 読書

◇『女たちの沈黙』(原題:The Silence of Girls)

   著者:パット・パーカー(Pat Parker)

   訳者:北村 みちよ    2023.1 早川書房 刊

  
 西洋文学の巨頭ホメロスによるギリシャの「イリアス」という戦争叙事詩
を、奴隷となった女性たちの視点からトロイア戦争の前後の出来事を描いた
長編小説である。

 「イリアス」の主要人物と言えばアキレウスを初めアガメンノンなど男が
主役であるが本書では攻略されたリュルネソスというトロイ近郊の王国の王
妃プリセイスなど女性たちが戦争捕虜として囚われ、戦利品としてギリシャ
連合軍のために働らかされる。リュネソスなど高貴な出の女性は側女として、
その他は奴隷としてトロイを攻める側のために働かされた。

   本書を読むにはまずトロイア戦争を頭に入れておかなければならない。今
から3000年以上前地中海で起きたとされるトロイア戦争は、古代ギリシャの
スパルタ王メネラオスの妻であるヘレネが小アジア北西部(現在のトルコあ
たり)のトロイア王子パリスに誘拐されたことに端を発している。
 ヘレネ奪還のためにメネラオスの兄アガメムノン(ミュケナイ王)を総大
将とするギリシャ連合軍は大船団を組んでトロイ攻略に繰り出した。この戦
争は10年の長きに及んだ。
 
 大筋はプリセイスの一人称により物語られるが、時折アキレウス視点によ
る三人称での語りが挿入され全体の盛り上がりを彩る。同性愛者かといぶか
るほどの親密な関係にあったアキレウスの副官パトロクロスの戦死とアキレ
ウスの嘆きの場面は圧巻である。
 アガメンノンとの確執にこだわったばかりにパトクロスを自身の影武者と
して前線に送り出ししてしまった選択を悔やむアキレウスの悲嘆である。

 ギリシャ連合軍の総大将はアガメンノンであるが、軍で人気があるのは英
雄アキレウスである。
 アキレウスは戦功によりリュルネソスの王妃プリセイスを戦利品として手
にした。総大将のアガメンノンはクリュセイス(アポロン神の神官の娘)を
戦利品とした。神官が娘を返して欲しいと懇願したが拒否した。「娘は返さ
ん。故郷から遠く離れた我が宮殿で生涯過ごしてもらう。日中は機を織り、
夜は我が床で眠り、我が子供を産み、やがて歯のない老いぼれたばあさんに
なるのだ、さあ、失せろ」
戦利品の扱いとはこうしたものだった。

 やがて船団の中に疫病が蔓延し、兵士が次々と亡くなっっていく。兵士た
ちはアガメンノンがクリュセイスを返さなかったからアポロン神の怒りに触
れたのだ。姫を返した方が良いとアガメンノンに迫る。
 アキレウスも「疫病とトロイ兵と両方とは戦えないからいっそのこと、俺
たちは故郷へ帰った方がいい」という。
 アガメンノンもこうした声に対抗できなくなりクリュセイスを返せざるを
得なくなったが、総大将の戦利品がないのはおかしい、代わりにアキレウス
の戦利品プリセイスを寄越せと無理難題を投げかけた。

 アキレ
ウスは気に入っていたプリセイスを手放す。しかし拗ねて戦闘に加
わらない。
 勇者アキレウスがいないと戦士らは戦意が上がらずアガメンノンを責める。
ついにアガメンノンはプリセイスをアキレウスに返さざるを 得なくなった。

 堪りかねた アガメンノンが、プリセイスを返すから戦列に戻ってくれとプ
ライドを押し殺し折れてきたのに、アキレウスは断った。副官のパトロクロ
スはアキレウスの真意を質すが、彼は真意を明かさない。仲がいい二人の間
に微妙な雰囲気が醸される。この間の二人のやり取りと心理描写が素晴らし
い。

 しかしアキレウスが拗ねてる間に戦況はトロイア軍が優勢となり、ついに
アキレウスの副官パトロクロスがアキレウスの甲冑を纏い影武者となってト
ロイア軍と対峙するという奇策で臨むこととなった。
 しかしパトロクロスはヘクトルと戦い非業の死を遂げる。
 愛するパトロクロスを失ったアキレウスは影武者案を受け入れた自分を責
め、慙愧の念に苛まれ何日も死骸と共に部屋に籠る。

 5日も経ち、やがて気が落ち着いたアキレウスはパトロクロスの弔い合戦
とばかりに母のアテナ(海の神)に貰った新しい甲冑を身に着け、トロイア
の総大将ヘクトルと対決する。
 アキレウスと対決したトロイアの最後にして最大の防御者、ヘクトルは死
んだ。リュルネソスから奴隷として連れてこられた女たち、洗濯小屋の女も
機織の女たち病小屋の
女たちもトロイアの末路を知り落胆した。

 戦闘がトロイアの敗北で終わってしばらくしてヘクトルの父トロイアの王
プリアモスがヘクトルの遺骸を渡して欲しいと単身アキレウスを訪れた。
 涙ながらに懇願する父親の姿に感じ入ったアキレウスは戦車の車軸に結わ
え付け陵虐した遺骸をプリセイスと共に洗い清め、王の息子らしい身繕いを
させた。
 プリセイスは荷車のヘクトルの遺骸の脇に潜み脱出を図るがトロイアに戻
ったところで再び戦争に負け奴隷に逆戻りするだけ、束の間の自由を味わう
ことにそれほどの価値があるのかと思いアキレウスの小屋に戻る。

 「なぜ戻って来たんだ」アキレウスは初めから知っていたのだ。
 「わかりません」ほかにどう答えていいのかわからなかったプリセイスは
そう答えた。
 二人は初めて同じ卓で向かい合って食事をした。
 

 アキレウスは葬送競技会を含む11日間だけトロイア軍がヘクトルの葬儀
のため休戦することをオデッセウスやアガメンノンに納得させた。

 アキレウスは父ペレウスと海の女神アテネの間の唯一の息子。母は彼が
7歳の時に海へと去った。母は偶にしか現れない。

 ある朝アキレウスは目覚め、つわりに喘ぐプリセイスから自分の子を身籠
ったことを知らされる。
 アキレウスは副官のアルキモスに「俺が死んだらお前が父親になって、お
腹の子を俺の父親の元に連れて行って欲しい」と頼む。 
  

 そして再びトロイアとの戦い。アキレウスはトロイア王国の王子パリスに
肩甲骨の間を毒矢で射られ死ん
だ(唯一の弱点踵の上の腱という説もある=
アキレス腱)。

 ギリシャ軍がトロイアに火を放って勝利した夜、祝宴の主賓はペレウスの
下で育ったアキレウスの息子ピュロス。父と共に戦うことを望んでいたのに、
すでに父は亡くなっていた。
 彼はプリアモスを倒した。その栄誉でプリアモスの娘を生贄とし父の埋葬
塚で殺す。
 プリアモスの妻ヘレネはオデュッセウスの、ヘクトルの寡婦はピュロスの戦
利品とされた。

それにしても沈黙しているのがWOMANではなくGIRLSなのが意味深である。
 
 よく知られた「トロイの木馬」を含むトロイア陥落後の出来事をやはりプリ
セイスの視点から描いたという作品がある。
(2021刊行The Women of The Troy)

                       (以上この項終わり)
 
 


 

  

 

 

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