さすらうキャベツの見聞記

Dear my friends, I'm fine. How are you today?

訪タイ記 4)難民キャンプα

2014-10-24 05:55:09 | ところ変われば
 あっという間に、秋も深まり・・・。
 難民キャンプを訪れたときの、蒸し暑さがウソのようです。

 あれから、もう3か月近く。

 まぶたを閉じなくても、色んなものが焼き付いている。


(難民キャンプのNGOによる図書館にて)




(木の葉と、竹と、木で出来た家々。
 そして、雨季なのに、・・・日が眩しかった。暑かった)




 (ある家の軒先)





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『日本史のアクエリオン』

2014-10-21 21:43:50 | Wednesday 芸術・スポーツ
 先日、BGMの後半に入れた『創世のアクエリオン』をもじった、『日本史のアクエリオン』なるものを、本日、発見しました。


 ・・・これ、考えたヒト、頭ええわ・・・。
 いや、ホント、笑わせてもらいました。ありがとう。


『日本史のアクエリオン』を歌ってみた


(日本史の流れ、わからん、って言ってる若人に覚えさせるとき、いいかもしれない。

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いけにえより、むしろ・・・

2014-10-21 20:25:43 | Sunday 集会・生活


『わたしは誠実を喜ぶが、

 いけにえは喜ばない。

 全焼のいけにえより、

 むしろ神を知ることを喜ぶ。


(旧約聖書・ホセア書 6章6節)

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生と死

2014-10-19 21:30:47 | Sunday 集会・生活
 不思議なものだ。


 生きたい、と思っている者からは いのちが奪われ、

 死にたい、と思っている者は 長らえさせられるとは。


 いつまでこのいのちはあるのか、と思っている時は生きながらえ、

 生きたい、と希望を見出したとき、願いが強い時にこそ、
 あっけなく消え去るとは。



 どちらにせよ、この地球から見たら、私たちはほんのまたたきのようなもので、
 神の目には、さらに短い、一瞬でさえもない、
 長さ。

 その中で、私たちは、泣き、笑い、悲しみ、怒り、人を愛する。

 この儚い、束の間の時の中で、
 どれだけ、私たちは、
 出会い、別れ、
 喜び、悲しむのだろう。


 どれだけ、この<一瞬>が、濃密なことか。



 この与えられた時間をどう過ごすにせよ、
 どんな姿勢でいるにせよ、

 私たちには、いつか終わりがある。





 そのときになってからじゃ、遅いんだ。

 ・・・神がいるかどうか、だって? そいつは、鼻つまんで、口を閉じて、23分もすればわかるさ。。

 だが、そのときでは、遅いんだ。






 だから、願わずにはいられない。

 消えることのない希望を、

 あなたも持てますように、と。




 ・・・私は、天国でも、皆と茶を飲みたいよ。




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BGM

2014-10-19 20:01:14 | Wednesday 芸術・スポーツ
 窓の外でも、鳥はさえずっているのですが、つい。

ソルフェジオ周波数528Hz&静かな森 壊れたDNAを修復する 癒し&リラクゼーション


(ソルフェジオ&静かな森シリーズは、疲れていても、邪魔にならないので…)





アニソンらしいが、これ、いいですね。歌い手さんも、メロディーも。

創聖のアクエリオン(Cover)



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I have a dream.

2014-10-19 05:56:17 | 日々の雑感


I have a dream.




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できると思うからできるのだ

2014-10-16 22:07:45 | Sunday 集会・生活

「できると思うからできるのだ」

(ウェルギリウス、紀元前1世紀頃のローマの詩人)


 という声と、


「ムリです! コーチ!! 私にはできません!!!」

(なんちゃって、ひろみ)


という声とがせめぎ合う。





自分を信じられなくても、

(よくわからないが多分何かしら在る)

「自分に与えられた賜物」を信じよう。



ただ、夢見るだけではなく、手足が動いていることも確認しよう。



聖書にそうあるように、

「行動の伴わない信仰は死んでいる」


(cf.ヤコブ1-2章)

のだから。


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福音と 説教と ふり返り

2014-10-15 05:53:13 | Sunday 集会・生活
  『私は、ギリシヤ人にも未開人にも、知識のある人にも知識のない人にも、
   返さなければならない負債(ふさい)を追っています。』


(新約聖書・ローマ1章14節)


 Q.どうすれば、福音を伝えられるだろう?
 -それね、私も悩んでいることだよ。

 Q.どうすれば、もっと福音を伝えることができるだろう?
 みことばに親しむこと祈ること、そういったことは言わずもがなだが…(゜_゜ 

 Q.××で、どうやったらもっといいのだろう?
 ふり返り、してる?

 ・・・以下、簡単に、ふり返り方法のひとつのメモです。たたき台のため。


      ****************

1.誰に対して、なのか

 -伝えようとしている人がどんな人なのか。どんな考え方の人なのか。
 
 Q.え、初めての人でも?
 -逆に、その人のすべてを知って福音を語れるのか?
  入ってきたときの雰囲気とか、聖書の開き方とか、表情とか色んな情報を見ることと、祈ること。

  その人のすべてを知って語れるわけではない。
  (だが、そうなると、面白いことに「どうして知っているの?」と、思いがけないところで問われることはある。
   それは多分、自分にも測り知れないが、「聖霊に示されたんだ」ってこと)


2.何を伝えようとしたのか、何を伝えよと(聖霊から)示されたか

 -準備していた福音が、それも「今日はこれで大丈夫!」と思っていた準備が、その直前になって、急に別の箇所を示されることはある。2つ3つ用意していても。不思議なコトに、別を示されることは多々ある。ただ、あとでなぜ、そこを示されたのか考えること。


3.実際に開いたみことばと内容


4.<自己分析>できた点、できなかった点
   -“神”は間違えることはなくても、神のみことばを預かっている自分タチ“人間”は、間違えるし、すべてを知り尽くしているわけではない。完璧なわけではない。

   -“オレ様=神様”な人はふり返ろうとしないが、ふり返り肝要。
     かつ、他者からのフィードバック(実際にどう伝わっているか)も大事。

   -たとえば、患者に説明している時、医者や看護師はわかる内容であっても、その患者が理解できないような内容だったら、意味がないだろう? ただの自己満足だ。


  <他者から>良かった点、わかりにくかった点・もっとこうしたらよいという点

   -できれば、未信者の方に。
    そうでなくてクリスチャンからフィードバックをもらう場合、“実戦”している兄弟姉妹に。

   -また、未信者に尋ねる場合、
    「理解できましたか?」はナンセンス。
    「今日の話でわかりにくかった点はないですか?」「自分の勉強のためにも遠慮なく言ってくれるとありがたい」という形で尋ねると、相手も委縮しなくてすむし、余計な誤解を与えずにすむ。
   (自分を信頼してもらっていなかったら、“フィードバック”さえもらえない)


5.(4)を踏まえて、「なぜ、食い違うのか」を考える

  4.→まず、自分はなぜそう考えたのか。

  4.→相手は、なぜそう感じたのか。(“実戦”している人からの場合、4・5同時にフィードバックをもらえること多々あり)


6.それぞれ賜物(たまもの、才能)が違うのだから、あの人のマネ、とかではなく、あなた自身がもらっているものを磨いていかないと。毎回、これを行うのはしんどいと思うからムリはしなくてもいいが、“ふり返り”を繰り返していったら、もっと良くなると思う。

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さすらい人 @東京

2014-10-13 17:21:06 | Sunday 集会・生活

『彼は主(しゅ)を信じた。主はそれを彼の義(ぎ)と認められた。』

(旧約聖書・創世記 15章6節)     +へブル11:6-16



 関東に来て早12年半。
 内、東京に移り住んで早8年半。
 内、絶対行くもんかと思っていた都心に4年半。

 ただ今、ちょこっと都(みやこ)落ち=山手線の外、しているキャベツです。


           ***********

 元々、幼少の頃から、「高校を卒業したら、外に出ないといけない」というのはわかりきっていたのですが、大学を卒業したら、北東北のどこかに移り住み、静かに暮らしている予定でした。

 江戸っ子の方からも、「東京は住むところじゃない」と言われていたり、
 緑がないところには住みたくないと感じていたので、
 たとえ、関東にいても、東京は予定外でした。

 が、不思議なもので、東京におります。

(とりあえず、自分の肉親に何かあったらかけつけられるよう、遠くとも東京まで、と、一応制限しておりますが。)


           ***********


 今後、神様がどういうことを示されるのかわかりません。

 今年願っていたことの一つが、「自分の進む方向が、自他ともにわかりやすく示されますように」ということではあり、先日決めたことも、突然「今」でしたので、周囲の方々にはご迷惑をおかけしてしまいますが、どうぞご理解をいただけましたら、また、お祈りのうちにお覚えいただけましたら、幸いです。

 これから、何をできるのかわかりませんし、まだまだちっぽけな存在ですが、にっこり努力していきたいと思います。


 今はまだ、どこそこに行けという指令もないため、もうしばらくは、ココにおります。というわけで、皆様、東京に来た際には、またどうぞお気軽にお声かけください。

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詩編第4篇1節(文語)

2014-10-03 06:28:47 | Sunday 写真&みことば
(マケドニア・オフリド湖)



 わが義(ぎ)をまもりたまふ神よ

 ねがはくは わが呼(よば)はるときに答へたまへ

 わがなやみたる時(とき)

 なんぢ 我(われ)をくつろがせたまへり

 ねがはくは 我(われ)をあはれみ

 わが祈(いのり)をききたまへ



(旧約聖書・詩編4篇1節,文語訳)

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