goo blog サービス終了のお知らせ 

読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

「ゼロ戦」の栄光と悲哀『永遠の0』

2012年02月26日 | 読書

◇ 『永遠の0(ゼロ)』 著者:百田尚樹
            
   2009.7 講談社(文庫)

   
  

  最初題名を読んで「?」。0(ゼロ)とはなんだ。数学の本?
  しかし読み始めてすぐに分かった。我らが世代にとっては忘れもしない旧日本海軍の名戦闘機・
 「ゼロ戦」こと零式戦闘機のことである(紀元2600年誕生の機として命名)。
  話をリードするのは大石慶子と健太郎の姉弟。
  フリーライターの慶子が、ニート状態にある弟に仕事を持ってきた。終戦60周年の新聞社のプロ
 ジェクトの一環として戦争体験者の証言を集めるというのだ。実は姉弟の祖母が6年前に亡くなっ
 た。祖母は再婚者で、最初の夫は写真も残されていないが、カミカゼで戦死した海軍航空兵だった
 ということしかわかっていない。
  姉弟には記憶にさえない祖父に係わりがあった人たちに話を聞いてまとめれば、その当時わずか
 3歳だった母も喜んでくれるだろうと思う。
  この小説の大部分はこの姉弟の聞き取りの記録が占める。

  厚生労働省で調べ、祖父が宮部久蔵という戦闘機搭乗員だということがわかった。さらに旧海軍
 関係者の集まり「水交社」を調べ、いくつかの戦友会を辿りながら祖父「宮部久蔵」の実像を探って
 いく。作者はこの調査過程で、太平洋戦争初期には世界に冠たる名戦闘機であった「ゼロ戦」とその
 搭乗員であった宮部とその同僚・部下など航空部隊の姿を描くことによって、日本国海軍の航空機、
 艦船の実態と戦況の推移、過酷な戦場の実情と軍上層幹部の無能さといった太平洋戦争の実態
 を読者に知ってもらうことが狙いの一つと思われる。また太平洋戦争に散った兵士たち、とりわけ神
 風特攻隊、神雷特攻隊、桜花特攻隊のように、航空兵に十死零生という不条理を強いた海軍上層
 幹部の冷酷無残さへの強烈な糾弾がある。更には家族と母国の幸せのためという思いを抱きなが
 ら、この無常な命令に従容として死んでいった多くの兵士への鎮魂の綴りでもある。

  滅私奉公が賛美され、「よろこんで」特攻に志願するよう強要される中で、一人「生きて帰りたい。
 妻がいるから」と至極当たり前のことを敢然と述べた宮部久蔵の真の姿が次第に明らかにされてい
 く。「無駄死にはするな」と部下を諭す「臆病者の宮部」は、実は天才的操縦技術を持ったゼロ戦熟
 練搭乗員のひとりだった。彼に助けられた僚機は数知れない。
  米軍は戦争初期、ゼロとは戦うなと指導された。とても太刀打ちできなかったからだ(しかしそのうち
 グラマンF6Fというゼロ戦を上回る戦闘機を開発した)。物量に勝る米軍の航空機、銃弾、爆弾の前
 に日本軍の爆撃機、戦闘機は戦果をあげる間もなく、なすすべもなく海に消えていった。無謀な攻撃
 を強いる作戦指導者のせいで。

    作中に慶子を好きだという東大出の新聞記者が登場する。彼は特攻隊搭乗員を9.11のテロリスト
 と同根で、日本の為政者から洗脳を受け、天皇と国家のために命をささげる狂信的愛国者たちであ
 ると言い放ち、健太郎は強い嫌悪感を抱く。読んでいる私も「このバカ!」と舌打ちする。こんな教条
 的な認識しか持ちえないものがジャーナリストでございといって、浅薄な知識しかない一般大衆を教
 導するのだと思いあがっている現状が嘆かわしい(と作者も思っていると思う)。
  関係者からの話を聞き続ける姉弟は、ほとんど知らなかった宮部という祖父のために、日本軍の兵
 士のために幾度も涙する。それはまたこの本を読み続ける読者の涙でもある。なぜならば、真の男ら
 しさとは、真の人間らしさとは何か、それはどんな場でそうした本質が表れるか。明日の命がしれない
 極限状況におかれた中での振る舞いこそが本来の人間性を示すことを、この本を読んで感じとったか
 らである。 

  無類の読書好きという児玉清氏が本書の解説を書いている。『ただひたすら、すべての責任を他人に
 押し付けようとする、総クレーマー化しつつある昨今の日本。利己主義が堂々と罷り通る現代日本を考
 えるとき、太平洋戦争中に宮部久蔵のとった行動はどう評価されるのだろうか。男が女を愛する心と責
 任。男らしさとは何なのか。愛するとは何なのか。宮部久蔵を通して様々な問いかけが聞こえてくる。』 

  この児玉清氏は終戦当時尋常小学校6年生だった。少年航空兵として一日も早くお国のために役立
 つこと、零戦のパイロットとして戦うことが夢だったと書いている。ちなみに小生は終戦当時尋常小学校
 1年生。愛国少年のとば口に差し掛かっていたが、先の大戦についてはB29の空襲や戦後の食糧難
 の記憶しか残っていない。
  まったくの余談ではあるが、小学校高学年のころか中学生のころか、進駐軍のさまざまな統制から解
 放されたころ、ある少年雑誌に零戦の模型設計図が載った。早速軽いバルサ材、接続用アルミパイプ
 などを手に入れ製作にかかった。機の胴と翼長およそ40センチ。道具は切り出し小刀とセメダインと
 パラフィン紙。動力は20本ほどの細いゴムを束ねたもの。
 模型のゼロ戦は本物そっくりに仕上がった。
 「ゼロ戦」は立派に飛んだ。ただ動力がゴムでは飛距離15mが精いっぱいだった。
 「ゼロ」は小生にとっても思い出の戦闘機である。  
 
 (以上この項終わり)