JCP市原時夫です

千葉県房総の睦沢町から、政治・経済・歴史・オペラ・うたごえを考えるgabuku@m12.alpha-net.ne.jp

やはり評価できない。司馬遼太郎氏の考え

2011年09月30日 | Weblog
 私が司馬遼太郎氏の本を読んだのは、今から10年近く前です。日本人とはなにか?に目覚めたことからです。
 そこで、小説は読んでいませんが、とりあえず、司馬遼太郎氏の日本人論が一番良いだろうと思い、5~6冊くらい、日本人・歴史について書かれた本を読みました。
 「ものすごい物知りだ」と思ったことと、人間の生きている姿をなにか、上から、見下して評価する考えにこれではだめだとあきらめた経過があります。
 その後、加藤周一氏の考えに触れ、全面的に賛成ではありませんが、歴史、日本人論を勉強するには非常にためになっています。
 「清張さんと司馬さん」半藤一利著(文春文庫)は、当時の文芸春秋社編集者として見てきた二人の作家を描いています。
 しかし、半藤氏は司馬遼太郎氏への思いが大変強いと思いました。大変印象に残ったのは、明るい明治を書き、昭和の暗黒時代を切り離してとらえる司馬氏に疑問をなげかけ他のに対し、司馬氏が答えた言葉です「「『ノモンハンを書けと言うことは、私に死ねと言うことだよ』寂しく笑うのが、おしまいごろの返事になりました。」

 「司馬遼太郎と藤沢周平」佐高信 (知恵の森文庫)は、佐高氏を含め様々な方のこれまでの、司馬遼太郎への評価をまとめた感じがする本です。佐高編集という感じですが、著名人の司馬評を知る上では役に立ちました。
 司馬氏を一貫して評価してきた、井上ひさし氏の「この国のかたち」の一巻目、二巻目を呼んだとき「あれ、作家は成長する、変化するというのは本当に言えるんだな」と僕は思った」。「司馬さんは独特の書き方で、実は自己批判なさっているなと感じて感服したのです。そして、もう五年くらい「この国のかたち」をお書きになったら、相当烈しいところへいったんじゃないかという気がします」と述べています。
  わたしは、司馬氏の歴史観の矛盾を率直認めることのできない?寂しさを感じました。
 「異評 司馬遼太郎」岩倉博 (草の根出版)は、加藤周一氏の馬遼太郎の史観についての文が載っており、参考になりました。
 「歴史の代用品にはならぬといいうことである。この小説が提供する歴史の解釈、歴史的事件の全体像は、われわれ自身の社会的現実と歴史的立場を発見するには役立たないだろう」とずばり指摘しています。
 この岩倉氏も大変な読書量の方のようですが、「あまりにも国民的作家などともてはやされると、生来の天の邪鬼(あまのじゃく)精神が頭をもたげて文句のひとつもいいたくなるのである。」と書かれているのは、真正面から司馬論取り上げているのは、決して天の邪鬼ではないと思うのですが。

 
 

原発ゼロ、収束、除染、賠償早く 千葉県集会

2011年09月29日 | Weblog
 今日は、千葉市中央公園で開かれた「原発ゼロへ」の集会に参加してきました。
 27日の志位和夫委員長の国会質問を見てましたら、あくまで人災を求めず、補償額を減らそう減らそうという姿勢ばかりの東電の西沢社長、政府も全面保障の立場にたたない。ひどい姿勢があらわでしたので、
今日は千葉市の東京電力前でもシュプレヒコールに参加、早期全面保障を求めました。
 集会では、日本共産党の田村智子参議院議員が、被災者の状況に対する、東電や政府の真剣とは思えない態度を取る国会報告をしてくれました。

 私は、トラクターやむしろ旗を持って参加の知り合いの農民連の方とも交流しました。

侵略戦争美化の教科書採択されず(千葉県全域で)

2011年09月26日 | Weblog
 9月18日付「千葉民報」によると、戦前の歴史観・道徳観で作られた、育鵬社、自由社の教科書は、県内すべてで不採択となりました。
 自由社歴史教科書は年表盗作疑惑まで発覚しました。
 
 千葉民報の記事より

 今年の中学校教科書採択は、道徳教育の強制による愛国心の育成をねらった、06年の教育基本法改悪後、初の本格的全面的採択です。「教育基本法に『最も適した』」とうたう、天皇制と侵略戦争賛美の教科書、自由社「新しい歴史教科書」「新しい公民教科書」、育鵬社「新しい日本の歴史」「新しいみんなの公民」の4種(以下、「つくる会」系教科書と略称)が検定に合格し、全国各地で日本会議や自民党など右派政治勢力が圧力をかけて採択を迫りました。9月1日、県教育庁は「県立・市町村立中学校平成24年度使用教科書の採択状況一覧」を発表しましたが、「つ<る会」系の教科書はどこでも採択されませんでした。

睦沢町議会議員選挙は12月25日投票 多数激戦か?

2011年09月24日 | Weblog

二十二日睦沢町選挙管理委員会が開催され、任期満了に伴う睦沢町議会議員選挙の日程を十二月二十日告示二十五日投票と決めました。
 すでに、十四の定数に対し、有力十七~十八名の立候補の動きがあり、大激戦の様相です。
 日本共産党睦沢町支部は、市原時夫町議(現)の立候補を決定し、防災対策、国保税の引き下げ、住宅リフォーム助成、デマンドタクシー制度、長生病院の充実など掲げています。

「平和といのちを考える会」が、大震災募金届ける

2011年09月23日 | Weblog
 8月に「平和と命を考えるつどい」を開催した、「平和と命を考える会」の北山裕会長は、22日このつどいを講演した睦沢町の御園生町長を訪問し、つどいの報告と寄せられた大震災被災者募金の状況などについて報告しました。
 町長は「それはご苦労様でした。募金ありがとうございます」と応じました。
 その後、同じく、後援団体の睦沢町睦沢町社会福祉協議会を通じての募金を手渡しました。

防災計画見直し・自然エネルギー導入検討へ

2011年09月22日 | Weblog
 9月8日から開かれた、睦沢町9月議会の一般質問で、防災災害に強いまちづくりについて質問しました。
 私は、「第一は、政府は、災害復興への支え合う気持ちを逆手にとって大企業への優遇措置そのままに国民への増税・福祉削減で乗り切ろうとしている。今こそ、医療・福祉・くらし充実の人的充実を含めた行政運営と下からの防災のまちづくりをすべき」「自治体職員の被災地支援とその安全、装備、住民への情報提供」「防災計画の『見からの安全は自ら守る』を強調するのでなく、公助・公的支援の責任を基本にすえる」「地震・津波予測と避難対策の具体化。」「地域ごとの住民の知恵を生かすこと」「放射の測定は月一回ではなく継続的積算線量計を測定すること。学校だけでなく学童クラブなど子供の集まる場所も設置すること」などを求めました。
 町は「11月に住民参加の防災訓練実施、防災計画の見直し、自然エネルギー導入の検討をする」と答弁しました。また、学童クラブにも線量計を設置すると答弁しました。

どこまで「やらせ」出るのか。北電は総出でやらせ

2011年09月21日 | Weblog


今日の「赤旗」一面で、やっぱりそれにしても、まさに北電総出でやらせとは。
 一方、東京の「さよなら原発」集会に6万人。国民は黙っていない。

以下「赤旗」記事です。

 北海道電力泊原発(古宇郡泊村)3号機建設をめぐり、道が2000年に道内5会場で開いた「道民のご意見を聴く会」に北竜社員、OB、取引業者らが一般参加者を装って多数参加し、ぐるみで賛成意見を提出していたことが分かりました。日本共産党の真下紀子道議と畠山和也道委員会副委員長が20日、道庁内で記者会見し明らかにしました。
2000年3月に泊村、同5月に旭川、札幌、帯広、函館の各市で開かれた「聴く会」すべてに北電社員が参加。真下道議の調査では、少なくとも泊で1人、旭川で11人、札幌でのべ29人、帯広で4人、函館でのべ2人の北電関係者の意見陳述・アンケート提出が確認されています。
5会場の意見提出件数は202。北電関係者による会場での提出件数は47で、2割を超えます。
意見総数では賛否が拮抗しており、一連の「やらせ」がなければ、反対意見が賛成意見を大きく上回っていました。泊原発3号機自身が「つくられた虚偽の世論」による存在で、知事が建設を認めた根拠が崩れたことになります。
アンケート記入者には、当時旭川支店長だった松藤哲夫元副社長や、長谷川陽一常務らの幹部名がずらり。井田邦佳現道電力総連委員長など労働組合幹部の名もありました。
 松藤元副社長は「原子力発電所の事故が、原爆と同じ被害をもたらすとの意見には驚いた。(中略)反原発論には、新エネルギー、特に風力、太陽エネルギー等に期待する向きが強いが、量的にも、質的にも非現実的である」と記入しています。
 「聴く会」をめぐっては、北電が住民に「賛成」の意見陳述をするよう工作していたことも判明しています。
 真下道議は「聴く会を主催し、この『やらせ』の意見提出を受けて3号機建設にゴーサインを出したのは道です。高橋はるみ知事は北電役員から献金を受けていますが、北電の調査待ちにならず道自らが調査する責任がある」と話しています。

お母さん方の運動や署名運動力に、こども医療費中学卒業まで前進

2011年09月20日 | Weblog
睦沢町の9月定例議会で、こども医療費無料を中学3年生まで延長することが決まり、予算化されました。
 わたしは、こども医療費無料化が2歳までだったことから、就学前まで、小学校卒業まで、そして今回の中学卒業までと、署名活動やお母さん方といっしょにねばりづよく要望してきました。
 議会では、財源もしめして実現を迫ってきました。
 9月議会では、 一時立て替え払いの制度から、窓口無料化へ全面適用すべきだと質問しました。
 長生郡市では、長南町、長生村、一宮町が中学卒業までの医療費無料化、いすみ市では高校1年までの無料化が実現しています。
 なお、睦沢町は、所得制限も2~300円の負担金もありません。

明治維新以後の日本を翻訳から考える  「翻訳と日本の近代」

2011年09月09日 | Weblog
 加藤周一氏は、戦後の日本が価値観を一夜にして変えたこと、知識人の戦争責任などそれは、なぜか、という問題意識が根底にあったように思います。
 「翻訳と日本の近代」丸山昌男氏に聞くという対談を本にしたのが、この本です。
江戸時代からの経過も含めて明治以後の外国語の翻訳を急速にすすめた、日本の近代について分析しています。
 わたしは、なぜ、日本は他のアジア諸国とちがい、植民地にならなかったのか?なぜ、侵略の道をすすんだのか?、明治維新は民主主義革命か?などの疑問を持っていました。
 この本の中では、「アヘン戦争の結果に震撼した}(丸山)ショックから、急速な近代国家の必要性を感じて、「徹底的な情報獲得が必要で、したがって翻訳が必要だということになる」(加藤)と述べています。
 対外的には「クリミア戦争と南北戦争は大きい。・・・・ひとの国に行くところじゃない。その二つの理由で、日本に対する圧力が急激に減少した」(丸山)と言っています。
 「距離の問題もあったでしょうね」(加藤)。
 以前歴史の先生に聞いたときには、この外に、日本の軍事力、セポイの乱でのインド人の植民地への抵抗の強さなどいよるイギリスの政策の変更など、さまざまな要因を指摘されていました。
 不破哲三さんは「まわりの国ぐにを従属させることで、大国の仲間入りをしようという根性が早くも現れたわけで、この横暴なやり方が35年後の「韓国併合ににつながっていった」」「つまり、弱い民族を支配する帝国主義的な国になることによって、大国の世界へ仲間入りをしようと」と書いています。(新・日本共産党綱領を読む」。
 この「新・日本共産党綱領を読む」は、歴史書ではなく、日本共産党の現在の基本的方針を決めるときの綱領についての報告集ですが、現在もつづく戦争美化の教科書など「侵略戦争はなかった」「アジア解放の戦争だった」などの間違った見方を歴史的に打ち破っている書でもあります。
 「日本近現代史を問う」(学習の友社)は、明治維新を国家権力と民主主義の側面から見て、民主主義革命と言えない。いっぽう、上からの強引な資本主義化という点について「たしかに革命的であり、資本主義化をうながすmのでした、この面だけをとあらえれば、革命です」とイギリス・ドイツ・フランスなどのつまみ食い近代について「ある種の典型的な近代化のモザイク模様」と分析しています。
 ただ、この本の「沖縄はなぜ戦場にされたのか」の部分は、沖縄の特殊性を強調しすぎているのではないかという気がします。


 

「わが街ふるさと」 が「赤旗」に掲載

2011年09月08日 | Weblog
 「赤旗」日刊紙で、日本共産党地方議員が書いている「わが街ふるさと」欄に、睦沢町をかいた私の記事が掲載されました。
 町外から来た友人たちは口々に、「いい街だね」と言ってくれます。
 先日も中央公民館で開いた「平和といのちをかんがえる会」にびっくりしたのですが、歌が好きな友人は「こんないい街があったのか」と驚いていました。
 高い国保税など、行政の問題は多いのですが、自然と人情と子供達を大切にする人の心がすてきなまちです。



 記事の内容です。
 わが睦沢町(むつざわまち)は、千葉県の房総半島中央部よりやや東南に位置する、人口7500人の小さな町です。お隣、一宮町や御宿町、勝浦市に比べ、よく知られていません。 古代の遺跡や「吾妻鏡(あずまかがみ)」で紹介されている鎌倉時代の城跡・大柳館(おおやなぎのたち)のあった場所は、わが家のすぐ近くです。
 昭和初期には、日本共産党員もいっしょにたたかった、旧・土睦(つちむつ)村小作争議には、弁護士の布施辰治も来援したと土睦村史にはあります。
 農民学校を開校し子どもたちに勉強も教えるやり方は、プロレタリア作家の立野信之が、「少年隊」と題して短編に書きました。 また、1961年6月からの「アカハタ」日曜版に作家・金親清が連載しました。
 こうした、子どもを大切にする伝統は、全国に先駆けた、学校給食の自校方式ランチルームの導入と、その後の給食センター化の押しつけを許さない新日本婦人の会をはじめ、保護者の熱い運動に引き継がれています。
 若いお母さん方と一緒に始めた学童保育は、自力で当初4人の学童で民家を借りてとりくみまし。
 その後、町社協の事業として、現在では旧保育所を利用して夏休みは60人が利用する、地域にとってはなくてはならないものになっています。
 平成の合併を周辺自治体住民とともに、はね返しました。原点には、茂原市の大借金を孫子の代にまで継がせたくないという思いがありました。
 町の無形民俗文化財の踊り「佐貫季寄(さぬき・きよせ)」も子どもたちの踊りです。
 今も、私の地元寺崎では「勝見和太鼓」として子どもたちの太鼓があります。
 伝統文化と平和への思いは、歴代の学芸員の努力もあり、議員として要望した歴史民俗資料館の町民の戦争体験(睦沢町史研究別冊)として作成されました。各地から訪問者が来ています。
 睦沢町は自然豊かな夕日のきれいなところです。私が子どもの頃、北海道日高地方で見つめた夕日が、この地でも輝いています。
(睦沢町議・市原時夫)

かずさ有機センター(堆肥センター)放射線は不検出

2011年09月07日 | Weblog
 2日に開かれた、議員全員協議会で、睦沢町のかずさ有機センターの堆肥センターの酪農家の使用料金の引き上げと堆肥販売価格の引き下げが説明されました。
 これは、民主党政権になり、これまでの補助基準がきびしくなり、睦沢町での堆肥活用方法では適用されなくなったことなどにより、経営改善がもとめられていたものです。
 これにより堆肥の袋詰は10キログラム700円を400円に引き下げます。
 なお、私は、放射線が問題になっており、堆肥も調査したのか、その結果を町ホームぺーに載せるべきだと質問しました。
 町は、8月18日に検査し不検出だったとのべ、また、ホームページにも掲載すると答弁しました。

 その後睦沢町のホームページに掲載されました。

議員定数 現状維持  議員定数問題等調査特別委員会で採決

2011年09月02日 | Weblog
 今日は、第5回議員定数問題等調査特別委員会が開かれ、採決の結果、議員定数14の現状どおりとなりました。
 私は、議会のあり方として多様な声を反映できる数が必要だということ。大震災の中で、行政・議会の役割の重要性が改めて見直される必要があること。地方自治法で上限値は18とされている事など述べてきました。
 他の議員からは、近隣の自治体での議員減少による困難な例、様々立場の議員が必要などの意見がだされました。
 その結果、議員を12名にし報酬は変えないに賛成が1名、12名にして報酬10%削減が1名、議員を法定数上限の18に戻し報酬を10から12万円減らすが1名、現状維持が10名で、現状維持が決まりました。
私は現状維持の態度を取りました。