◇『暗闇に戯れてー白さと文学的想像力』(原題=PLAYING IN THE DARK Whiteness and the Literary Imagenation)
著者:トニ・モリスン(Toni Morrison)
訳者:都甲 幸治 2023.9 岩波書店 刊(岩波文庫)
本の題名で一瞬サスペンスか何かと誤解しそうになるが、違う。キャザー、ポー、
トウェイン、ヘミングウェイなどアメリカ文学者の作品にみる人種的差別の構造を分
析した批評書である。
アメリカ文学史の根底にある「白人男性を中心にした思考」形態を鋭いタッチで抉
り出す。
”白人ではない、アフリカ的な(あるいはアフリカ系の)存在や人物が想像力の中で
どう構成されてきたのか、そしてまた、こうして捏造された存在が想像力の中でどう
利用されてきたのかを、この研究では堀り下げる。”
”文学的想像力においてアフリカニズムが何の役に立ったのか、そしてどのように機
能したのか、というのはもっとも重要な関心事である。なぜなら文学的「黒さ」を詳
細に見ることで文学的「白さ」の性質、そして起源すら発見できるかもしれない。”
第2章「影をロマン化する」ではE・A・ポーについて語る。アフリカニズムとい
う概念を考える際にポー程重要な人物はいないという。『アーサー・ゴードン・ピム
の冒険』を例に、アメリカ人が旧世界からの脱却と新世界への希望という葛藤の中で、
芸術家が見出したのが黒人と奴隷制社会だったとする。
また第3章「不穏な看護師たちとクジラたちの親切」ではA・ヘミングウェイの作品
『持つと持たぬと』を例に、彼がアフリカ系アメリカ人に対して何の必要性も欲望の意
識も持ち合わせていないことを説明する。作品の第1部では黒人に名は与えず「ニガー」
と呼び、第2部で直接の対話相手では「ウィスリー」と呼ぶが、語り手としての黒人男
性に言及するときは「ニガー」と呼ぶ。しかしニガーには喋らせないという構造。
アメリカにおけるアフリカニズムの変容を辿る。それは階級的な差異を構築するとい
う単純で不穏な目的のために用いられてきた。しかし次第に黒人たちは劣っているとい
う憶測や人種間の差異の階層化によって、権力は略奪や支配を合理化し、不正な利益を
獲得し続けることになった。
著者は小説家でもあるが、本書は評論である。翻訳者は「本書の原文は格調が高く、
豊富な語彙を駆使しながら、華麗な比喩が多く用いられている。内容をしっかり掴もう
とすると、読者は必要な知識を自分で身に着け、著者の論理構造を自分の頭中で再再築
しなければならない」。そこで翻訳者は読者の理解を助けるために次のような基礎的な
論点をあげる。
1.「普遍的な価値観」への問いかけ
なぜアメリカ文学は白人男性の作品ばかりなのか。文学史の研究者たちは普遍的価
値観に基づいて公正に選ばれた結果よるという。がそれはヨーロッパ男性知識人の価
値観のみが普遍的でありアジア、アフリカ、女性の価値観はそれより劣るローカルな
価値観であるとみるからである。
2.「人種主義」とは何か
自分の属する人種と違うとされる人々を、異質で、多くの場合理解不能で、なおかつ
劣った存在として見下し、排除するのを人種差別と言い、その源が人種主義である。自
由を求めてアメリカに来ながら、奴隷主になったために、他人の自由や平等を否定する
という矛盾に打克つために、奴隷は自分たちと違う種に属し動物に近い存在であると確
認する必要があったからである。
3.作られた「白人」「黒人」
人種主義と本質主義、構築主義の説明。黒人、白人という人種主義は奴隷制廃止後も
強く維持された。ヨーロッパや他地域からの移民たちは、自分たちはアメリカ社会の最
下層の黒人たちではない者であると位置づける利益があった。しかしこうして黒人を排
除宣言しても彼らは白人のアメリカ人には入れない。
4.「アフリカニムズ」と「オリエンタリズム」
本書を理解するうえでの最重要概念が「アフリカニムズ」である。黒さを示す概念には、
白人たちの不安がすべて投入された。「黒さのイメージは邪悪かつ保護的で、反抗的か
つ寛大で、恐ろしくかつ好ましくありうる―自己矛盾した性質を全て兼ね備えているの
だ」(93p)。またそれは「オリエンタリズム」のアメリカ版であるというのが筆者の
理解である。
5.「言説」による支配のかたち
かつてヨーロッパ人たちは長年中東のイスラム教徒たちを政治的、軍事的、文化的勢
力として恐れてきた。その後強大な力を得たヨーロッパ人は彼らの地を植民地化した。
この植民地を支配するための知の体系がオリエンタリズムである。
ノベルが主体であったヨーロッパの文学世界と、冒険、奇想、恋愛主体のアメリカ文
学のロマンの世界の違いはなぜ起きたのか。奴隷制を踏まえた現実世界を描くことが作
家にとって好都合だったとするのが筆者の見方である。
6.『サファイラと奴隷娘』
1873年生まれのウィラ・キャザーは20世紀前半においてヘミングウェイやフィッツ
ジェラルドなどと肩を並べる活躍をした女性作家である。1940年に出版された本書の
舞台は南北戦争前のバージニア。奴隷主の曾祖母がモデルである。奴隷主の娘として
育ったサファイアの夫は奴隷廃止論者、召使の奴隷ティルの娘ナンシー(白人の血を
引いていてやや色白)を好ましく思っている夫に嫉妬したサファイアは夫の親族であ
るマーティンを屋敷に招きナンシーを襲わせようとする。サファイアにとって奴隷主
と奴隷は絶対的上下関係と信じているので、対等な関係として扱う夫を赦せない。み
んなマーティンの企みを知っているが、奴隷たちはナンシーを助けようとしない。肌
の色からナンシーに見下されていると思っているから。
結局ナンシーを救ったのはサファイアの娘レイチェルだった。彼女は父親と同じく
奴隷制を憎み、奴隷制反対論者のネットワークを使ってナンシーをカナダに逃がした。
<モリスンが変えたこと>
『サファイラと奴隷娘』は現実逃避的作品として読まれていたが、本書をきっかけに
人種関係に鋭いメスを入れた作品として興味を持たれるようになった。
<本書の題名『暗闇に戯れてー白さと文学的想像力』の意味
暗闇でちらちらと揺らめき、戯れるものとは何か。暗闇とは、強烈な光を放つアメリ
カの社会、文化において影となっている、死角としての領域である。そうした暗闇に目
を凝らしてみると、数百年前からいたにも関わらず、いない存在として扱われてきた黒
人たちが押し込められている。そしてまたその領域には白人たちの心の中にある暗い部
が投影されている。アメリカにおける、輝かしい白さが保証されてきたにもかかわらず、
だ。
(以上この項終わり)