さすらうキャベツの見聞記

Dear my friends, I'm fine. How are you today?

看護と祈り

2007-06-05 23:59:59 | Tuesday 病院
 どこかの誰かが、

 看護そのものが祈りだ

ということばを残していたように思う。

 ある意味、衝撃を受けた覚えがある。

 どうしたって、病院で何人もの方々をみることになると
―日勤であっても10名超えていると、最低ラインをなんとかケアしていくのが関の山―
ゆっくり相手をしたくても、ケアを十分にしたくても難しい上、
肉体労働でもあり、知的労働でもあり、感情労働 1)でもある。

 だが、確かに・・・

 私たちは自分の行う看護のなかで、
 願いというものを持っています。

 この人がよくなってほしい、
 この人が今日は苦しまないでほしい
 もしこの人が死を迎えなければならないなら、
  ・・・どうぞ安らかに、というように、
 その人にとって良いことを私たちが願うとき、
 それが祈りと意識していなくても祈りであり、
 看護そのものは一つの大きな祈りであるという
 確信を持っています。

 

 確かに、その日受け持つとき、
「少しでも良くなりますように」
 「何事もありませんように」
 と祈りつつ、行っているなぁ・・・
 その仕事が終わった後すぐ、
感謝の祈りは忘れていることもあるが
 (こらこら、自分、
  誰かに何かをお願いしたときは、御礼を言うことも礼儀だろうが。)



 さぁて、
 明日が良い一日でありますように。



【注】
1)感情労働:肉体労働・頭脳労働でも言い表せない、感情も全てコントロールする労働を指して言われる。フライト・アテンダント、看護師に対して使われることが多い。
      バム・スミスの「感情労働としての看護」(ゆるみ出版)がなかなか興味深い。
コメント (2)
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