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笑顔抱きしめ

小さな幸せの元を探して
身の回りのこと・大好きな木村拓哉さんのこと

拓哉を見る目

2018-08-05 | 映画「検察側の罪人」
いろいろまとめて注文したので、少し遅れて到着のキネ旬とTVステーション。
両方とも、ニノ君のインタ。
キネ旬は、プラス原田監督。

2つのインタは、くすんだ青いシャツに、黒いジャケットというスタイルも同じだし
囲みでインタしたものを、それぞれ野ライターさんがまとめた形ですね。

ライターさんによって、取り上げている部分が違うのも面白い。
ニノ君の、拓哉君へのRESPECTも良くつたわって来た。
それにしても、パブリックイメージしか持ってなかったって、
そうか・・・嵐のメンバーは、仕事でも、プライベートでも拓哉君と個人的な付き合いがないだけでなく
カメちゃんたちのように、拓哉君と親しい人と話す機会もなかったか、思い込みだけだったのか

今回の共演で、自分の目で拓哉君をみてたってことは、大きいね。
後輩からも、イメージ信じられてるなんていやだものね。
現体制になってほんと良かった。

キネ旬のインタの中で、ちょっとだけひっかっかる言葉。
テレステを読んだら、ああ、ニノ君は、こんな風に話したんだろうなって、判った。
話した内容をライターさんが勝手に要約して書いたんだなぁと。

話した言葉を要約したら、それは、インタでは無く、ライターの思いになってしまう。

そんなことばかりなんだろうな。

あの、舞台挨拶の拓哉君とニノ君の笑顔。
すてきだった。

原田監督の言葉。
そして、そのあとの樋口さんの文章よんでると、編集前の映像も見てみたくなる。
放牧型・・・だけど、ちゃんと自分の剪定をするんだね。

Smile UP

2018-08-04 | tak日記
今朝の読売新聞、
少しで遅れたからか、いつものコンビニに無くて焦りました。
3軒目でようやくGet、

週刊エンタメ
拓哉君の言葉がまっすぐに届く本当に嬉しい誌面でした。
連載4回続くのですね。
彼の言葉で語られる、俳優としての歩み。

今回は、年代的には、1998年~1994年「若者のすべて」の頃ですね。

俳優としてのスタートは、Gデビューより前。「盲導犬」
ここでの厳しい稽古と、この舞台があったら今があるという、大きな作品・

蜷川さんの作品に出ることpになったのはジャニさんが引き合わせてくれたことから。
「木村君の声は倍音・・・・」って、と言ってくれたのは小林克也さん。
倍音とは、鳴っている音以外の、人の耳には聞きとれない音。
倍音が多い声は明るく通り、倍音の少ない声は丸くぼやっとしたこもった声に。
その発声法を教えてくれたのが、共演者の壌晴彦さん。

拓哉を背背得てくれた他の共演者の肩からの言葉もあった。

拓哉の中には、「盲導犬」の日々が、今も、鮮明に鮮やかに残って居るんだね。

「あすなろ白書」の、ブレイク。

凄く踏ん張っていたというその頃。
闘っていたのは、ジャニーズだから・・・という、偏見。

実際に直接拓哉君にその言葉を言った「若者のすべて」の共演者の名前も知っている。
けど、きっと、彼だけで無く。多くの、そういう視線があったんだろう。
今。思うと、その視線の中には、上から目線だけでなく
アイドルと言われながらも、俳優としての才能・魅力の素晴らしい拓哉を認めたくなかったのだとも思うけど。
その視線の中。自分の事も、そして、後輩達のことも含め。
揺るぎなく俳優として、認められ、存在できるよう、全力で闘っていったのだろう、

-・-・-・-・-

拓哉君が、広島に行ったという目撃情報を知った。
「いろんな報道を見て、何ができるんだろうとずっと考えている」と話していたことを実行してるんだね。

西日本豪雨で大きな被害を受けた広島県呉市に、斗真君と、三宅健君と3人。
ジャニーズ事務所が立ち上げた「Smile Up! Project」。
3人が、揃いのTシャツとキャップだった。

熊本で石原軍団の炊き出しに参加したときに、自分たちもこういうことが出来るように・・・と話してた。
有言実行!!!

夕方のニュースで、子どもたちの視線の高さに腰をかがめてお菓子や、炊き出しを渡す拓哉君たちの姿があった。
あったかい笑顔。






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