JCP市原時夫です

千葉県房総の睦沢町から、政治・経済・歴史・オペラ・うたごえを考えるgabuku@m12.alpha-net.ne.jp

地デジ対策、国の補助制度に異議あり 維持管理費問題浮上 地上波停止はやめるべき

2011年02月17日 | Weblog
 睦沢町は、地デジ難視世帯が現在833にものぼり、町は44カ所の送信アンテナ設置を計画しています。
 この設置は、地上は停止の時期に間に合わないために、BSを活用した当面の対応の申し込み状況について、433世帯から申し込みがあったと報告がありました。
 睦沢町では、数年前からこうした議論が進められており、私は、BSへの無料一時対応の徹底について、申請を待つのではなく、戸別に実態と要望を聞くべきと主張してきましたが、現在は、国の方針にもとづき委託業者が戸別に訪問・電話などで対応していると報告がありました。
 また、新たに一部難視地域が生まれています。一方、難視地帯でもそのまま視聴できる世帯もあるなど、複雑な状況も生まれています。
 さらに、現状での、総事業費は2億9千496万1千円中、国の補助が1億9千600万円、NHK補助金が2千332万4千円となっており、町の負担分7千800万円のうち、6千720万円は起債で行い、交付税措置で一定は歳入に組み入れられる見込み。
 しかし、年間維持管理費が500万円から1000万円かかる見込みで、特別交付税の歳入見込みとしていますが、未定です。
 さらには、NHK助成金と引き替えに、今後、中継局設置などの要望を行わないことの誓約書のようなものの提出を求めるなど、アンテナ交換時期を見ると今後の大きな問題点を残しています。
 国が一方的に、地所波を停止し、その対応を地方自治体に任せ、独自に努力している睦沢町のようなところに、後は、国やNHK視聴料金をとっておきながら、その後は知らないとは、あまりに無責任ではないでしょうか。

 
 

若者向け住宅など 若者定住促進事業の考え示す

2011年02月17日 | Weblog
 15日に議会全員協議会が開かれ、町は「若者定住促進事業」をすすめる考えを示しました。その背景として、人口、若者の顕著な減少傾向があります。
 人口では、S30年8887人がs45年には7068人、H72は8250人、H22年には7341人と一時の上昇傾向がまた下降してきたこと。
 特に、土睦小学校では、H22年234人がH28は190人、瑞沢小では、H22年71人がH28年は44人、睦沢中学校ではH22年194人が141人と見込まれるなどの推計がなされていることです。
 町では、群馬県上野村の視察や長野県下条村などの若者住宅などを研究しているとのことです。
 この会議で私は「単なる建設計画としてではなく、手法を確立すべきだとして、団塊の世代の退職時期を迎えており、様々な知識・経験・技術力を町の発展に生かすべきだ。住民参加型で全面的なまちづくりを検討すべきだ。そのためにも、専任の職員を配置し、住民参加型の計画策定をすべきだ。議会としても常任委員会はじめ、行政、議会、住民参加型をすすめるべきだ」と述べました。
 

 

原爆症認定集団訴訟の平和への思い、勇気、勝利の記録

2011年02月17日 | Weblog
 千葉県原爆症裁判が第一次訴訟、第2次訴訟の判決が2010年5月25日に千葉地裁で判決が下り、原告8名のうち7名が認定を勝ち取る中で8年にわたる訴訟が終結しました。
 その、勇気と運動の記録「命をかけてたたかった8年 千葉原爆訴訟裁判」(145ページ)が発行されました。
 わたしは、2003年の第一回口頭弁論の傍聴を行い、原告の朝比奈隆さんの原爆投下当時の話に衝撃を受けました。
 このたたかいは、弁護団 団長の鈴木守弁護士によると、「①原爆被害の実相を明らかにする。②認定行政を抜本的に改善し被爆者を救済する。③核兵器を廃絶する目的を掲げて全国の被爆者が立ち上がった訴訟です。その中で、認定基準の大幅な改善へと国を追いつめることができた。」「被爆者切り捨ての本質はいまだ克服されていません」とその位置づけと成果、今後の課題について述べています。
 支援する千葉の会の 会長 高橋稔さんは、国を動かしてきた裁判闘争の意義と原告の一人「岩佐さんの「白内障」は老人性であるとして認められませんでした。残念です」「被爆行政はまだまだ多くの課題を抱えています」と今後の運動の課題も述べています。
 こうした、市民運動が、国連の潘基文(パンギムン)事務総長の核兵器全面禁止のアピール国際署名へのメッセージや元ちとせさん、播本勲さん、沢田研二さん、吉永小百合さんなど著名人の賛同を広げる力になっているのではないでしょうか。

 原告の朝比奈隆さんは「私は被爆の記憶を脳裏からかき消そうとしていた。裁判が始まってこれは間違いだと気がついた。トラウマと友にいきるのが人生ではないか。今まで自分の世界の中でしか考えていなかった。画家としてそれでいい。が、核の問題はあまりに大きい。自分の殻から一歩踏み出す機会を与えていただいたと思っている。」と書かれています。
 世界の問題と内面の葛藤の中で、踏み出した勇気に感動しました。