◇ 熱川温泉と下呂温泉
先週の土曜から温泉のハシゴをした。
三女の婿さんが、自分が土・日をつぶしたり夜なべをして得た臨時収入(の一部)を使って、「一緒に温泉に
旅行しましょう」と言ってくれた。ありがたいことだ。
<熱川温泉>
そこでまず行ったのが熱川温泉。「幼児対応プランがある」という視点で選んだという「熱川館」では、最上階
6階のオーシャンフロントの部屋で「お部屋食」。我が家の嫁はんは明日が〇〇歳の誕生日とあって、孫のM
ちゃんから「ハッピーバースディートゥーユー」と祝福されたりしたので至極ご満悦だった。
眺望は満点。伊豆大島は伊豆半島からは最短で30キロほどというがここからは20キロそこそこに見える。
普段よく見えない新島、式根島、利島などが良く見えた。
大浴場で湯に浸かると、目の前の海原と湯面が同一化し、まるで海に浸かっているような錯覚に陥る。
夜になって露天風呂に浸かっていたら、小熊座のひしゃくの柄がまるで海に突き刺さっているように見えた。
食事ではこの辺の温泉地では定番の「イセエビの御造り・金目鯛の煮付け・アワビの踊り食い」が出た。
珍しかったのは「のれそれ」。鍋になっていたがアナゴの稚魚という。
日の出は6時半ころか。大島の上には厚い黒雲が掛かっていた。次第に雲の間から陽が差し始めた。
翌日は娘家族は「熱川バナナワニ園」と「いちご狩り」をするというので、我々は熱海から新幹線で名古屋に
出て、富山まで走る「ワイドビューひだ11号」に乗って下呂温泉に向かった。
少し雲が掛かっていたが、富士山が良く見えた。
高山線は飛騨川沿いに進む。思ったほど雪がなく、奥飛騨慕情の風情など遠くかすんでいる。急峻な山襞を
縫うように進み、時折トンネルをくぐる。鬼怒川温泉から会津田島に抜ける「野岩線」によく似ている。
<下呂温泉>
下呂温泉は、草津・有馬と並んで「日本三大名泉」といわれる(江戸の儒学者・林羅山の説)。柔らかく、やさし
い泉質(アルカリ度PH9.41のアルカリ単純泉)で肌がすべすべに。うちの嫁はんは日頃の肩・腕の痛みが消
えたと感動していた。やはり名泉なのか。しかし吾輩の五十肩の後遺症と腰痛は頑固なのか軽快はしなかっ
た。
宿は「KKRしらさぎ」。近くに野口雨情公園がある。また、坂を300M ほど登ると「合掌村」がある(有料)。
白川郷から移設した茅葺き4階建ての合掌造りの建物数棟があり、内部も公開している。旧い時代の生活
用具、雛飾り、柱時計に脚付き膳、旧いラジオなどが展示されていて、懐かしくしばし幼時に立ち返る。
「合掌村」の山腹を回り込んで2キロほど歩き、「縄文橋(歩行者専用道)」を渡ると「峰一合遺跡」がある。
縄文時代・弥生時代の古墳で、竪穴式住居跡などがある。
山を下ると温泉街。温泉寺は179段の石段の上と聞いて、汗をかくと風邪をひく元になると思って敬遠
した。そのかわりに「温泉神社」山形の鳥海山神社からの分社という。温泉組合の立派な5階建てのビル
の1階にあった。
下呂温泉は中山道大田宿(飛騨街道)と中津川宿(南北街道)の結節点で、伝馬宿:湯之島宿(下呂宿)
として重要な役割を担った。宿場特有の高札場が復元されていた。
下呂温泉発祥の湯「白鷺の湯」があり、足湯には若い女性たちが白い脚を惜しげもなくさらして興じてい
た。
駅南と「飛騨川」を挟んで駅北をつなぐ「下呂大橋」。河原に湯の沸くところがあり、無料の湯処になっている。
橋から丸見えで、余程度胸があるか、裸姿に自信がないとしり込みする(と思う)。
下呂温泉では連泊した。近頃は温泉といえば必ずと言ってよいくらい連泊する。温泉の良さを味わうには
一泊では無理だと今頃ようやく悟った次第。それに身辺整理をして時間的に余裕が出たこともある。
食事では飛騨牛のおいしさを堪能したし、何よりも岩魚の骨酒(3合)を賞味出来たことが満足感を高めた
(でも上高地でいただいた岩魚の骨酒の味は忘れられない。)。
不思議なことにこの山奥で鯛の兜煮、あわびまで出た。
昔新潟の我が家でもよく作った「朴葉味噌」が出て懐かしかった。
二日目は予報通り雪になった。温泉地の雪は風情がある。温泉に浸かり酒を片手に読書に耽り至福の時
を過ごした。
JR高山線の白川口辺りから奇岩・清流の渓谷美が始まる。益田街道(美濃四季彩街道)と高山線に沿って
上流では下呂辺りまでは「中山七里」と呼ばれる渓流の名所である。
(以上この項終わり)