クラッシック音楽は全くと言って良いほど聞いたことがない私ですが、何度かテレ部放映された小澤征爾さんの番組はとても考えさせられました。
村上春樹さんも世界的な作家であることは知ってますが、全く読んだことがありません。
でも、この二人の対談は驚きの連続。面白かったです。
第一に、内田光子さん(クラッシックピアニスト)とか大西順子(ジャズピアニスト)いることを初めて知り、内田さんの演奏はなにか、玉がころころ転がるような演奏だなあと新しい音楽の世界を知ることが出来たこと。大西順子さん大変な実力がある若手なのになぜ引退かなど、興味が出てきたこと。
第2に、村上春樹氏のそれはもう、ものすごい、クラッシック音楽を聴いてきた中で生まれてきた疑問を率直にぶっつけて、小澤さんが、真剣にやわらかく誠実に応えるその内容へのおどろきと、発見があります。
たとえば、小澤さんはカラヤンとバーンスタインという個性が全く違う、(中身を読むとわかります。)二人にかわいがられ吸収してきたこと。
齋藤秀雄氏に教わっていた頃、暗譜したオーケストラ譜をどれだけ、楽譜として再現できるかを訓練したなど、私は人間業ではないと思うこともやっていたという全くの別世界を知る驚きがあります。
著名な指揮者や演奏家の特徴なども、村上氏が次々と疑問を呈し、おどろくことに次々と「ああ彼は友人で・・・とか大変な交友があり、応えてくれています」
小澤「ただね、このオーケストラの演奏は子音が出てこないですね」に至っては意味がわからない。でもすごいと言う感じ。
小澤「ショスコビッチの方がやはりきちっとまとまった音楽になっていますのよ、マーラーの持っている狂気みたいたなところは、彼の音楽には感じられない」
村上「・・・・政治的な理由で狂気みたいなものが簡単に出せ得なかったところがあるかもしれません」と。私は、インターネット・CDで何曲かショスタコービッチを聞きましたが、この部分は納得しました。
第3に、音楽の解釈の方法論ですごく興味深かったです。
村上氏は、作曲家・演奏家の歴史的におかれた位置や政治・経済的な背景から作品を説明できるのではという視点で質問していますが、小澤さんは「楽譜に相当深く集中します。だからその分、というか、ほかのことってあまり考ええないんだ。音楽そのもののことしか考えない。自分と音楽とのあいだにあるもおだけを頼るというか・・・」と時代に敏感にならざるを得ない作家と音楽作品の演奏という芸術家とのちがいかもしれませんが・・・・疑問の残る点です。
第4に、村上氏は、小澤氏は「あえて口にされないこともそこには数多くあった・・・・・ことも含めて・・・自然な共感をもって受け止めることが出来た」と書かれています。どのような意味かは分かりませんが、ここでの、真摯なやりとりはある意味で感動しました。
第5に、小澤氏の人柄です、ジャズピアニストの大西順子氏の引退表明コンサートを聞いて「俺は反対だ!」と客席から叫び、自らの病気の悪化により共演できなかった内田光子さんへ「残念残念。次は必ずやるぜ。光子さん。」と書いた。純粋さに共感します。一途なんですね。
第6、若い音楽家を世界的な視点で育てている情熱のすごさと、超エリートを育てるということで一貫していると思います。小澤「資質はあるけど、深みがない・・・・そういうひとこそここに入れたいんです」
村上「天性のものは仕込めないけど、考え方とか姿勢とは仕込める」
小澤「そいういうことです」小澤氏の多忙さ年齢・健康を考えれば当然の選択だと思いますが、それだけでよいのかという疑問も残ります。天性の素質あるものを選択できる条件がそろっいる社会と言えるのかという点です。
ただ、小澤氏は自ら責任の負える範疇で正直に述べられているのだと思います。