さすらうキャベツの見聞記

Dear my friends, I'm fine. How are you today?

疑うのは悪か善か

2014-05-25 22:38:09 | 日々の雑感
 「疑うは悪」というのが、もしかするとキリスト教界、否、人間の世界では当たり前なのかもしれないのですが、

「本当に、この人は○○さんなんだろうか」
「本当に、この薬はこの薬なんだろうか」

という疑いの目を自他ともに持つのが美徳なのが、少なくとも、医療界の常のようです。

 さとうさ~~~~ん、と呼んで、さいとうさんが来る、なんていうのはまだ良いほうです。
 耳の遠い年配の方が間違えて、「はい、私です」というのも、まだ可愛いものです。


 人間は間違えるもの。


 諸々の確認を経て、今日も私たちの安全が守られてい・・・ます。




 決して、昔々、ギデオンが神様に向かって、相反することをもって数度確認作業をしたことを、「弱気だ」とか「不信心だ」とか、短絡的に言うものではない、とつくづく痛感します。

 人間は、神ではなく、

 「本当にそれで正しいのか?」という一呼吸(確認・吟味etc)が無ければ、『思い込み』という罠が、口を大きく開けて待っています




 確認は、大事です。




『ギデオンは神に申し上げた。
 「もしあなたが仰せられたように、
 私の手でイスラエルを救おうとされるなら、・・・

  どうぞ、この羊の毛でもう一回だけ試みさせてください。
  今度はこの羊の毛だけがかわいていて、
(その下にある)土全体には露(つゆ)が
降りるようにしてください。」


(旧約聖書・士師記 6章36~39節)』


(続き)

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続 疑うのは悪か善か

2014-05-25 01:18:56 | Sunday 集会・生活
(前)

 もしかすると、早合点する人がいるかもしれない。

 疑うのを良し、とするべき(Because 人は神ではない)と聞くと、「人を常に疑え」という意味であると。

 いや、そんなことをしていたら、あなたは外食できない。
 椅子に座るのも「これは壊れないだろうか」と確認しなければならなくなる。
 周囲の人たちとも、ぎすぎすしてしまうだろう。

 ここで言うのは、「自分」に対して、である。


          ***********


 たとえば、先の事例で言うと「○○さ~~~ん」と呼びかけたら、ある人が来たため、
「○○さんだろう」
と自分は思う。
 「○○さんですか?」「はい、そうです」
その返答で、この人が○○さんであると自分が思い込むのを避けるために、
「確認のため、フルネームでお名前を頂戴してよろしいですか?」
と言わなければならない。

 これは、自分が、「この人が○○さんである」という思い込みをしないために、必要な確認である。

(決して、相手を疑っているわけでも、相手がボケているかどうかを疑っているわけでもありません。)

         **************


 そもそも、

「自分は、物事/誰かの発言を、こういう意味で理解したが、本当に、相手はそういう意味で言ったのだろうか」

と思い巡らすには、そもそも、自分の認識を過信しすぎない(自分の認識を疑う/吟味する)姿勢が必要である。


「さっき言っていた○○は、こういう意味で良かった?」
と確認せず、自分はこう思うということを『絶対的』に考えてしまい(もしくは、そうされて)、要らぬ仲たがいをしていたり(されたり)、険悪なムードになるのは、誰であれ、経験したことは皆無ではないと、思ふ。

 人は、神ではない。
 絶対的なものでもなく、間違いがないわけではない。

 だが、どうしてどうして、「自分の認識が、神(絶対的なモノ)である」と思い込むことが、人は多いのだろう。


 もちろん、自分の認識・枠組みを通してでなければ、人は世界を認識できないものではあるが。


(何をもって「確認」とするか、
 また、「確認」をすることは、大切です。)



         *************


 人と人との間でもそうなのだから、ましてや、神からの声を「思い込まない」ために、

 ・聖書(神のみことば)を一部ピックアップするのではなく、全体を通して考える
 ・祈る

 ということが挙げられるが、それでも思い込みが強い人/時は、何かを何かとして思い込んでしまうかもしれない。
また、本当にそれでいいのかわからないことは多いかもしれない。
 そもそも、「これは、神のお導きなのかどうか」というのは、地上を歩む間、日々直面する問題でもある。

 そんなわけで、祈るとき、私はしばしばこうお願いする。

 「私でもわかるように、お示しください」

 これは、相手(神)を疑うのではなく、自分の認識が「神ではないものを神として勘違いしないため」「確実に、過(あやま)つことなくみことばを理解するため」に、デス、と。人は、神とは違い、間違うものですから、と。





(つれづれなるままに。一つのメモとして残す。)

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千駄ヶ谷

2014-05-19 07:41:18 | ところ変われば
(ガラケーにて撮影)


 ただ今、朝帰り中です。 ・・・職場からですが。

 本日は自分のところの集会(いわゆる教会)で朝7時から祈り会だったため、朝帰りの道すがら、参加したのち、千駄ヶ谷経由で帰ることに。
 駅までの間、「ここは昔○○だったんだよ」と説明を頂きながら歩いたので、プチ・東京ぶらり旅となりました。


ちなみに、千駄ヶ谷駅の構内には「王将」の駒があり、その後ろには千駄ヶ谷の由来が書いてあります。


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翼(つばさ)

2014-05-10 08:36:48 | ひとこと*古今東西

「鳥のように自由に空を飛びたい」と言うのは勝手だけど…。鳥が飛ぶために、
何万回 翼を動かしているか、よく見てごらん…。


(北野武)

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恋するフォーチュンクッキー八戸市ver.

2014-05-06 00:03:42 | 日々の雑感
 『恋するフォーチュンクッキー 八戸市ver.(←クリックすると、You Tubeにリンクします)


 元ネタのそれは見たことはないのですが、最近、このようなものがあることを知りました。


 (なんだか、懐かしいような、知っている顔があるような・・・。
  いったい、どなたが言いだしっぺですかw)



 ・・・というわけで、八戸組の友人各位、一度ご覧あれ。


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