さすらうキャベツの見聞記

Dear my friends, I'm fine. How are you today?

祈ったときに聞かれること

2014-01-24 12:13:12 | Sunday 集会・生活
王は私に言った。「では、あなたは何を願うのか。」
そこで私は、天の神に祈ってから、王に答えた。


(旧約聖書・ネヘミヤ記2章4-5節)



 「祈りで人を動かすように」と、ある先人からは教えられたものだが、まだまだ未熟者のキャベツである。

 祈るとき、1時間も集中出来たら良い。だんだん、雑念や思考のループが起こる。場合によっては、祈っているのか、ひとりごとを言っているのか、わからない状況のこともある(とはいえ、神様はそれさえも聞いて下さっているだろうと期待)。水風呂なら比較的祈りに専念できるが、いかんせん、寒くて10分も入っていられないのが難点。

 たいていは、昔のネヘミヤさんのように短い時間で祈る日々。そんな日常で、時折あったコト;

 以下、回数の多い順に。

1位. 食事どき、祈ってから食べると、「急に、居眠りでもしたの?」と、不思議そうに聞かれる。

2位. 食事どき、祈ってから箸をつけると、「どうしたの? 具合でも悪いの??」と、心配そうに顔をのぞき込まれる。

3位. 無し。

4位. 梨。

5位. 夜勤の見回り中、状態が良くない人のベッドサイドで、その人が回復しますようにと、ひざまづいて静かに(ほんの短い時間なのだが)祈っていたら、眠っていたハズのその人が起きて、「どうしたの? 具合が悪いの? 大丈夫?」と心配された。

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Stay hungry, stay foolish

2014-01-23 22:26:25 | ひとこと*古今東西

Stay hungry, stay foolish.


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トラウマ

2014-01-20 06:14:28 | Thursday 生活
 顔を整えて行ったにもかかわらず、「かなり疲れているんだね…、良く来れたねっていう顔をしているよ」と言われ、苦笑いした。昨日発見した“毒”のおかげでこの様(ざま)です、と言ったとしても、なかなか理解できないかもしれないと、少々試みた結果、感じた。

 幾年も生きていれば、何かを見た時、「フラッシュバックする」ことを経験する人はいるだろう。

 赦す赦さない、という問題ではなく、

 暴力を振るわれた者が、手を上げられると反射的に自分の身を守るように、レイプや痴漢に遭った者が、―全員が全員同じ反応ではないだろうが―人に触れられるのにびくびくしたり夏の暑い日でもだぼっとした長袖を着るように、経済的圧力をかけられ何らかを強いられたり罵られたりした者が、ふと何かにそれを見出しぎょっとして目の届かないところに退けようとするように、

 傷を負うと(痛みを覚えると)、反射的に自分の身を守ろうとする。

 キャベツにもそんな、ちょっとした“トラウマ”がある。

       *************

 そのせいなのだろうか、「自分は安全な平和なところにいて、無責任で、空虚な“きれいごと”を言う者」が、生理的に苦手になるのは。

「おい。“死”を口に出すなら、もうちょっと経験してからにしてくれ。そんな軽いもんじゃないぞ。目の前で、冷たく、紫色になっていく肢体を感じながら、同じ調子で言えるのか。もっと厳粛なものなんだ。いい加減にしてくれ。ふざけるな」

「おい。きれいごとは俺だって知っている。あいつだって、知っている。同じことを経験しても、同じ調子で言えるなら、そのときは言ってくれ。中身がないんだよ。
 ことばがうわっすべりしている。
 頼むから、中身がない、そんな空虚なことを言わないでくれ」



 その点、イエス・キリストは、実行があったからこそ、言葉に重みがある。

 たとえば、理不尽な暴力に巻き込まれたこともなく、そこそこ順調で平凡で平和な人生を歩んで、「想定範囲が狭い」 ―書籍等で、二次体験でもしていたら違うだろう― 人が、「みぎのほほを打たれたら、ひだりのほほを差し出せ」と言うならば、「いい加減にしろ」となるだろうが、何の咎もなく、従順な羊のように十字架についたイエスだからこそ、その言葉には、重みがある。


 まだまだ、精進が足らない。

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忍耐 と 希望

2014-01-16 21:15:15 | Sunday 写真&みことば

 忍耐が練られた品性を生み出し、

    練られた品性が希望を生み出す





           この希望は

              失望に終わることがありません。     



                   (新約聖書・ローマ人への手紙 5章4-5節)     

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続 さすらい人

2014-01-15 22:59:19 | Sunday 集会・生活
 結局、今週の月曜日もまた、「今、どこ??」と何人もの方々から尋ねられました。



(゜_゜ ...



 その昔、キャベツの家族が― キャベツがおむつを替え、ミルクを飲ませた者が ―、キャベツを産んだ人に、「キャベツ(敬称略)のお父さんとお母さんって、どこにいるの?」と尋ねたことを思い出しました。


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さすらい人

2014-01-05 23:59:57 | Sunday 集会・生活
 今年は、北東北の新年聖会に参加した。

 医学や学術の学会同様、私たちクリスチャンの場合もこのような合同聖書勉強会(研究会、学び会)が、同窓会 1)の機能も果たしている。

1) クリスチャン用語で「交わり」


 自己紹介は、所属集会+名。
 キャベツは、今一つ所に5年目となり、「そこにいる」と覚えられ始めているものの、今回も「H米?」「F中じゃなかった?」「あれ、まだD京町?」「今、どこ?」と尋ねられる。最近では、ドッペルゲンガー現象も起きているそうで、行っていないところでも、キャベツを見た、という話を聞く。(とんと出歩いていないのですが、不思議なことです。)

 さて、現在属しているところに戻り、今日も互いに新年のあいさつをしていると、ある古株の兄弟が、こう言いながら、年賀状を手渡してくれた。
「おまえさん、放浪者だからな。 間違えたらいけないと思って」。




(゜_゜ ...




・・・『地では旅人です。』(詩篇119篇19節)

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お風呂屋さん

2014-01-02 12:07:24 | Thursday 生活
 あけましておめでとうございます。

 1月2日朝、八戸(はちのへ)では雪が降っていました。

 八戸では銭湯が朝5時から夜遅くまで開いていますが、こんな雪の日も、銭湯はにぎわっていました。

 某銭湯の朝5時~「20袋限定 福袋」(諭吉一枚)も、9時に来たときにはすでに完売。青森県内では、大人420円/人で入浴できますが、その11枚綴り×3冊+αとあればうなづけます。

 ともあれ、
「どさ」(=どこに行くのですか?)
「ゆさ」(=銭湯に行ってきます)
の世界では、まったりとつかる銭湯は楽しみの一つです。

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