◇ 年の暮れご挨拶
馬齢を重ねるごとに一年が飛ぶように過ぎ、あっという間に年の暮れを迎えた。
昨年は長女の息子が中学受験で「家族でお母さんの実家に」というわけにいかな
かった。
今年はカリフォルニアにいる次女の家族は遠すぎておいそれと来られないので、
長女・三女の家族と総勢9人でお正月を迎えることになっている。
親も娘も孫もそれぞれ1歳ずつ歳をとっているが、子供の成長が激しくて、会
話も遊びも昔と違ってきている。「歳は取りたくないもんだ」と思うがそうはい
かない。世の中自分だけ若いままというふうには出来ていないのだ。
今年は人並みに喜寿を迎えた。子供の家族から祝ってもらって嬉しかった。と
りわけ5人の孫たちから心のこもったメッセージと手作りのプレゼントをもらっ
た。何よりの贈り物だった。そうすると次は米寿か?。この子らも成人していて、
もしかすると曾孫まで見られるかも…などと見果てぬ夢で夜も眠れなくなる。
そんなわけで暮れに来柏するみんなのために正月料理を作る。妻は日本古来の
ゆかしきおせち料理を作る。娘らはいつも手伝わなくて食べに来るだけなので、
おせち料理の伝統が継承されるかはなはだ覚束ない。
吾輩は数十年前から二つの料理を作っている。今週築地で買い物をし、翌日か
ら作り始めた。一つは松前漬け風、今一つは鮭のマリネ。
松前漬け風は北海道のするめ、北海道の数の子、須坂市米子のひたしマメ、自
家製割り干し大根、北海道のにんじん、柏の柚子である。松前漬けはふつう昆布
が入るが、ぬるぬるがちょっと食べにくいので入れない。
鮭のマリネは、チリの鮭の切り身、北海道の玉ねぎ、セルリ、柏の柚子である。
つけ汁はサラダオイル、オリーブバージンオイル、沖縄の塩、砂糖、ブラックペ
ッパー、にんにくの摺りおろしである。
新春の華としてピンクのシクラメンが咲き誇っています。
水彩画の格好の題材です。
早くも庭の梅が蕾を膨らませ、春を待ちかねています。
この一年本ブログにお付き合いいただきありがとうございました。
来年からは家庭お菜園として借りていた畑が宅地化されるため無く
なります。庭の1坪で細々と二人分の野菜を作ることになります。
したがってこのブログも水彩画と読書感想文が 主体となりますが、
相変わりませずご愛顧のほどお願いいたしまする。
(以上この項終わり)
◇ 『夜の庭師』 著者:ジョナサン・オージエ(Jonathan Auxier)
訳者:山田 順子 2016.10 東京創元社 刊(創元推理文庫)
カナダ生まれのゴーストストーリーである。カナダ図書館協会児童図書賞を受賞した作品で、
ディズニーで映画化が決定しているという。確かに小学校の中学年あたりには格好のゴースト
ファンタージーであろう。
小説を読んでいると背景の時代設定が気になるのが常であるが、この本ではなかなか時代を
示唆する材料が出てこない。昔話では「むかしむかしあるところにおじいさんとおばあさんが
住んでいました」が定番で、読み手はそれで満足、自分なりの想像で時も場所も設定できる楽
しみがある。この本もその昔話の類かと思っていたら、ナポレオンの話が出て、主人公モリ-
が「それは30年も前のこと」と口走った。そこで判明。1845年ころの話なのだ。このころア
イルランドではじゃがいもの大凶作で100万を超す人々が餓死した。人々は先を争って仕事と
食を求めイギリスに渡ったのである。
主人公のモリ-(14歳)とキップ(11歳)はロンドンに向かう船が難破、両親を失う。やっ
と働き場所を見つけ、1台の馬車を駆ってはるばると働き口のウィンザー屋敷を目指す。
屋敷に向かう道の四つ辻でヘスター・ケトルという語り部の老女に出会う。へスターはウィ
ンザー屋敷の怪異を示唆する。
その屋敷の住人は親子4人。気弱そうなバートランド・ウィンザー。奥様はコンスタンス。
弱い者いじめの長男はアリステア。そして7歳のペネロープ。モリ-は食事と掃除、キップ
は庭仕事を受け持つことになった。
この苔や蔦に覆われた古びた屋敷の傍らには巨木がある。幹や枝が屋敷に食い込み一体と
なっている。この館は夜な夜な強風が吹き荒れ、黒ずくめの帽子の男が徘徊する。この男は
「夜の庭師」。庭に育つ巨木は人々の望みを叶えてあげる力を持つ。しかしその代償は魂の
一部。その木は人々の魂を糧に生きながらえている。ウィンザーの両親は借財を返すために
投機にのめりこみ、返済金と引き換えにに巨木に精気を吸い取られていた。
館には鍵がかかった緑の部屋がある。そこには家に入り込んがだ巨木の幹の大きな洞があ
り、願い事をするとその洞に望みのものが現れる。モリ-とキップはある夜「夜の庭師」
がここで手に入れた魂をじょうろに入れ、ひそかに巨木の根に与えている姿を盗み見する。
主人公のモリ-もキップもとても14歳と11歳とは思えない思慮深さと行動力がある。外
国人はこうも早熟なのかと錯覚しそうになるが、そうではあるまい。物語の登場人物はえて
してそうである。物語を進めていく上でどうしても大人びた言葉や行動をさせなければなら
ない必要があるのだろう。
モリ-とキップは八面六臂の活躍でこの巨木と「夜の庭師」と渡り合い、ついにウィンザ
ー親子を救い、自分たちは「おもしろい物語を聞かせてもらったお礼に、喜んで部屋と食事
を提供してくれる人」たちを求めて、再び語り部としての旅につく。
著者は「著者ノート」の冒頭で、11歳の時に父親に読んでもらったレイ・ブラッドベリの
『何かが道をやってくる』に<夜の庭師>のインスピレーションを得たと言っている。興味
深い。
(以上この項終わり)
◇ 『聖母』 著者: 仙川 環 2008.8 徳間書店 刊
代理出産。重いテーマである。 先に読んだ妻「面白いから」と勧められた。
子どもがどうしても欲しいが、いろいろな身体的事情で子どもが産めない女性が他人
の子宮を借りて出産してもらう。日本では産婦人科学会ではガイドラインで禁じている。
しかし法で禁止されているわけではない。
自分の子どもがどうしても欲しいという願望が昂じてくると代理出産も考える。しか
しそう簡単には行かない。身体的リスクが70%という。代理母が親、配偶者の親、姉妹
や兄弟の配偶者など親戚関係者が絡んでくると深刻な問題を引き起こすことになる。
アメリカあたりの外国で代理母を探すこともあるが、数千万円という高額な費用が掛かる
ために簡単にはいかない。
著者は大阪医大医療系研究科出身で、医療や科学技術系のサスペンス・スリラーが多い。
この作家の作品を読んだのは初めてであるが、結構歯切れが良くて読みやすい。余計な修
辞がない。それでいながら自分の血を分けた子供が欲しいという切実な気持ち、些細なこ
とで苛立ち落ち込んだり高揚したり、自分のわがままな願いで周りのたくさんの人を苦し
めているのではないかという悩み、葛藤をもきちんと書き込んでいる。女性独特の揺れ動
く心理が巧みにとらえられていて「そうだろうな」などと納得したりする。うまい作家で
はないだろうか。
沢井美沙子(主人公)は子宮頸がんで子宮を全剔した。子供が欲しい夫の昭共々子宮温
存を訴えたが、医師は子宮剔出を強く勧め、結局二人は子宮をあきらめた。
美沙子は養子ではなくて自分の子が欲しいという願望が強く、夫も手を焼いている。美
沙子の母厚子は見かねて代理出産を勧める。自分は歳だが(50代)健康だから代わって
出産するという。米国での出産もあり得るが、高額な費用が掛かりとても負担できない。
美沙子の弟康史は子供が二人いる。妻の由紀は義姉の美沙子の悩みに同情はしながらも
リスクのある代理母を受けることには強い抵抗感がある。美沙子は内心若くて健康な由紀
に代理母になってほしいと思っているが言い出せない。
美沙子と厚子は代理出産を手掛ける山本医院を訪ね、厚子の代理出産実施にこぎつけ
る。しかし妊娠後1カ月、厚子は心臓発作を起こし胎児は流産した。失意の美沙子。厚子
は娘の絶望を見るに堪えかねて由紀に頼み込む「家族は助け合わなきゃ」。夫の昭は
「由紀の考えが一番大事だから」と逃げる。美沙子から直接頼まれた由紀は結局代理母を
受けることになる。
山本クリニックで出産の説明を受けた由紀は山本医師のパートナーの女医・内藤に「知
り合いの医師がいるインドでなら500万円位で海外で出産できる。だから義姉の無言の
強制に従うことはない、あなたは出産不適合の身体だということにするから」と諭される。
美沙子は内藤医師の勧めに従いインドの女性を代理母として代理出産をすることにして
インドに渡る。しかし手術を待つうちに(唐突にも)美沙子は突然自分がいかににわが
ままな選択をしていたかを悟り、代理出産を諦めて日本に帰ることになる。ムンバイで
インドの貧困の実態に触れ翻然と悟ったのであるが、ここはいかにも不自然である。
美沙子は日本に帰って内藤医師から「自分がインドで代理母になるから再挑戦してみ
ないか」と申し出でを受ける。やはり自分の子が欲しい美沙子はこの申し出でを受けて
再びインドにわたる。しかし代理母として妊娠した内藤医師は妊娠中毒で死んでしまう。
胎児を残して。
内藤医師に対する罪悪感を残しながらも、美佐子夫婦は念願のわが子を抱いて幸せを
実感している。しかし、内藤医師の母親を訪ねた折に山本医師から「もしかするとあの
受精卵は美沙子夫婦のではなく、実験用に作った山本医師と内藤医師の受精卵かもしれ
ない」という驚愕の告白を受ける。
美沙子は遺伝子鑑定を拒み「この子は私たちの子」として育て生きて行くと心を決め
る。問題は含みながらも一応ハッピーエンドで救われる思いである。
(以上この項終わり)
◇ 晩秋の大津川
Clester F10
12月13日。時折り陽が差す曇りの日。珍しく風もなくそう寒くもなく、かねてからいつか描いてみたいと思っていた
大津川の土手に出掛けた。
ここは日頃の4キロコースの散歩道。春先には野生のからし菜の群生地でもある。今はセイタカアワダチソウや白
い綿毛をまとった葦も枯れ果てて、殆ど茶色一色である。
川幅はせいぜい4mほどであるがれっきとした一級河川で流れは手賀沼に入る。車は入れないので人や犬の散
歩が多い。
川の数編は田んぼである。遠くに広葉樹の雑木林があり茶色に紅葉している。その他は杉などの針葉樹や薄緑
の竹林である。
丁寧に観察し大胆に省略する。性分からか細かく書きすぎるきらいがあり、今回は出来るだけ「見えないものは描
かない」そしてみんな良く見えないことにした。犬を散歩させているどこかの奥さんが犬としゃがみ込んでいたので多
少なりとも動きを伴う対象としてとりこんだ。奥の農道を車があ知っているのだが丁寧には描いてはいない。
今回の目玉は空と雲。どうした加減か薄く赤色を反射した雲が浮かんでいた。その上にはふつうの一群の雲。
春先にもう一度挑戦しよう。
(以上この項終わり)
◇『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』 著者:加藤陽子
2009.7 朝日出版社 刊
購読している日経朝刊日曜版に『半歩遅れの読書術』という囲み記事欄がある。
先月末、生物学者の福岡伸一先生が「専門家が、優秀な学生・生徒を前にして行った
講義録を読む」という読書を提案したい。」として、本書をとりあげていた。
近現代史の専門家・加藤陽子氏(東京大学教授)が神奈川県の進学校、栄光学園の
有志中高校生を相手に行った講座の内容を単行本にしたものである(文庫版もある)。
ここで加藤先生は「もし貴方がその場に置かれたらどんな判断をしただろうか」と
問いかける。生徒はこのことによって歴史の瞬間・瞬間にタイムスリップさせられて、
日本の過去が。自分の生まれる前の遠い昔ではなく、今もなお同じ風土と文化の中に
生きる自分と地続きのものであることを実感しながら近現代の歴史を認識させられた
のである。
私自身「日清戦争はロシア・イギリスの代理戦争であった。それは日清間の「下関
条約」を見るとよくわかる」、「戦争とは相手国の依って立つ社会の基本原理を変え
させるところにある。(憲法を変える)」、日露戦争は、日本が満州という市場を求
めてロシアと戦った戦争であった。という定説ではなく、戦略的安全保障の観点から
朝鮮半島の帰属をめぐって始まった戦争である。そして日本よりもロシア側が戦争開
始により積極的であった」などを知り、蒙を開かれた。
ということはこの講義録の本の読者も同じような体験をする。表面的な歴史事実だ
けではなくて、なぜ日清戦争は起きたのか、何を巡って中国と日本は戦ったのか、そ
の時ロシアやイギリスはどうしたのか、一種の代理戦争であった日露戦争でフランス
やイギリス・アメリカなどはどう考えていたのかなど、関連歴史事象と新しい研究成
果などを取り入れながら、時に歴史上の人物のエピソードなどを入れビビッドに講義
を進めていく。巧みである。(たらればであるが、もし私が中高校生の時に加藤先生
に教わっていたら、もっと社会という教科に興味がわいて…その後…かもしれない)
「生徒自身が作戦計画立案者だったら、満州移民として送り出される立場だったら
…と考えてもらう。そのためには時々の戦争の根源的な特徴、国際関係、地域秩序、
その国家、社会にどんな影響を及ぼしたか、簡潔・明解にまとめる必要があった。そ
の成果がこの本である。」著者はこう述べている。
福岡先生は「本当に優れた教師の講義とは、テキストに書いてあることをただ伝達
するのではなく、テキストを勉強してきた自分が何に気づき、どのように理解してき
たか、その学びのプロセス自体を伝達できた時、初めて成立するものなのだ。本書は
そのことの類稀なる例証である。」と結んでいる。
此処での日本近現代史の勉強は5日間にわたり、①日清戦争 ②日露戦争 ③第
一次世界大戦 ④満州事変と日中戦争 ⑤太平洋戦争 を学んだ。
(以上この項終わり)