さすらうキャベツの見聞記

Dear my friends, I'm fine. How are you today?

冬の種差海岸 2017

2017-02-25 22:38:45 | ところ変われば


 先日、八戸の土産屋で、昔懐かしめったに出回らないものを見つけ、東京の皆へ、とかごに入れていると、「つられてしまいました」と同じものを購入した年配のご婦人がいた。

ーこれは“通”な方々向けのお土産です、初心者へは「かもめの玉○」やラグ○オの「いのち」がお勧めデス、というべきだったかと少々悩んだりもー

(なにせ、そのご婦人は、キャベツの東京からの土産を、キャベツがどこで買ったのか言い当てたものの、八戸は初めてらしいと後に知ったので…)


そんなキャベツから、夕暮れ時の 冬の種差海岸(お土産)です。


(弟Kに送ってもらいました。車から降りたあたりがココです)


(この写真のあたりは、足場が悪いため、初心者は真似しないように)



(岩場まで行ったキャベツから、祖母と弟が待っている方向をパシャり。風の冷たさと、夕暮れの光と)


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ユダの硬貨

2017-02-18 18:27:43 | Sunday 聖書
徳島は鳴門にある大塚国際美術館。

全てが複製(レプリカ)、全てが陶製で再現されているというこの美術館は、キャベツがいつか行ってみたい美術館のひとつだ。




最近、その美術館にこんなお土産があることを知った。

ユダの硬貨。

30枚ではなく13枚らしい。なかなか斬新なお土産ではある。


(なぜ「13枚」なのかわかる人、日本人には少ない気がする。かなりシュールだ)




…これが、小説かウソだったなら、良かったんだがね…と、ユダさんの苦悩と逝く末を思いつつ。



「そのとき、イエスを売ったユダは、イエスが罪に定められたのを知って後悔し、

銀貨三十枚を、祭司長、長老たちに返して、

「私は罪を犯した。罪のない人の血を売ったりして。」

と言った。 しかし、彼らは、「私たちの知ったことか。
自分で始末することだ。」と言った。

それで、彼は銀貨を神殿に投げ込んで立ち去った。





そして、外に出て行って、首をつった。

(新約聖書・マタイの福音書27:3-5)


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欲しいお土産は何かと問うたとき

2017-02-18 18:14:44 | Thursday 生活
先日、「お土産、何がいい?」という問うと、

「キャベツ」

という答えが帰って来た。






もれなく、キャベツからのハグがついてきます。


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田舎

2017-02-18 10:31:38 | 日々の雑感

(車窓から)


東京の人の多さを味わうと、

こんな光景のひとつひとつが珍しく、懐かしくなる。


しばらく月一回は、見れそうです。

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されど我らの國籍は天に在り

2017-02-17 23:14:16 | Sunday 集会・生活

『されど 我(われ)らの國籍(こくせき)は 天(てん)に在(あ)り』

(新約聖書・ピリピ 3章20節、文語訳)






 2月のとある日。

 「昨日は、おじいさんが召された日ですね」

と言われたとき、「覚えている人がいたのか・・・」とじんわりと暖かいものが広がった。




 仏教と違い、私の知っている範囲では、クリスチャンが故人の命日に集まる、ということは

あまり無い。だが、ふと、その頃、想う。




「召されてから9年・・・もっと経っているような気がしました」

ともしみじみ言われた。

以前にも、他の方々から同じことを言われたことを思い出した。(母方の)祖父や、彼の親友が召されたのが、もうかれこれ10数年以上経った気がする、と。それだけこの間、様々なことがあった、ということかもしれない。

 だが、新しく(クリスチャンとして)生まれた者達は、すでに、その世代を知らない。

 私が知っている武骨な“空気”や“感覚”を、「そうそう」「それが普通だった」とうなずいてくれるのは、今や70代以上が主となってしまった…ような感がある。昔が(凡て)良い、と言う意味ではない。それらの積み重ねの上に、今がある、ということを知らない人々が多くなったということだ。

 たった10年かそこらで、ここまで遠くに感じるならば、イスラエルが荒野で40年さすらったのち、「主がイスラエルのためにされたわざも知らない」(士師記2:10)世代が起こったことも、全く不思議ではないように感じる。


 故に、野に咲く花が忘れ去られるように人が彼方に忘れられたとしても、

彼らから受け継いだ良きものは受け継がれるように、と願う。



 同時に、まだ地上にいる彼らの世代には、-天国の方がどんなにかマシだ!ということは重々承知しておりますが-まだまだがんばっていただきたいと思う所存。

 とりあえず、皆様、「キャベツの結婚式」があるその日までは、お元気でお過ごしください。

 -Please take care until then.



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