さすらうキャベツの見聞記

Dear my friends, I'm fine. How are you today?

光あるうち光の中を歩め

2014-11-23 22:39:16 | Sunday 写真&みことば
(雨季のウユニ塩湖,ボリビア)


『光あるうち光の中を歩め』


(新約聖書・ヨハネの福音書12章35節 参照。

 トルストイによる、同名の作品あり



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訪タイ記 6)つれづれなるままに

2014-11-23 21:02:05 | ところ変われば
<トイレ事情> 2014年



 バンコクおよびメソトにて拝見した所、空港や5つ星ホテル、高級デパートなどには、トイレにトイレットペーパーがあったが、たいていのところは、確かに、トイレには紙はなく、このような“水洗”トイレでした。

 写真の右にある、幅広のおまるのようなトイレの上にしゃがんで、トイレをすませたあと、その左にある水溜から、ひしゃくなどで水を取り、陰部を洗うそうです(だから、あちらでは「左手は不浄」なのだろうか、と納得)。人によっては、陰部に触れるほどにして使う場合もあるでしょう。 衛生管理上・・・膀胱炎になりそうな・・・(実際、多いとのこと)。

 トイレットペーパーとは言わずとも、日本のトイレに慣れた方々は、ティッシュペーパー持参が必要なようです。
 ちなみに、日本語の旅行誌の中には、バンコク市内に関しては「おすすめトイレ」と称して、「どこのトイレには、トイレットペーパーがある」というコメントがある雑誌もあります。





<経済事情>

 詳しいことはわすれました。
 格差が激しいということを、猛烈に叩き込まれたこの夏でした。

 タイ国内の一日最低賃金は300バーツ(以下B。=日本円にして、1000円程度)。

 難民キャンプの学校の先生や、スタッフは、1か月で500~1,000B程度。

 キャンプの外の、NGOのメディックでも、それより少し多い程度。

 NGOスタッフも、約10,000B~。
 (↑「暮らしていけない!」と、交渉してようやく、この金額まで引き上げてもらったというお話も…)

              

 一方、日本国内で、たとえば月収25万だとしたら、タイバーツ換算にすると、76,000 B程度に。
 月収35万円ならば、106,000 Bか。
 日系企業の海外赴任の場合は、+海外赴任手当もあるので、とても裕福に見えるかもしれません。


(↑click here!
Mae Sotの、おしゃれなビルマ料理屋さんにて)



 メソトでは、バーツの下のサターンと言う通貨も流通しますが、バンコクでは、サターンは流通しません(日本で言う、「銭」のようなものか?)。
 バンコクでの物価は、2011年時点でこのような感じだそうです→ 「物価~バンコクで生活する上で~」
 (1か月2万~2万5千Bがあれば、暮らしていける、という試算だそうです)


 日本への絵はがきのための郵便切手 20B
 セブンイレブンで購入した肉まん    25B
 アイス                   55B
 国境でたっぷりいただいた夕食   150B
 国境の市場で購入した石鹸1ダース  100B
 セブンイレブンで購入した何かのジュース 12.75B

 メソト空港でのインスタントコーヒー 20B


(メソトからドンムアンへ。Nok Airの車窓から)


 ドンムアン空港⇔メソト空港(Nok Air)<片道1時間半> 往復 4,200B
 メソト→バンコクへのバス <片道8時間>        片道 307~613B
  (エアコンの有無、1等・2等の違い等)

 ドンムアン空港からホテルまでの、ホテルのタクシー代 260B
 空港バスで、バンコク市内まで            30B
 空港から、エアコン無しの格安バス(通称:赤バス)  6.5B ときどき無料
 空港から、エアコン有りのバス(通称:黄バス)    18B(Mo Chit駅まで)

 Mo Chit駅からサラディーン駅まで 42B
 
 ホテルでのポーターへのチップ   20B



<荷物の重さ>
  「サワッディー・カップ(カー)!(こんにちは)」 + 笑顔、を忘れずに。

 結局、キャベツが利用した際、タイ航空やNok Airは、荷物の大きさが指定範囲以内であれば、重量制限は、比較的やさしかったです。また、機内持ち込みの小さい方の荷物は、特に重量確認もされず。

 同じ頃、ヨーロッパ方面に行った方の話を聞くと、機内持ち込みの小さい手荷物もこまかくカウントされたということなので、航空会社によるかと思われます。


 とはいえ、キャベツ+キャベツの機内荷物よりも、前に並んでいる方々の一人当たりの重量のほうが多いような気がしたのも確か。

 50kg台+10kg程度の荷物と、100kgありそうな方々と・・・。

 人間の体重には制限がないのに、なぜ、機内持ち込み重量制限があるのか・・・不思議な感じでした(゜_゜


(続く)

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訪タイ記 5)国境にて

2014-11-23 20:25:47 | ところ変われば

(モエイ川の某所にて。あちら側がミャンマーであり、ときに銃撃戦が聞こえたという)


 タイとミャンマー(ビルマ)の間には、南から北へ流れるモエイ川(Moei River)がある。
 乾季には、ところにより歩くことも可能な、この細い川が、国境だった。




 ここにおいて、国境を超える手段は、二つある。

 一つは、正規ルート「友好橋」にて、500バーツ(日本円にして1600円強)を支払い、橋を渡ること。


(向こうにある橋が、「友好橋」。橋の下の草むらには、ミャンマーからの移民が住み着いている)


 もうひとつは、非正規ルートの舟で、あちらとこちらを行き来すること。
 物流の出入り口であり、所せましと、日本の中古車やバイク、自転車があった。

 舟で渡るには、20-40バーツ。
 次々と来る様子は、まるで、日帰りの出稼ぎ労働者のような、気安さだった。

 インフラが整っていないミャンマー側に工場などを作るより、タイの国境側に工場を作って、そこに日々出稼ぎに来てもらうほうが良い、と、誰かが言っていたのを思い出す。

 


 2015年春以降には、インドシナ半島を東西につなぐルートが開通する。

 
(↑ click here)
 
 今後、インドからミャンマーを通って、タイのバンコクまでの、アジアハイウェーもできるという。


 その頃には、10数箇所あるという、この非正規ルートはどうなるのだろう。
 人々の動きはどうなっているだろう。


(国境にて。車窓から)


 日本の場合は、新幹線が通り、地方はさらに過疎化が進み、一極集中化が進んでしまったが・・・。

(続く)

             


 『だから、聞き方に注意しなさい。

  というのは、持っている人は、さらに与えられ、

  持たない人は、

持っていると思っているものまでも 取り上げられるから』


(新約聖書・ルカの福音書 8章18節)

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訪タイ記 4)難民キャンプε (仕事があること、時間があること)

2014-11-15 20:31:58 | ところ変われば
 


 いつから、人は、「笑顔」から「無気力(アパシー)」になるのだろう?





  
  (空は真っ青だった)

    
       (カレン族の家は、高床式)


(家々の間を、てくてく歩く)


 あるご家庭に、訪問させていただいた。

 ご夫婦と生後1か月の赤ちゃんのいるご家庭だった。

 奥さんは、10年前の10歳の頃、病気をもっているご両親と一緒に逃げてきた、という。

 赤ちゃんはすやすや眠っている。

 仏教徒だそうで、そのための神棚?のようなものがあった。

 奥さんは日中、育児をしたり調理をしたり(隣の部屋に調理コーナーらしきものがあった)

 旦那さんは、洗濯をしたり、水浴びをしたりして過ごす、という。


 私は、ここに来るまでに会った、

 小さな子どもたちの笑顔、

 熱心に仕事を身に付けようとしていた少女のまなざし、

 そんな光景ばかり見てきたためか、

 目の前にいる人の表情に、何と言ったらよいか戸惑ってしまった。

 ・・・無表情、なのだろうか。

 ・・・あきらめの表情、なのだろうか。

 ・・・それとも、これが「フツウ」なのだろうか。


 軽いことから始めて、いろいろと教えていただきたいことはあったが、ちょっと聞きにくい雰囲気だった。

 加えて、たとえ、何か要望があったとしても、私に何かできるわけでもない。


 家庭訪問させていただいたことがご迷惑だったかな、と思ったが、

 (一応)そういうわけではない、ただ、お菓子も出せず申し訳ない、というお返事だった。


 そこで、私は、ふと、あまり無さそうな質問をした。

「難民キャンプにいて良かった点はありますか?」

(これがない、あれがない、だけではなく、今の状況でありがたい(感謝できる)点をもっていたら-。
 キャンプ外にいて、スモーキーマウンテンのように、ゴミをあさらなければならない人々よりは、ここにいる人々は援助があるわけだし、銃撃戦もないわけだし・・・)

 すると、それまでうだるそうな様子だった奥さんが、激しく声を発した。

 カレン語ができない私でさえ理解できる程、それは激しい否定だった。

 さっきまでの、無気力な、なげやりな感じがうそのように。


 少し間を置いて、旦那さんは言った。

 皆で助け合えることは、イイことだ、というようなことを。

 でも、仕事がない。

 稼ぎがない。

 アメリカに第三国定住したい。

 そうすれば、子どもに教育をさせてあげられるのに、と。


      **************


 私たちには仕事がある代わりに、時間がなく、

 彼らには時間はあるが、仕事が無い。

 「仕事がない」という時間の間は、その代わり、「何かをできる時間」は持っているわけだが、

もしかすると、この暑さでは、何かをする元気も出ないのかもしれない。


 (いや、そもそも・・・。 1))





 ・・・私は、彼らに英語を勉強しているのかどうかさえ、聞くことができなかった。

 難民キャンプ内なら無償で教育を受けられるが、外では必ずしもそうではないことも。




 私は、ただ、手土産に持ってきたお菓子をそっと渡し、そこをお暇(いとま)した。


   (彼女の目には、何が映っているのだろう)





1)→ このとき、マクロでもミクロでも次々に色んなことが
浮かび上がったが、今は何とも言えない。



      (続く)

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訪タイ記 4)難民キャンプδ (カレン族とキリスト者)

2014-11-15 20:09:35 | ところ変われば

 少数民族カレン族には、クリスチャンが多いという。


        ************


 実は、「旅」やら「留学」やらでどこかに行くとき、私の場合、「日曜日、どこで聖餐式を行うか(パンを裂くか)」を念頭に置かなければならず、そこをあらかじめ探したり、長老に紹介状を依頼しなけれなならない。

 そんなわけで、友人の、

「うちの院長先生も、クリスチャンだよ。
 カレン族って、そういう人が多いみたい。

 キャベツのいる集会と同じで、十字架も掲げていなくて、簡素で、ものすごくシンプルだったよ」

 という言葉から、もしかするとタイ・ビルマ国境でパンを裂ける集会があるかも・・・と期待していたが、今回は確認が取れず、断念。(バンコクまで戻ることとなる)


        ************


 とはいえ、今回、出会った方々の多くが、クリスチャンだった。

 案内をしてくれたカレン族の男の子たちも、食事の前に祈っていた。



(アテンドをしてくれた、キャンプ外に住むカレン族スタッフが、「ちょっと親戚のところに」と途中立ち寄ったとき)


 あるスタッフが「図書館に、カレンの歴史とか、聖書の話とかが少ないから、採用してもらえないか言ってみるつもり」
と、何冊か手にしていたような、気がする。


(聖書の話や、カレン族の歴史が書かれたカレン語の本。読めません)

 ミャンマー(ビルマ)は仏教の国であり、西はロヒンギャ(ムスリム)との対立問題があり、かつ、タイも仏教国だ。
東南アジアは仏教徒が多いイメージだったので、難民キャンプとはいえ、「クリスチャンだ」と言う人が多いことに驚いた。その昔、イギリスの支配下にあったときにそうなったのか、それとも・・・


 あとで思い出したことだが、東南アジアに唯一、旧約聖書(創世記)に類似した伝承が多い民族が、カレン族だという(どこまで本当かは不明)

 いろいろと聞けなかったり、確認できなかったりしたままだが、・・・ああ、これも聞いておけば良かった。



 ちなみに、古い資料だが、2005年TBBCによると、メラ難民キャンプ内のエスニシティは、カレン族95%、ムスリム3%、チン族・カヤ族・モン族・シャン族等が2%,
 また、クリスチャンが47%、仏教徒が35%、ムスリムが15%、アニミズムが3%である。


 
   (木と竹と葉っぱの家々。これらの材料はタイ内務省から支給され、各自で作るらしい。
    ただ火災の危険があるため、あちらこちらの軒先に、こうして水の入ったビニール袋がぶら下げられていた)

(続く)




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訪タイ記 4)難民キャンプγ (学校)

2014-11-15 19:50:57 | ところ変われば
 カレン語で、「おはよう」は「ワラゲー」。

       「こんにちは」は「ニラゲー」。

       「ありがとう」は「ダンブル」。

 難民キャンプ内では、カレン語、ビルマ(ミャンマー)語、タイ語である。







 (難民キャンプ内のhigh school。7年生(12歳)-12年生(20歳)まで571名(2014年7月)。
  NGOによって運営され、机や椅子、ノートなども支給されている。)


(英語を勉強している生徒たち。科目は、カレン語、ビルマ語、英語、数学、理科、歴史、地理)

 8:50-       授業開始
 12:00-13:00 お昼休憩
 13:00-15:15 授業

 数学の授業では、ちょうど「集合」の概念を勉強していた(ハズ)。



(目が、印象的だった)


 卒業したら、先生になったり、メディックになるためのトレーニングを受けることができる。


(日本でも見かける光景・・・難民キャンプだということを忘れそうになる)


 とはいえ、drop outが多かったり、教材が足りなかったり、教師が少なかったり、そもそも給料も少なかったり・・・するという。


 職業訓練校も見学させていただいたが、ヘアカットやお針子、バイクの修理やコンピューターのコースなど10コースがあり、16~50歳まで、人数が多くても全員受け入れているという話を聞いた。

 HONDAのバイクを分解したり、組み立てているところを見たり、瓶を後ろにエアカットをひたすら行うという「忍」の字を思い浮かべるような時間もあったり、「time-manegement」という私自身勉強しなければ、と思う内容もあったり・・・。


 そのあとの仕事先がどうなるか、そこまでは聞けなかったが、

熱心に学んでいる様子を見受けられた。

(続く)

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訪タイ記 4) 難民キャンプβ

2014-11-03 23:23:41 | ところ変われば

「移民と難民の違いって、わかる?」
と、友人に問われたとき、はたっと気づかされた。




「うん。『移民(集合A)』の中の一部が、『難民(集合B)』って考えていいかも。

 難民キャンプの中には、まだ『難民』とさえ認定されていない人も大勢いる。

 『難民』と認定されれば、いろんな社会的支援が受けられるのに」




 日本にも、『難民』や『移民』は住んでいる。
 新大久保が今やコリアンタウンであるように、池袋に華僑が多いように、高田馬場にはタイやビルマ(ミャンマー)の人々がいる。

 だが、恐らく、「難民キャンプ」としては、ここ(タイとミャンマーとの国境)が一番近いのだろうな・・・と思いつつ、そのひとつ、最大の難民キャンプ「メラ キャンプ」に向かった。


(メラ難民キャンプは、メソトから約66㎞、国境から約10㎞の山の中にある。1984年からある最古の難民キャンプ。約4.4万人が住んでいる)

 難民キャンプに入るには、遅くとも30日前にタイの内務省に申請し、かつ、入場料(1万円)が必要。
 また、すでにNGOとしてキャンプ内で活動している団体経由でなければ入ることはできず、日本からは、図書館事業を行っているSVA(シャンティ国際ボランティア会)さんのみ。スタディツアーとして、JAM経由で入ることもできる。
 友人のツテ、および、ご好意により、今回、日本人およびカレン族の通訳の方と一緒に、行くことができた。(もちろん、アテンド料は必要です)

 (個人で、こうしてキャンプ内に入るのは、たいてい研究者とか、らしい・・・と、そのときに、知った。)
 

(SVAさんは、図書館活動や出版活動を通して、カレン族等の伝統文化の継承を支援している。写真は、カレン語に訳された絵本)

 このメラキャンプに多くいる少数民族カレン族は、1886年、イギリスがミャンマー(ビルマ)を植民地化したときは、支配者側であったが、太平洋戦争のとき、日本軍およびアウンサン率いるビルマ独立義勇軍(ビルマ人)によりイギリスが追い出されたのちからは、迫害されるようになる(ちなみに、アウンサンおよびビルマ人は、日本が敗色と見ると、クーデターを起こして、日本軍を追い出したらしい)

 1949年よりミャンマー(ビルマ)国内の少数民族の反政府勢力とミャンマー(ビルマ)軍事政権とによる対立が始まり、
 1975年以降、戦闘や人権侵害(略奪、強制労働、レイプ等)を逃れて人々がタイ側へ流出。


(click here↑)


 片道1時間、しがない一般peopleのキャベツは、素朴な質問を投げかける。

 -そもそも、「難民キャンプ」はどうやってできるものなんですか? 自然発生的に? それとも、政府から??

「難しい質問ですねぇ・・・(苦笑)
 どちらもありますけど、結局、公式に『ここに集まって下さい』とされて、認められたキャンプが9つ、ですかね」

 難民キャンプは出入りがキビシイと聞くが、どうやって新たな人は入って、かつ難民申請や食料配給などを受けるのだろう? どんなふうに一日を過ごしているのだろう。どうやって治安が保たれているのだろう? わからないことだらけだった。


  
    (図書館にて)


 難民キャンプはタイ内務省の管轄下にあり、外部援助団体としては、国際機関では唯一UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)が活動し、その他は国際NGO(2014年現在 19団体?)。

 ちょうど月1回の食糧配布の光景をちらっと見ることができた。だが、それも、収入に応じて少なくなるという。キャンプ内での「収入」は、学校の教師やNGOのスタッフしかなく、タイの1日最低賃金以下なのだが。

 また、最近は、突然の「点呼」もあるため、そのときに、難民キャンプ内に居ないと(=無断で、外に「出稼ぎ」に行っていると)、登録抹消されるという。

  
   (子どもたちの憩いの場?)

 ・・・・・・・・・。

 そもそも、なぜ就業禁止なんだ?(タイに定着させないためか?) という疑問も抱きつつ。


 仕事もなく、稼ぐこともほとんどできず、流通がどうなっているのか、さっぱりわからないが、キャンプ内には電気も通っており、お店もいくつかあった。



(難民キャンプ内のメインストリート)


「キャベツさん、アフリカにでも行ったことあるんですか?」
そう尋ねられたのは、お昼を頂くためにメインストリートのどこかのお店に入った時だった。

  -いえ、私はまだアフリカ未踏ですが、どうしてですか?

「氷の入った水、何のためらいもなく飲んでいるので・・・」

  -まあ、下痢になったら、そのときはそのときで(苦笑)

 北国育ちのキャベツとしては、難民キャンプの暑さはけっこうこたえる。

 雨季だというのに、私が来たその日はカンカン照り。
 ランチを頂きながら、外を見やると、明るい日傘を差して歩いているカレン族の女性が。

 ・・・暑かった。

(続く)

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