どこかの誰かが、
看護そのものが祈りだ
ということばを残していたように思う。
ある意味、衝撃を受けた覚えがある。
どうしたって、病院で何人もの方々をみることになると
―日勤であっても10名超えていると、最低ラインをなんとかケアしていくのが関の山―
ゆっくり相手をしたくても、ケアを十分にしたくても難しい上、
肉体労働でもあり、知的労働でもあり、感情労働 1)でもある。
だが、確かに・・・
私たちは自分の行う看護のなかで、
願いというものを持っています。
この人がよくなってほしい、
この人が今日は苦しまないでほしい
、
もしこの人が死を迎えなければならないなら、
・・・どうぞ安らかに、というように、
その人にとって良いことを私たちが願うとき、
それが祈りと意識していなくても祈りであり、
看護そのものは一つの大きな祈りであるという
確信を持っています。
確かに、その日受け持つとき、
「少しでも良くなりますように」
「何事もありませんように」
と祈りつつ、行っているなぁ・・・
その仕事が終わった後すぐ、
感謝の祈りは忘れていることもあるが
(こらこら、自分、
誰かに何かをお願いしたときは、御礼を言うことも礼儀だろうが。)
さぁて、
明日が良い一日でありますように。
【注】
1)感情労働:肉体労働・頭脳労働でも言い表せない、感情も全てコントロールする労働を指して言われる。フライト・アテンダント、看護師に対して使われることが多い。
バム・スミスの「感情労働としての看護」(ゆるみ出版)がなかなか興味深い。
看護そのものが祈りだ
ということばを残していたように思う。
ある意味、衝撃を受けた覚えがある。
どうしたって、病院で何人もの方々をみることになると
―日勤であっても10名超えていると、最低ラインをなんとかケアしていくのが関の山―
ゆっくり相手をしたくても、ケアを十分にしたくても難しい上、
肉体労働でもあり、知的労働でもあり、感情労働 1)でもある。
だが、確かに・・・

願いというものを持っています。

この人が今日は苦しまないでほしい

もしこの人が死を迎えなければならないなら、
・・・どうぞ安らかに、というように、
その人にとって良いことを私たちが願うとき、

看護そのものは一つの大きな祈りであるという
確信を持っています。
確かに、その日受け持つとき、
「少しでも良くなりますように」
「何事もありませんように」
と祈りつつ、行っているなぁ・・・
その仕事が終わった後すぐ、
感謝の祈りは忘れていることもあるが

(こらこら、自分、
誰かに何かをお願いしたときは、御礼を言うことも礼儀だろうが。)
さぁて、

【注】
1)感情労働:肉体労働・頭脳労働でも言い表せない、感情も全てコントロールする労働を指して言われる。フライト・アテンダント、看護師に対して使われることが多い。
バム・スミスの「感情労働としての看護」(ゆるみ出版)がなかなか興味深い。
本当に、ふと発見しただけだが。
http://tokyo.txt-nifty.com/fukublog/2007/06/19_0694.html
が何をさすのか、悩みつつすすんでほしぃなぁ
とりあえず、今の看護のセカイでは、患者(または代理意思決定者である家族や重要他者)の望むところだろーなぁ
主語は、医療者ではないのだなぁ
「よくなる」ことが何をさすのか
そしてそれは、ほんとーに、「よい」ことなのか
の問いをどこかで(いつもとは言わないから。そんなん倦み疲れるから)もつことでしょうなぁ