JCP市原時夫です

千葉県房総の睦沢町から、政治・経済・歴史・オペラ・うたごえを考えるgabuku@m12.alpha-net.ne.jp

ヒットラー独裁体制への外観とディミトロフの明暗

2012年12月29日 | Weblog

 不破哲三さんの「スターリン秘史ー巨悪の成立と展開」が、2年余にわたり連載予定で前衛2013年2月号からはじまりました。
 ソ連崩壊の時に「もろ手を上げて歓迎」を表明した日本共産党の、ソ連覇権主義とのたたかいは、ずいぶん読み、また、崩壊後のソ連の卑劣な日本共産党への攻撃などの内部文書に基づく、不破哲三さんの解明もありました。
 今回は、ディミトロフという、スターリンの身近にいた人物の日記という新たな資料に基づく、解明のようです。
 日本共産党が長年ソ連の干渉を許さないたたかいの意味がさらに深まると期待されます。
 第一回では、ドイツヒットラーの独裁政権成立の外観が示されています。確かに選挙でヒットラーは政権を握るのですが、ドイツ共産党の弾圧と暴力の背景があったことが分かりました。
 また、ディミトロフの法廷闘争の見事さとともに、訳の分からないままソ連へおびき寄せたスターリンの術中にはまっていく端緒が書かれています。
 

太宰治をめぐる、宮本顕治氏・加藤周一氏の対談

2012年12月28日 | Weblog

 宮本顕治著作集第3巻で分かった対談の背景
 現在毎月発行されている。宮本顕治著作集の第3巻は終戦の年1945年~49年の時期の著作です。
一度だけ、宮本顕治氏と加藤周一氏が対談した記録(初出『展望』1949年4月号)が、「宮本顕治対談集」の一つです。(1972年新日本出版)
 その後何度か読み返し、太宰治をめぐって、本質的なところが一致しているようですが、率直な見解がぶつけ合われていることがわかりました。
 両者まったく譲らずという印象です。

人を見下している太宰治の「人間失格」
 「人間失格」を読んで、太宰治は読みたくないと思いました。この中で主人公・自分のことでしょうけれど。自分を人間失格として描いていつようですが、私は、本人が自覚しているしていないにかかわらず、「こんなに、自分の弱点・弱さを堂々と画いているんだ、君たちはできないだろう」という思い上がった太宰のすがたを感じました。
 彼は決して、悩む若者を励ましているのではなく、社会と自分以外の人間を蔑視していると感じました。

戦後の変化の中で民主主義日本を、めざす先頭に立つ者の
責任と意志を示した宮本顕治氏

 著作集では、『人間失格』その他   -太宰治についての感想-1949年9月25日
芸術運動と党員芸術家の課題 党員芸術家会議のおける発言(要旨) 1949年7月3日
統一戦線とインテリゲンチア 1949年4月
文化政策について  日本共産党第5回大会報告 1949年2月26日
 などが、太宰治の評価をめぐる、日本共産党と時代背景がわかる文章です。
加藤周一が太宰治を持ち出したのもそうした時代の反映であったことがわかります。
 
否定的なものでも多くの読者をつかんでいる現実 加藤周一氏
道徳的犠牲者でもなんでもなく、退廃の別の型にすぎない 宮本顕治氏

 加藤周一氏は、対談から31年後、1980年5月に発行された、日本文学史序説下の中で、太宰治について書いています。
「 その同じ年に二三歳の学生太宰治(一九〇九~四八)が、共産党の非合法活動を去った「良心の苛責」は、ながく残って、おそらく後の小説「人間失格」(一九四八)を書く動機にまで係っていた。太宰の「人間失格」とは、実は「共産主義者失格」ということである。(日本文学史序説下 ちくま学芸文庫 446ページ)

 敗戦そのものは、直接間接に多くの文学作品に反映していたが、太宰治(一九〇九~四八)の『斜陽』(一九四七)や『人間失格』(一九四八)にもっとも鋭く象徴されていたのかもしれない。太宰は津軽の大地主の息子で、早くから小説を書き、三〇年代には「日本浪曼派」に参加していた。学生時代に共産党の非合法活動に従い、およそ二年の後、警察にみずから出頭して「転向」した(一九三二)。数年の間隔をおいて自殺を計ること四度に及んだが、四度とも失敗した。太宰の「私小説」は、津軽の旧家の自負と失敗の居直りの証言であり、挫折した人生の美化と自己陶酔の記念碑である。しかし病身で、意志薄弱で、虚栄心が強く、感受性の鋭敏な男の人格の崩壊過程を、これほど見事に描きだした小説は他にない。もちろんそれは作者の私生活とのみ係り、大日本帝国の運命と係るものではなかった。しかし敗戦直後、帝国の陽が沈もうとしていたときに、太宰は『斜陽』を書き、独立の国家として日本が失格していたときに、『人間失格』を書いたのである。
(日本文学史序説下 ちくま学芸文庫 514ページ)」
 
 宮本顕治氏は、「従来党員のあいだにおいても、まだ文化問題に関し、全体として過小評価の傾向があることです」文化政策について 63ページ
  また、すでに、民主主義の流れに逆行する支配勢力の強力な力が動き出してきた中で、当時の知識人インテリゲンチアの中から、民主主義擁護の動きが広がり始めていたようです。
 そうした中で、「民主的文化の側にたつというもののあいだにさえ・・・・太宰の死を厳格に批判的に取り扱うことは、太宰の広範な読者を反発さすから、さけるべきだという見解がみうけられたことである」『人間失格』その他 429ページ
 「これは、典型的な自己破産の文学であり、生涯である。大地主の子弟としての環境で育った田舎風の貴族主義と皮相浅薄な左翼くずれ的な時代潮流、実生活無能力と放蕩的無頼さと病弱ーこの地盤にさいた文学的才能が彼の文学の総和である」同432ページ
 「日本人民の自由と独立にたいするさまざまな脅威がみられ、それにたいして、労働する階級を先頭として前人民の統一と闘争がたかまらねばならぬとき、一方では、太宰の自殺とその文学の氾濫という対照は見逃すことのできない一様相である。」同435ページ
  

 私は、宮本顕治氏の当時の主張と加藤周一氏の主張は基本的には同じだと感じています。
 
 その上で、加藤周一氏の「『共産主義者』ということである。」という見方の中に、当時の社会状況そのものを肯定する加藤氏と、民主日本を国民と共に作り上げるという責任を感じて実践の先頭にたっている宮本顕治氏との違いが鮮明になっているように思います。
 また、「『良心の苛責』は、ながく残って、おそらく後の小説『人間失格』(一九四八)を書く動機にまで係っていた。」と加藤周一氏は書いています。
 加藤周一氏は非常に冷静で客観性を重ん、科学的な説得力をもった型と思いますが、一方では、人間にたいするやさしさの溢れた方であることが、わかります。
 良心の呵責があったかどうか、それが動機となったかという、ものを私は読んでませんので、わかりませんが、時代と作品という点から言えば、「人間失格」をやはり私は評価できません。評価するとすれば反面教師ということでしょうか。
 自殺して良いのか、もっと、素直に生きろよ!と太宰治には言いたいです。

 宮本顕治著作集には、当時の情熱と思いがつまっており、今生きる私に語りかけてきます。
 

その後 文藝春秋1957年1月号で、臼井吉見氏との対談で、臼井氏が盛んに挑発するのですが、宮本顕治氏は丁寧に答えています。
 その中で宮本氏は「私はその点では、加藤周一君の説が適切だと思った。だから私は加藤氏のあれを引用したが。」と述べています。
 一方、加藤周一氏は、宮本顕治氏の死去に際して、宮本氏を評価する文を「赤旗」に寄稿しました。
 若い頃の一度だけのそれも、大激論の相手に対してのその後の評価のあり方に、私は感動しました。


 

千葉県知事めざし、三輪定宣(みわさだのぶ)と雨宮処凛さんと対談

2012年12月26日 | Weblog


 来年千葉知事選挙めざす、千葉大学名誉教授の三輪定宣さんのパンフレットを購入しました。
 対談では、雨宮処凛さん、推薦には、安斎育郎さんです。
安斎さんは、大学教授として原発の危険性を言い続けたため大変な差別と迫害を受けられましたが、今やその正しさが証明されました。
 三輪さんは、私たち地方議員が政策を考える際に大変役立っている、千葉県自治体問題研究所理事長を努められてきました。
 まさに、自治体問題のプロフェショナルです。

黒澤明と本多猪四郎監督を結ぶ平和と原爆

2012年12月21日 | Weblog
 近年にない感動作でした。12月20日NHKBS午後9時「イノさんのトランク」本多猪四郎映画監督が戦場から持ち帰って、開けることがなかった、トランクから黒沢明からの手紙、戦場で捕虜を斬り殺す日本兵の姿が記されていました。
 性格も映画作りの方法も違う、二人が生涯の友として生き抜いた背景にあったのが、戦争はだめだ、原爆はだめだという、平和への強烈な思いだったのではないか。
 ゴジラは、その象徴だったということ。
 様々なエピソードが綴られていきます。本多夫人が、夫が亡くなり訪ねた瞬間の黒沢監督の直感と思い、二人の生き方にのどの奥が何度も痛くなりました。
 平和とはなにか、友情とは何か、自分の思いを死ぬまで貫くこととは何かを教えてくれました。



 孫がみせてくれた太陽光で首を振る雪だるま

住宅リフォーム助成実施の方向 12月議会

2012年12月20日 | Weblog
睦沢町の12月議会は、14日に開かれました。
 日本共産党の市原時夫町議は、町長の進めている「若者定住」政策に対し、睦沢町のすぐれた歴史的・伝統である「子育て支援」を現代に発展させ、全国一の子育て支援のまちをめざし、若者にも高齢者にも魅力あるまちづくりを進めるべきだと質問しました。
 睦沢町は、昭和初期に起きた小作争議の際に、農民自身がこどもたちの知育・学力がおろそかにならないように、自分たちで教える努力を続け、小説にもなったこと。
 戦後、学校給食の自校方式での先進となった、当時の行政・教育関係者の意識の高さと努力があったこと。
 学童保育は、元々、行政に求めながらも、保護者自身の運動と実施からはじまったこと、こうした、子育て支援の思いは行政も住民も一致していることなどを示しました。
 町長は、零年度予算方針の柱の一つに「子育て支援を位置づけています」
太陽光・住宅リフォーム検討中
 市原時夫町議は、具体的提案として、太陽光発電など電力の地産地消・住宅リフォーム助成・家具転倒防止助成・学童保育指導員の待遇改善など、若者や地元業者の仕事と地域活性化につながる提案を行いました。
 町長は、太陽光発電では、いくつかの業者からの話があること、住宅リフォーム助成は検討していると答弁がありました。
 学童保育指導員の待遇は、近隣なみの現在の維持という答弁にとどまりました。
いじめの起きない教育を
 全国的な重大問題となっている、学校でのいじめ問題について、こどもの教育受ける権利の問題として知育、市民道徳、情操、基礎体力の総合的な基本姿勢で臨むことなど質問しました。
 教育長は、睦沢町の児童生徒の学力はとりわけ低いわけではないと答弁しました。
洋式トイレへの転換を
 社会生活環境に即して、トイレの洋式化を求めました。
 教育長は「徐々に転換していく」と答弁しました。
 また、学校給食自校方式の充実・学校図書司書、公民館図書室の図書館への発展と司書配置、教育委員会の準公選制など求めました。
名誉町民に
故 河野功(元町長)氏
飯塚泰治(医師)氏
 故 河野功の同意には市原時夫・田邉明佳両議員が反対。飯塚泰治氏は全員賛成でした

私もバックコーラスで参加

2012年12月20日 | Weblog


 歌手の「沙理」さんのレコーディングに1年前から、友人に誘われていたのですが、数ヶ月前にバックコーラスで参加したCDが発売されました。
 大変、暖かい方で、ジャズのフィーリングの素敵な方でした。
 
 アマゾンでも購入可能1500円

http://saeri.be/

facebooka twitter>>saeri1208



南米国民の心意気 ベネズエラ地方選

2012年12月19日 | Weblog
 今日の「赤旗」では、南米ベネズエラの地方選挙が出ており、チャベス政権与党が勝利との報道です。
 先日の大統領選挙も事前の予想ではチャベス氏苦戦の感じでしたが、勝利しました。
 以前権力側からの、はげしい政権転覆の策動の中、選挙で勝利し続けています。
 それだけではなく、それまで、アメリカの裏庭と言われるくらい、言いなりだった国の市民が立ち上がり、つぎつぎに真の独立民主主義をめざして変革しています。
 日本の安倍首相(予定)のように、まずはアメリカ詣でとはずいぶん違います。
この、アメリカいいなりの国を変えようという、大仕事を国民と共にやろうというのが日本共産党です。
 中南米からも学びました。

結果お伝えし、決意 励まされ

2012年12月18日 | Weblog


 今日は「赤旗」配達の中で、支持者の方とも話しました。
「一歩一歩地道にやる事よ」「1議席減ったかど、東北も頑張ったじゃないか」など、一方「ますますひどい政治なることは確実、どうして、みなさん分からないのかしら」という声もあり、「どんな状況でも躍進できる、みなさんと一緒に解決できる。日本共産党を強く大きくすることを痛感しています」と話しました。
 今日の「赤旗」には、「総選挙の結果について」が掲載されています。全国的な視点での教訓ですので、自らの問題として今後の指針としていきます。


 家の猫は、しばらく、遊んでやらなかったので、私の肩に乗って、すりすりしてました。可愛いですが、寒くなり食欲旺盛太ってきました。

今度は必ず躍進! 日本共産党8議席

2012年12月17日 | Weblog


 昨日は、投票立会人(事務局が整理した投票用紙を確認する作業)で、12時近くになりました。
 睦沢町は、日本共産党と書いてくれた方が、193人(4.9%)。小選挙区で椎名史明と書いてくれた方が、359人(9.37%)でした。
 日本共産党は全体で1議席減の8議席です。
 今朝は、選挙用看板の撤去と、看板設置の方へのお礼、掲示板の張り替えなど行いました。
 現代の選挙は、政党間の政策論争と言うより、マスメディアによる第3極持ち上げなどの世論誘導との戦いだと実感しました。
 また、日本共産党の政策展開の中で、ぶれない党だ、名前を変えない方が良かったなどの声が寄せられ、また、民主党への裏切りへの怒りと共に、古くからの自民党支持者の方が、自民党は入れたくないがという声が寄せられていました。
 マスコミ報道に負けず、真実の政策論を明らかにできる、党を大きくして、次は、必ず躍進します。
 これは、日本共産党全体の見解ではありません。私の決意です。

巨大メディアの世論調査なるもの

2012年12月11日 | Weblog

 先日、録音による世論調査の電話がかかってきました。特定の党のみを最初に選択肢にならべ、その他は、その他から改めて選択する方法です。
 忙しい、毎日、思わず、特定の党の選択ボタンを押したくなるような誘導を感じました。
 知りたいの方と話すと、「テレビはお笑い芸人オンパレード、お笑い芸人の方が悪いと言っているわけではありませんが、一緒に考えましょうという姿勢がない番組が多すぎます」と言っていました。
 「権力のチェク役」という本来の役割を果たすどころか、権力に迎合している感じがします。
 このパンフレットでは、ニューヨークタイムズ社がアメリカのベトナム侵略戦争でのジョンソン政権の情報ねつ造を暴露した時のこと、社長と副社長が政府のでっち上げを暴く記事について、本物だと記者が言うと、GOサインを出し、政府と戦う決意をし、財政がピンチになったら、社屋の一階を売りに出し、それでもだめなら2階3階と売りに出す。最上階の14階にまで輪転機を上げざるをえなくなっても戦うと言ったこと。です (メディアの攻防)杉山孝男著1986年文藝春秋社 
 を紹介しています。

 政治を変革をめざす立場の者として、こうした、日本の場合のひどすぎるマスコミとのたたかいもあると決意しました。

原発ゼロ 再生可能エネルギーで盛り上がる

2012年12月09日 | Weblog
 今日は毎年開いてきた、「平和といのちを考える会」の実行委員会でした。
北欧の原発に頼らない国づくりの話から、地元でのエネルギーの地産地消のあり方など話が出て、原発即時ゼロは可能、そして、どうしたら安全な、再生可能エネルギーのまち作りができるかなど意見が出ました。
 こうした集まりでの声を聞くと日本共産党の原発即時ゼロの提言はその通りだと思います。