さすらうキャベツの見聞記

Dear my friends, I'm fine. How are you today?

自由を以って奴隷となす

2012-12-31 12:12:41 | Sunday 聖書


 『私はだれに対しても自由ですが、

より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷となりました。』

(新約聖書・コリント人への手紙 9:19)




        ************



 『ユダヤ人にはユダヤ人のように(9:20)』

   ・・・ ex.ユダヤ人の手前、ギリシャ人のテモテに割礼を受けさせた(本質的ではなく、文化的な側面では妥協or配慮 cf.使徒16:3)














    (⇔ ただし、本質的なことにおいては、きちんと主張(cf. ガラテヤ2:11-3:1))

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キャベツが怒るとき

2012-12-31 09:01:16 | Sunday 集会・生活
 その昔、キャベツは「喜怒哀楽」のうち、「喜」と「哀」しか抱かなかった。哀しいコトに対しては、感情を凍らせる(無感覚にする、もしくは乖離させる)ことを学んでいた。

 「怒」は、「相手に期待しているからこそ、起こってしまうもの」「思い通りにいかないときに生じるもの」であり、「期待を抱かなければ、怒ることもない」と考えていた。確かに、そういう面もあるだろう。


        **************

 だが、最近、神と人とのおかげで、「感情を凍らせる」という対処ではなく、表現できるようになった。ここ6,7年だ。
 では、自分がいったいどのようなときに、怒るのだろう、と考えてみると、以下のようなものだった。


・暴力

・レイプ


・福音が、きちんと伝わるように語られていないとき

  (例えていうならば、インフォームドコンセント時、医療者たちだけわかっても、患者に伝わっていない/患者が納得できない内容は、それは「きちんと伝わるように、語られていない」。せめて、なぜ、その必要性があるのか、きちんと説明しなければならない。治療のごり押しは、意味がない。 選択の余地は、患者にある。だが、状況や必要性をきちんと説明するのは、こちら側の責任だ。


・みことばよりも、自分(自分たち)を高みに置く考え方

 (← 大抵無意識であり、自分たちがみことばそれ自体を軽んじていることに気付いていない。これは、「何々派」を形成することや、誰かの発言を高みに置くことも同様である)


・生きており、生き生きとしているものを、まるで死んだ腐った魚のように表すもの。


・せっかく、聖書の話だけ1時間もできるのに、全然別の内容を話すもの。だが、自分の哲学や考え方に引っ張っていくほうより、明らかに、無駄話であるもののほうが、まだ良い。


・「謙遜」ではなく、「自己卑下」するもの。

 「私には何もありません」といって、頂いているタラントを地に埋め、磨こうともしないもの。それは、自分自身(のプライド)傷つかず、自己満足にさえ陥ってしまうが、実のところ、全体として大きな損失であり、かつ、神に忌み嫌われる



・本質的なことではなく、全然本質的ではない所での強要、つまづきを置くもの。


・主が与えないくびきを、「これは主のご命令だ」と言って、人に強いるもの
(自分は、主に忠実なつもりであり、自分たちに従わないものは、「神に従っていない」のだと判断するもの。その昔、使徒行伝時代、ユダヤ教徒からの改宗者が行っていたようなもの)。



・中身がナイヨウな話。(それは、皆の時間を無駄に奪うだけであり、皆を疲弊させるだけだ。)



・「形」だけ、どうにか整えようとすること。
 (ex.「朝礼の時間」があるから、「話さなきゃ!」ではない。「話したい/伝えたい」ことがあるから、「朝礼の時間」を活用する のでなければ、本末転倒。そういう状況ならば、その時間は廃止したほうがいい。
「止める」ことには、「始める」ことよりも、決断を要するだろうが。
 ただ、そうなってしまっている場合、「形」より、先ず、人々がきちんと休息を取ったり、「自分と神との時間」をより持てるようにする必要がある。)


・理性(言葉)と心(思い)とが乖離した状態での、祈りや語り。
 
(話の巧拙、ではない。知識の多寡、ではない。たとえ、言葉は拙くとも、言葉と思いとが、一致しているかどうか。
  心からのことばか、どうか。ただし、「自分はそう思っている」と思い込んでいる状況 ― 実際ニハ自分ヲモ偽ッテイルダケ ― は、そのクセが直るまでに時間はかかるだろう。)


・真実を偽りと取り換えるもの。


・弱い葦を折る/踏みつけるもの。



・自分(or自分たち)を神の位置に置き、自分たちとのつながりがなければ、「悪」だとするもの。それは慎重さとは、違う。 (加えて、主のことばに反する場合にもつながる。)


・聖書それ自体ではなく、自分の考えに、聖書をパッチワークのように張り付けるもの(語る者は、よくよく吟味が必要)


・神が聖書や様々なことを通して教えようとしている時に、思考停止し、かつ、それを人にも強要するもの
       (わからないからこそ説明を求められているのを、「議論」とカンチガイするようなモノは論外)


・壊れたスピーカーが、延々同じところだけ、ひどい音声でリピートしているようなもの。



・自己陶酔型の、論理破綻。


・自分の中にわだかまりがある状態で、パンとぶどう酒を頂くもの。


・みことばに付け加えて発言するモノ、みことばを少しでも取り除いて発言するモノ(それを自覚して発言するのはまだ良いが、それが「みことばそのもの」と勘違いして発言する者はよろしくない)


         *************


 今、ざっと挙げてみたが、もしも-そうです、もしも万が一、デス-こういうことがある場合、キャベツの体内では、マグマが噴火しそうな感じになっている、らしい。少なくとも、アドレナリンが分泌されていると考えられる。






 だが―、
 もしも、こういうことがあったとき、それを怒るのは不当なことだろうか? 
( ただし、エペソ4:26 )









『祭司アロンの子エルアザルの子ピネハスは、

わたしのねたみを

 イスラエル人の間で自分のねたみとしたことで、

 私の憤(いきどお)りを 彼らから引っ込めさせた。

 わたしは、わたしのねたみによってイスラエル人を絶ち滅ぼすことはしなかった。』

     (旧約聖書・民数記 25章11節)



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ミキモトのツリー

2012-12-22 13:46:08 | Thursday 生活

 ある日、たまさかに銀座に行き、

 教文館からの帰り、すぐ近くにある「ミキモトのクリスマスツリー」を見た。

 (今年のは、なかなか素敵でした。)


         ***********


 そのときのおすそ分けです。

 
  (↑click here)



          
             (↑click here)


 …そして、見上げつつ、ふと、

 「マッチ売りの少女」を、思い出した。



 皆さま、暖かくして、お過ごしください。

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そこにあるコト

2012-12-19 21:17:00 | ひとこと*古今東西

 「書くこと、文章に姿をあらわさせること、それは特権的な知識を並べることではない。

  それは 人皆が知っていながら、

  誰ひとり言えずにいることを発見しようとする試みだ。」



                       (フランス人作家フィリップ・ソレルス
                             講演「小説と限界の実験」@『物語の役割』(小川洋子著)より)

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看護は祈り

2012-12-17 22:13:07 | ひとこと*古今東西

 私は、看護そのものが祈りであると

 いつも思っています。


(寺本松野ことば集「看護は祈り」,日本看護協会出版会)

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くだらないネタですが

2012-12-16 23:03:23 | 日々の雑感

 今、ふと見つけたのですが、、、

「男」ネタや

「彼女」ネタ、こんなものもありました。

次には、何がくるのでしょうね。




 ちなみに、ブラック・ジョーク (ブラックとして泣き笑うしかないネタ) は、常に十分すぎるほどなので、
穏やかなネタ募集中です。→(参照)

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戦前・戦中になりませんように。

2012-12-16 08:54:16 | Sunday 集会・生活

「すべての人のために、

 また王とすべての高い地位にある人たちのために

 願い、祈り、とりなし、感謝が ささげられるようにしなさい。」


             (新約聖書・テモテへの手紙第一 2:1)



                   


 先日、つい、『雲のごとく』(滝川晃一編、伝道出版社)をひっぱり出した。


 それは、70年ほど前の話。
 戦時中(WW2)、日本国内において、多くの教会で神棚が作らされたり、そういったことをこばんだクリスチャンが3000人ほどが逮捕されていた。

 その逮捕者には、ホーリネス派や、内村鑑三による無教会派の人々、また、私たち諸集会の先輩方もおり、その記録がそこにひっそりと残っているのだ。

(ちなみに、私たちの群れは、「キリスト集会」(←専売特許していない)、「ブレザレン」「プレマス・ブレズレン」(←外部からは)etcと言われるが、この当時の司法当局は、無教会派と区分するために、「無宗派基督者」とした。

 現代なら、「「宗派」は仏教関係に使う言葉だ、それを言うなら、「無教派キリスト者」だろう」、と、くすっと笑えるが、当時は、「非国民」扱いであり、そんなのどかさはなかった)



         ********************

 実は、つい先日、キリスト教出版社方面からの筋で、自民党改憲草案から、

●自民党憲法改正で、公立学校での神社参拝教育が可能に。(憲法20条改定により)
●ミッションスクールは私学助成金をとって礼拝を捨てるか、礼拝をとって私学助成金を捨てるかの選択を迫られる。(憲法89条改定により)
●「公益および公の秩序」を乱す者は排斥。お隣の人と同じようにしないキリスト教徒を排斥?(自民党憲法改正案の複数箇所に繰り返し出て来る「公益および公の秩序」により)


 の可能性がある、という情報があった(ネット社会って、便利ですね)


 それを知った私は、「これから戦争がいつかどこかで勃発するかもしれないときに・・・(また、自衛隊に関する取扱いも変わるかもしれないときに)・・・」と、懸念を抱いた。
 今はまだ、それ程度ですむかもしれないが、それを元に、今後戦前・戦中のような事態になる可能性があるのではないか、と。

 ― 政治関係にも疎いため、各自で吟味願います。 ―


              **********


 ちなみに、「自民党改憲草案」でググると、

『ヤバすぎだ、と話題に・・・自民党 日本国憲法改正草案対照表 2012版』

 というのが、出てくる。

 今、反原発のデモなどが行われているが、そういったことも、適応によってはできなくなる(逮捕される)だろう。


               *********


 今日は、
「衆議院議員選挙」
「最高裁判所裁判官国民審査」
「東京都知事選挙」
の日だ。


 誰に投票するにせよ、または、あえて投票しないにせよ、誰が残るにせよ、今日も、これからも、全ての人のために、祈っていく必要があるのだろう、、、と、改めて感じさせられる。


                      


「それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、

 平安で静かな一生を過ごすためです。」


             (テモテ第一 2章2節)



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【圧縮】放蕩息子

2012-12-09 23:44:01 | Sunday 聖書

『死んでいたのが生き返り、
 いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。』


                         (新約聖書・ルカの福音書15:32)



 「神の愛」とはなんぞや、というたとえ話のひとつに、「放蕩息子の話」というものがある。



 どんな話かと言うと、「あんたがくたばるのを待っていられないから、さっさと財産分けてくれ」と言うひどい息子に、いいよいいよと財産を分け与える親父の話だ。

  案の定、息子は湯水のように親父の金を使い果たし、無一文になり、落ちぶれに落ちぶれて、そこでようやく、親父の家に戻ろうと思う。

  さすがに、「親父にも、神さんにも悪かった。召使いでもいいから家に居させてくれ」と言おうと反省しつつ、息子がとぼとぼ帰途につくと、この親父さん、息子はまだまだ遠くにいるのに、息子だと気付いて、走って、ひしっとハグをして、とびっきりの着物や靴を着させ、子牛一頭まるまる屠(ほふ)って、宴会までし始めた。

  親元で、真面目にコツコツ仕事をしていた兄息子が、嫉妬するくらい、親父さんは、戻ってくるのを喜んだ。






 この親父さんが神様で、この放蕩息子が ―程度の差はあれ― 人間というものなのさ。


 これっくらい親バカな愛情の持ち主だから、・・・あなたが戻ってきたら、さぞ喜ばれるだろうて。

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10行+主題で

2012-12-09 23:43:05 | 日々の雑感

「序・破・Q」(序破急)ならぬ、

「起承転結+余」(5記事)となっていたのを、

「10行+主題で」と言われて、「む、ムリだ~~~~・・・!!」と叫びつつ 書き直した。




 良い訓練を、ありがとう。
 それにしても…他の方なら、どう「10行+主題」にまとめるだろう?(゜_゜

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たとえ話の有効性

2012-12-09 21:26:36 | 日々の雑感
 それなりに一生懸命書いてみたあと、

「んで、主題はどこ? 後方に追いやられているんだけど」

と聞かれて、「ああ、やっぱりそうか。ぼやけているかァ」と思い、



「何を説明したいの? 『たとえ話』自体を説明したいの? それとも、『たとえ話』の主旨を説明したいの?」

と聞かれて、「結局、『たとえ話』自体を説明しないと、2000年前のまま どこか遠くの話で、今の自分とリンクしてイメージしてもらえないじゃないか。」と言いつつ、思った。






―説明しなきゃならんのなら、それは、すでに、(その対象者にとって)『たとえ(話)』でさえ、ない。

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