読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

トマス・H・クック『夏草の記憶』

2018年05月24日 | 読書

◇『夏草の記憶』(原題:BREAKHEART HILL)
                                 著者:トマス・H・クック(Thomas H.Cook)
                                 訳者:芹澤 恵  1999.10 文芸春秋社 刊(文春文庫)

   
   クックの記憶三部作(ほかに『緋色の記憶』、『死の記憶』)の一つ。
     アメリカ南部アラバマ州北部の田舎町、チョクトーに生まれ育ったベン・ウェイドは
 北部からの転校生ケリー・トロイに出会い初めて恋に陥る。そして高校2年生の夏、郊
 外のブレイク・ハート・ヒルに悲劇が起こる。ケリーが何者かに襲われて大怪我を負っ
 た。ベンは生涯付きまとう暗い記憶に悩まされる。

 ケリーの現場を発見したのはベンの
同級生であった幼なじみのルーク・デュシャン。
 なぜ彼女はあそこに行ったのだろう。二人は会うごとに不可解なケリーの足取りを繰り
 返し回想する。
 本作の前半はベンの甘酸っぱい初恋の記憶。ベンは眼鏡をかけた内気で人付き合いの苦
 手な少年、医師を目指している優等生である。事あるごとに浮かぶ記憶はケリーと過ご
 した二人だけの時間。互いに学校新聞編集委員として、次第に親しさを増して高揚して
 いた日々、将来は開業医としてケリーを妻とし子供を成し、平凡でしかし幸せな日々を
 送る二人を夢想していたのだが、しかし学年末の学習発表会でケリーと学内一の人気者
 トッドが、「ロメオとジュリエット」で共演することで二人が急速に親しくなり、自分
 から離れていった頃の懊悩の回想は青春時代の深い傷痕として身につまされるところだ。

  その意味では15・6歳の少年が初恋の相手の一挙手一投足に慄き一喜一憂し、幾多の
 感情的行き違いがあったりして次第にぎくしゃくとした時を経て、ケリーがトッド
と眼
 差しを絡ませてキスする場面を目撃し、最後までケリーの愛を勝ち得なかったベンが
 「自分のものにならないのならケリーなどこの世から抹殺してやりたい」とまで思わせ
 るのも恋がなさせる一時の激情として共感できる。

「忘れられちゃったかと思ったわ」
「まさか、忘れたりするもんか」生涯守り続けることになる約束の言葉を口にしたのは、
 招かれて初めて二人でダンスパーティーに出かけるときのことだった。晩熟のベンは、
 パーティの後ケリーを家の前まで車で送っていきながらも、キスひとつできなかった。
  ベンの初恋は、「ロメオとジュリエット」と忌まわしいケリー襲撃事件が決定打と
 なり、敢えなく潰えた。ただ切ない記憶を残して。

 一番悩ましいのはルークが聞いたという「まさか、あなたが…」というケリーの言葉。

 第二・三部では事件の真相に迫る。そして第四部。事件から30年経って年老いたケリーの
 母シャーリーから家に招かれたとき、忘れようと封印していたベンの記憶(悪魔のさ
 さやき)が浮かび上がる。そして驚愕の場面が目の前に繰り広げられる。


 イメージ豊かな情景描写、人間への鋭い洞察や利己への内省、細やかな登場人物たち
 の心情への心配り、穏かなテンポで進む精妙な筆致。学園青春ものを思わせながら、
 独特の緊迫感を常に抱かせつつストーリーを展開させていく稀有なサスペンスである。 

                             (以上この項終わり)
 

  

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