さすらうキャベツの見聞記

Dear my friends, I'm fine. How are you today?

10万種の動物のDNAバーコード解析と 進化論

2018-07-14 05:26:48 | Sunday 聖書雑学
 以前、『宿題Q:進化論を打破せよ』という宿題を、叔父から出されたことがあるが、それに対する一つの答えは、進化論(?)を研究する方々の中から出てきたようだ。




 今回、米政府の遺伝子データベ-スにある「生物10万種のDNAバーコード」が徹底的に調査されたという。その結果、

 ・生物10万種のDNAバーコードを解析した結果、大半の動物(動物種の90%)がヒトとほぼ同時期に出現したことを示す明確な証拠、

 ・生物種には明確な遺伝的境界があり、2つの種の間に位置する中間種はほぼ皆無だ

  (=「少しずつ進化していると言われるような《間の生物種が存在しなかった》ことが遺伝子解析ではっきりした」)

を研究者たちは発見したという。

 「この結論は非常に驚くべきことであり、この問題に対し、私は可能な限り、非常に厳しく自分自身で反論を試みました」と研究者は述べているが(AFP記事より)、さもありなんと思う。

 つまり、いわゆる進化論定説の



   ↓


(説明している他の方の記事より拝借)

が、現存されるDNAからは否定されたことになるからだろう。

 だが、自分たちの予想通りの結果ではないとしてもその結果を握りつぶすことなく、公表されているのは、さすが研究者だと感じる。

 この結果(論文)は、人類進化学の国際専門誌「ジャーナル・オブ・ヒューマン・エボリューション(Journal of Human Evolution)」に掲載され、5月28日にAFPの特報が出たのだが、日本では日本語版AFP(以下に抜粋す)に掲載されたり、何人かの方々がツイッターやblogで発言したり、説明しているのが少々見られる他、あまり触れられていない様子。

(ちなみに、キャベツが知ったのは1か月少々前。体調不良により、upに時間がかかりましたf(^^;)

 以下が、そのAFP日本版の内容です。


***************

「DNAバーコード」大規模解析、進化の新事実が浮き彫りに
2018年5月30日 17:41 発信地:パリ/フランス [ ヨーロッパ フランス ]



【5月30日 AFP】すしバーでマグロと偽って客に出されているテラピアを暴くために使われた携帯型の遺伝子検査機器。この機器が進化に関する深い洞察をもたらす可能性があるなどと、いったい誰が想像しただろうか。

 あるいは、世界中の研究者数百人が10万種の動物から採取し、米政府の遺伝子データベース「ジェンバンク(GenBank)」に蓄積した遺伝子の断片。「DNAバーコード」と呼ばれるこの短い遺伝子マーカー500万個を徹底的に調べ尽くそうなどと、いったい誰が考えついただろうか。

 これを考えつき、実行したのは、米ロックフェラー大学(Rockefeller University)のマーク・ストークル(Mark Stoeckle)氏とスイス・バーゼル大学(Basel University)のデービッド・セイラー(David Thaler)氏の研究チームだ。2人が先週発表した研究結果は、進化の過程に関する複数の定説を、覆すとまではいかずとも揺るがすことは間違いない。

■揺らぐ定説

 例えば教科書的な生物学の定説では、アリ、ネズミ、ヒトなど広範囲に分布する大規模な個体群を持つ生物種は、時間がたつほど遺伝的多様性が増すという。だが、これは真実なのだろうか。

 人類進化学の国際専門誌「ジャーナル・オブ・ヒューマン・エボリューション(Journal of Human Evolution)」に掲載された論文の主執筆者であるストークル氏は「答えはノーだ」と述べる。世界に分布するヒトは76億人、イエスズメは5億羽、イソシギは10万羽に上るが、遺伝的多様性はどれも「ほぼ同じくらい」だと同氏はAFPの取材に語った。

 今回の研究の最も驚くべき結果は、今日地球上に生息する生物種のうち、ヒトを含む全体の9割が20万年前~10万年前に出現したことが明らかになったことだろう。ストークル氏は「この結論は極めて予想外なので、私は可能な限り厳しい反論を試みた」と述べた。

 ストークル氏のこの反応は無理もない。動物種の90%が遺伝学的見地から言えばほぼ同年齢だという事実を、どのように説明できるだろうか。生物種をほぼ全滅させるような何らかの壊滅的事象が20万年前に発生したのだろうか。




■簡単かつ安価なDNAバーコード解析

 この結果を理解するには、DNAバーコードについて理解する必要がある。動物は細胞核内にある「核DNA」とミトコンドリア内にある「ミトコンドリアDNA」という2種類のDNAを持っている。

 一つ一つの細胞内で生命活動に必要なエネルギーを作り出す細胞小器官ミトコンドリアには37種類の遺伝子があり、そのうちの一つの「COI」遺伝子が、DNAバーコード解析(DNAバーコーディング)を行うために利用されている。

 生物種間で大きく異なる可能性のある核DNAの遺伝子とは異なり、ミトコンドリアDNAにはすべての動物が保有する共通のDNA配列が存在し、これが比較のための共有基準を提供する。

 またミトコンドリアDNAの解析は、核DNAに比べて単離がはるかに簡単で安価に行うことができる。

 2002年頃にカナダ人分子生物学者のポール・エベール(Paul Hebert)氏が、COI遺伝子の解析によって生物種を同定する方法を開発し、「DNAバーコード」という用語を考案した。

 研究チームは今回、生物10万種のDNAバーコードを解析した結果、大半の動物がヒトとほぼ同時期に出現したことを示す明確な証拠を発見した。

 研究チームが気付いたのは、いわゆる「中立」な遺伝子変異にばらつきがないことだった。中立変異は数世代を経て生じるDNAの微小な変化で、生物個体の生存可能性に対して有利にも不利にもならない。言い換えれば、進化を後押しする自然淘汰や性淘汰に関しては中立変異が無関係であることを意味する。

 この中立突然変異に関して互いにどの程度、類似性があるかは木の年輪のようなもので、これを調べると一つの生物種のおおよその年齢が分かる。

 ここで最初の疑問に立ち返る。現存する生物種の圧倒的大多数がほぼ同時期に出現した理由は何だろうか。




■ダーウィンも当惑?

 真の大量絶滅は、陸生恐竜と地球上の全生命の半数を死滅させた6550万年前の小惑星衝突を最後に起きていない。これは個体数の「ボトルネック効果」がせいぜい部分的な説明にしかならないことを意味している。

「最も単純な解釈は、生命が常に進化を続けているということだ」と、ストークル氏は説明する。「進化においては常に、その時点で生きている動物が比較的最近出現した可能性の方が高い」

 この観点から考えると、一つの種は一定の期間しか持続せず、その後は新種に進化するか、絶滅するかのどちらかだ。

 今回の研究ではさらにもう一つ、予想外の結果が得られた。生物種には明確な遺伝的境界があり、2つの種の間に位置する中間種はほぼ皆無だという発見だ。

「個体が星だとすると、種はそれらが集まった銀河だ」とストークル氏は例えた。「種とは、何もない広大な遺伝子配列の宇宙空間に点在する、個体の星が凝集した星団だ」

「中間」種が存在しないこともまた、進化論を提唱した英自然科学者チャールズ・ダーウィン(Charles Darwin)を当惑させるだろうと、ストークル氏は話した。(c)AFP/Marlowe HOOD


“Sweeping gene survey reveals new facets of evolution”(←英文記事はこちら)

***************



 むろん、いわゆる創造論者が提唱するスパンの長さと、今回の結果の長さとも異なる上、

 私たちの知りえることは、ごくわずか。

 そして、研究者たちが、信じられず、よくよく調べ尽くしたこの結果を信じるかどうかも、貴方次第である。




“ God made the beast of the earth according to its kind,

cattle according to its kind,

and everything that creeps on the earth according to its kind.

And God saw that it was good.”

(Genesis 1:25)



 『神は、その種類にしたがって野の獣(けもの)、

  その種類にしたがって家畜(かちく)、

  その種類にしたがって地のすべてのはうものを造られた。

  神は見て、それをよしとされた。』


   (旧約聖書・創世記1章25節)




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その昔、ソロモン王の宮殿の器はすべて金だった

2017-09-03 07:13:19 | Sunday 聖書雑学
(シバの女王と会談するソロモン(サン・ジョヴァンニ洗礼堂,フィレンツェ))

『ソロモン王が飲み物に用いる器(うつわ)はみな金(きん)であった。

 レバノンの森の宮殿にあった器物(うつわもの)もすべて純金であって、銀のものはなかった。

 銀はソロモンの時代には、価値あるものとはみなされていなかった。』


(旧約聖書・列王記第一 10:21)




 「触れたからこそ…」にちらっとソロモンに言及したが、ソロモンの栄華の一端に思いを馳せる時、どうも、この聖句がちらついてしょうがない。

           ***********


 今、金は1グラム 4,000円くらいなのだろうか。もしk18(18金)を売るとしても、あれやこれやと引かれて、1グラム当たり3,000~3,500円程度らしい。
銀はそれ以下で、1グラム10円とかそこら。だが、それでもお金になる(=価値がある)。

 だが、ソロモン王の時代、イスラエルが反映した当時は、

「銀は…価値あるモノとはみなされていなかった」(列王記第一 10:21)

「王は銀を…石のように用い」(列王記第一 10:27)

ただの石ころに1円でも値段がつけられるだろうか? 銀がそんな扱いだった程、イスラエルは、ソロモンは繁栄していた。歴代誌第二では、こうも描かれている。

「王は銀と金とをエルサレムで石のように用い、

 杉の木を低地のいちじく桑の木のように大量に用いた。」
(歴代誌第二 1:16)



          ***********


 ソロモンの住んでいた「レバノンの森の宮殿」は、高価なレバノン杉の木をふんだんに用いた宮殿だったため、そう呼ばれた(列王記第一 7章)。
 香柏と呼ばれるくらいすばらしい香り(→雅歌4:11)を放っていたため、その宮殿はかぐわしい香りに満ちていただろう。


 (ちなみに)レバノン杉は、スギとは言われていてもスギの仲間ではなく、マツの仲間の針葉樹。

 レバノンやトルコの地中海沿岸の山地に主として分布して、高度1400~1800mくらいの高地に生えており、その高度の気候はイスラエルの気候とは大分異なる。
樹齢の高いものになると、高さ30m、直径2m以上になることもある常緑樹で、均整の取れた堂々とした姿は、力や高さ、栄光や富のシンボルであったという。(cf.新聖書植物図鑑、他) (→雅歌5:15)

 材質はたいへん硬く、かつ腐りにくいため、フェニキアの造船職人はこれを帆柱として利用したり(→エゼキエル 27:5)、

 建築用としても高く評価されていたため、ツロ(ティルス)の王ヒラムは、昔、エルサレムのダビデ(ソロモンの父)に送ったり(サム二 5:11 + 7:2、歴代誌第二 2:3)、神殿にも用いられたり(列王記第一 6章)、

 神聖なものとしても扱われていた(→詩編80:10)。




『王は大きな象牙の王座を作り、これに純金をかぶせた。

 ・・・

 また、12頭の雄獅子(おじし)が、6つの段の両側に立っていた。

 このような物は、どこの王国でも作られたためしがなかった。

 ソロモン王が飲み物に用いる器(うつわ)はみな金であった。

 レバノンの森の宮殿にあった器物もすべて純金であった。

 銀はソロモンの時代には、価値あるモノとはみなされていなかった。』


(歴代誌 第二 9:17~20)




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呪文の4択問題

2014-02-01 08:25:32 | Sunday 聖書雑学
Q.次の4つのうち、一つだけ仲間外れな“呪文”があります。それは何でしょう?


1.メネ・メネ・テケル・ウ・パルシン。


2.アナテマ。


3.エリ・エリ・レマ・サバクタニ。


4.リーテ・ラトバリタ・ウルス・アリアロス・バル・ネトリール。





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4つの呪文:解答

2014-02-01 08:00:50 | Sunday 聖書雑学
 

(レンブラント「ベルシャザルの酒宴(壁の言葉)(Belshazzar's Feast)」1635年頃 167.5×209cm)


 『呪文の4択問題』。どれを選びましたか?

 さて、簡単に、解答・解説です。



1.『メネ・メネ・テケル・ウ・パルシン』

    時は紀元前(B.C.)539年の頃。バビロン(場所は、今のイラク)のペルシャツァル王の元で、大宴会が行われていたとき、不思議な手が壁に字を書き始めた。
    ユダヤからの捕囚のひとり、すでに老人となったダニエルがそれを解読・解釈するために呼び出された。この言葉は、「数える」「量る」「分ける」であるといい、これは『王の治世が数えられ、はかりで測られて「目方が足りない」とされ、国が分割されて、メディヤとペルシャとに与えられる』という意味だと、伝えた。

    そして、その夜、バビロン人たちが彼らの神々の祭りを行っている最中、難攻不落と言われたバビロンは攻め落とされる。(旧約聖書・ダニエル書5章、他)



2.『アナテマ』

   時は移って、A.D(西暦)に入る。
   イエス・キリストの十字架刑ののち、しばらくの間、キリスト教徒たちを迫害したサウロ(のちのパウロ)が、一転、キリスト教徒となる。そのパウロが後に、獄中から、あちらこちらの教会にあてて手紙を書いた。
   その書簡のひとつ、「コリント人への手紙 第一」の最後に書かれた言葉、『主(しゅ)を愛さない者はだれでも、呪われよ』。このギリシャ語『ανάθεμα(アナテマ)』は、呪いの言葉である。そう言い切るほど、パウロは、神を、イエスを、愛した。

   が、この呪文(言葉)だけは、マネしてはいけない。


3.『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』

   では、パウロがそれほどまで慕ったイエス・キリストは、どんなことばを言ったのか。数多いが、ある意味、有名なことばの一つはこれ、エリ・エリ・レマ・サバクタニ。「わが神、わが神、どうして、わたしをお見捨てになったのですか」(マタイ27:46)
   手足を釘づけられ、全体重がそこにのしかかり、激痛を覚え、見世物にされながら、彼はそう言った。人々は、「他人は救ったが、自分は救えない」とあざけった。そして、息を引き取ったとき、この一部始終を見ていたローマの百人隊長はこう言った、「この方は、まことに神の子であった」。



4.『リーテ・ラトバリタ・ウルス・アリアロス・バル・ネトリール』

   最後になりました。幼いシータに、おばあちゃんが教えたおまじない。「我を助けよ、光よ甦れ」

   4択問題のうち、これだけが別出典。その物語の「滅びの呪文」は、現在、日本のサーバーを落とす(滅ぼす)ということで有名ですね(゜_゜


   というわけで、正解(仲間外れ)はでした。

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祈りの作法 (2b)改

2011-11-27 06:36:02 | Sunday 聖書雑学

「祈りの作法 (1) はじめに」
「祈りの作法 (2a) 基本の基本」
「祈りの作法 (2b) 基本の基本<具体例・詳細>」
「祈りの作法 (3) 主の祈り」


      ******************

 …『祈り』はとても大事なコトで、色々とこまやかな注意(作法)があり、私が何かを人様に申し上げるなんぞ本当にめっそうもない、とくらい色々奥深いのですが、まず、滅茶苦茶シンプルな、大事なコトを覚えて祈っていただけたら、ありがたいです。

 ちなみに、これは、仏様や神道の神様、ではなくて、私が信頼している「神様」に対して、です。
 申し訳ありませんが、仏教や神道などについては私は疎く、そちらについてはよくわかっておりません。そちらを知りたいときは、そちらのお方にお聞きになったほうがいいと思います



   


(祈りについて、先の基本中の基本「3点+α」を踏まえた、簡単な具体例のひとつ;

  尊き父なる神様私たちを創られた神様、もしくはキャベツが信じている神様)、

   ○○をありがとうございます。
   ◇◇◇をくださって、ありがとうございます。

   (もし万が一、お願い事があったら)…となりますように。

   イエス・キリストの御名によってアーメン



   


 上記に関して、ちょこっと詳細;

 日本では、「鰯(いわし)の頭も信心から」という格言があるように、比較的「祈ること」が主体で、「誰に」ということは、あまり意識されていないような気もいたします。
 ただ、人間同士でも、職場や学校でも「誰かにお願いする/誰かを信頼する」とき、「全然、できない人/ムリな人」にお願いしないで、「それができる人/信頼できる人」にお願いするかと。
 その点、聖書では、誰にでも何にでも向かって祈ればいい、というわけではないよう。

 私の場合は、聖書に記されている「神様」。

 その他の表現としては、「主(しゅ)なる神」、「創造主であられる主」、「憐れみ深い、私たちの主なる神様」、「天にいらっしゃる、まことの神様」、「アブラハム・イサク・ヤコブの神」…などなど色々あるけれど、
あなたが、自分の神様、と思っていないなら、
(本当にいるのかいないのかわからないけれど、もし、いらっしゃるのでしたら)キャベツの(信じている)神様
という表現が一番素直かもしれません。

       ***************

 そして、私たちが、今、こうも厚かましく、神様にお祈りできるのも、神様に向かって何かを申し上げたり、お願い出来るのも、ただ、仲介者(テモテ第一 2:5)たるイエス・キリストがいらっしゃるから。
 基本的に、「罪ある私たち人間が、聖なる神様に向かって、畏れ多くも祈ることができるのは、ただ、主イエス・キリストの十字架の死、その贖い、その仲介に依るので、祈る時には『イエス・キリストの御名によって』ということばや思いが、肝心。

 ちなみに、実は、イエス様ご自身からも、「その名によって祈るなら、父(なる神様)はなんでも、あたえられますよ」(ヨハネ16:23-24)とお墨付き。ただし、イエス様の御名をもちだしたから、なんでも自分の思い通りになるか・・・というと、そうでもない。

 もちろん、イエス・キリストが誕生する前(つまり、B.C.(紀元前)の頃)も、「神様」に向かって祈ったことが記されている。そのときは、動物の血をささげていました。



       ***************

 あと、祈るとき、お願いがあるときは一生懸命だけど、そのあとはしらんぷり・・・ではなく、
 「ありがとうございます」
とお礼を言うことも忘れずに・・・。
(とはいえ、キャベツ自身、昔はそういうことが多かったような… 祈り会でも、「お願い事」が9割、「感謝」が1割だったりして…

そもそも、私たちがお願いする以前に、また、お願いする以上に、神様はいろいろな物をくださっていらっしゃるんですよ、ネ。 ex.「謝謝」

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祈りの作法 (3) 主の祈り

2011-11-27 05:41:32 | Sunday 聖書雑学
「祈りの作法 (1) はじめに」
「祈りの作法 (2a) 基本の基本」
「祈りの作法 (2b) 基本の基本<具体例・詳細>」
「祈りの作法 (3) 主の祈り」


      ******************

 祈りの基本・・・と言うと、
もしかしたら、ある人は「主の祈り(Lord's Prayer)」を、挙げられるかもしれません。


    「天にまします我らの父よ。
     ねがわくは御名をあがめさせたまえ。
     御国をきたらせたまえ。
     みこころの天になるごとく、
     地にもなさせたまえ。

     我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。
     我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく、
     我らの罪をもゆるしたまえ。

     我らをこころみにあわせず、
     悪より救いいだしたまえ。

     国とちからと栄(さか)えとは、
     限りなく なんじのものなればなり。
     アーメン」
          (新約聖書・マタイの福音書6:9-13)


    Our Father which art in heaven,
     Hallowed be thy name.
     Thy kingdom come.
     Thy will be done in earth,
     as it is in heaven.

     Give us this day our daily bread.
     And forgive us our debts,
     as we forgive our debtors.

     And lead us not from evil:
     For thine is the kingdom, and the power,
     and the glory, for ever.
     Amen.



 昔の訳の「文語訳」も、欽定訳(きんていやく、KJV)も美しい。


 この「主の祈り」と呼ばれる祈りの中にも、さまざま大事なことが含まれています。
 たとえば、「誰に向かって、祈るのか」とか、「まず、神様を賛美したり、感謝すること」とか(まだまだ沢山エッセンスがぎっしり)。


 ただ、意味もわからず念仏をとなえるように、これを言えばいいというものでは、なさそうです。
 というのも、ここの話の直前に、イエス様ご自身が、こうおっしゃっていたから。


 「祈るとき、異邦人(いほうじん;ほかの国々の人)のように同じことばを、
  ただくり返してはいけません。」
             (マタイの福音書 6:7)

 というわけで、これを暗記して、これを唱えよ、というわけではなさそうです。

 もちろん、そうしている(=定型祈祷のみの)教会は多いかもしれませんし、もし覚えているならそれはそれで素晴らしいことです。
 ただ、念仏もどき(=ここでは、「意味もわからずただ唱えていればOK」の意)にしては、もったいないカモ。


     ******************

 また、どうぞ、「ことば」と「思い」が乖離(かいり)しないように、お気を付け下さい。
 どんなに美辞麗句を用いることができても、心がそう思っていないことは決して祈らないでください。
神様は、その人の心もすべて、ご覧になっていますから(サムエル記第一 16:7,マタイ10:30)

(「思っていないことを祈る」というのは、「うそバレバレの祈り/偽りの祈り」、
 言い換えると「すべてお見通しの神様に対して、偽りを申し上げる」ことにほかならない。)
 (続く)

                    

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祈りの作法 (1)

2011-11-07 22:00:00 | Sunday 聖書雑学
(アルブレヒト・デューラー『祈りの手』)

<本題に入る前に>

 祈りの作法
 ・・・「一体、どの口がそれを言うんじゃ!!?」と、我ながら、思います。「なんでまた、そんな題材になってしまったんだ?」 と、つくづく思います(とはいえ、実は、その単語は、以前から目の前をちらほらしていましたが)。「お前が『作法』語るなんざ、100年たっても早いわ!!! ちゃんちゃらおかしいね!!」、自分自身、朝からそう、つくづく思います。

 いったい、どこぞのバカでアホんだらが、そんな大層なことをぬかすんじゃい。
 ・・・私メです(-_-;)


 ですが、今、どうしても書き留めておかなくてはならなくなりました。
 というのも、こんな大事なことを、昨日、私は言い忘れてしまったからなのです。


          ***********


 むろん、私は「ことばの人」(出エジプト記4:10)ではありません。

 自分のところの集会(教会)の、特伝から続けてこられた、熱心な新しい方と、他のクリスチャンの先輩とのやり取りを、耳をそばだてて聞かせていただいておりました。
「キャベツさんから、何かありませんか?」と、お声をかけていただいたときも、私は、「自分が何かを言う」ではなく、「その方が、何を、どのように、どこまで、理解しているのか」のほうを把握したいと思っておりました。(ですから、その人が思い巡らす時間や、自分なりに自分の言葉で表現しようとすることを、どうぞ、他の方々、奪わないでください)

私は、ゴミも石コロもない、美味しい食事を提供することももちろんそうですが、人に物を詰め込んで目をぱちくりさせるより、消化するのをお手伝いしたいと思っているのです。どんなに美味しい食物(出エジプト記16:13-15,16:31,民数記11:7-9,申命記8:3)でも、食べすぎたら吐き出してしまうだけですから。

 最終的に、その方の願うことについて、「どうぞ、お家でもお祈りください」とのみ、簡単にお伝えする程度でした。


         が。



 ・・・そもそも、そんなふうにお勧めするよりまず、どのように祈るべきか、全然お伝えしていなかったじゃないかorz
ということを、今日になって思い起こした次第なのです。

 とりたてて、ムズカシイことではありません。
 むろん、知っているに越したことはありません。

 表記について「祈りの際の注意点」「祈り方」・・・などなどあるでしょうが、私の手の上に示されたのは、これでした。畏れ多いことです。

 もし、これが、今後、そのような事態に直面するわけでないのでしたら、こんな覚え書きは、無意味でしょう。
 が、今後、同じようなことがまた、起こるとも限りません。
 
 そういうわけで、ここを通られる諸先輩方、また、友人各位、どうぞ、上記をご理解の上、温かく、この不作法者の拙い覚え書きをお読みいただけたら、ありがたく存じます。
 これは、自分への覚え書きとも言えますが、チラシの裏に書いた場合、今後、地震でいつなんどき無くなるかわかりません。また、このように覚書を書くことで、さらに教えていただけることも期待しつつ、したためさせていただきます。

 また、毎度ながら「だれにでもわかるように」(かつ、気付かれないように)覚え書きを残したい、と、そう思っておりますので、格式高いものではございません。ごくごく庶民的な物言いですが、その点もご了承いただければ、と存じます。(続く)

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祈りの作法 (2a)

2011-11-07 21:57:22 | Sunday 聖書雑学
「祈りの作法 (1) はじめに」
「祈りの作法 (2a) 基本の基本」
「祈りの作法 (2b) 基本の基本<具体例・詳細>」
「祈りの作法 (3) 主の祈り」


      ******************


  “求めなさい。そうすれば与えられます。

   捜(さが)しなさい。そうすれば見つかります。

   たたきなさい。そうすれば開かれます。

   だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。”

            (新約聖書・マタイの福音書 7章7-8節)


       


(以下は「祈りの作法 (1)」をお読みの上、ご了承いただける方のみご覧ください)


 さて、本題です。
 祈る時、気を付けなければならないことって、なんでしょう?

(念のため・・・これは、「聖書は はじめて!」という方への質問です。
 「もうよくご存じというお方」は、どうぞ素通りなさってくださいm(_ _)m)





       ・


       ・



       ・




 いや、なに、そんなに難しいことではないですよ。
 大事なことは、とてもシンプルなんです。


 「『私たちを創られた神様』に、『イエス・キリストの御名(みな)によって』『アーメン(その通りになりますように)』だけは、忘れずに祈るコト。

  もちろん、『感謝すること』も忘れずに~(^^)⌒☆」

・・・ほら、ムズカシイことではないでしょう? ただ、これは、とても大切なんですよ。

・・・これを、私は言い忘れていたのです。・・・


(続く)

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蛇のように、鳩のように

2011-04-30 07:22:26 | Sunday 聖書雑学

聖書のある場面で、
「蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい」(新改訳)
と、訳されている箇所の、原意について興味深い話があった。

故にメモをば。


        ******

 イエスが12人の弟子を派遣したときに、・・・(中略)・・・

次に、何も持たずに行け、と命じます。金貨も銀貨も銅貨も持たずに。

「何も持たなくて何ができるのか」とふつうだったら思います。

さらにイエスはいいます。

ただ「蛇のように感性するどく、鳩のように率直に」(マタイ10章16節)、

それだけを自分の武器にしなさい。それは貧しく小さくされた者たちが共通して

持っている身を守る術なのです。「蛇のように賢く、鳩のように素直に」ではない。

蛇のように感性するどく。原語φρονιμοιには、賢いとか、頭がいいという

ニュアンスはない。感じとる敏感さのこと。蛇というのは腹ばいで動き、体全体を

触角にしていて敏感な生きものです。(下の下に注目↓)

鳩のように率直に。原語ακεραιοιは混ぜものをして薄めてしまいようなことが

ないという意味ですから、相手に合わせてしまう素直ということではなく、正しいと

思ったことをそのまま口に出す、飾り気のない率直ということでしょう。




        (本田哲郎『釜ヶ崎と福音 -神は貧しく小さくされた者と共に-』,岩波書店)



 前半部分に関して、やや似たようなこと(伝える者は、他の人々の痛みや必要にとても感受性がないとダメだということ)を「宣教師の資質」の「2.感受性(1)~3.感受性(2)」で読んだなぁ…とも思いつつ。(これはこれで、具体的によく考察されている)



でも、本当かなぁ・・・と確認したいときに、こういうものも活用できます。


 ■Greek New Testament(ヨーク大学)
   ギリシャ語新約聖書の原文を読んだり、単語の検索することが可能。
   原文の中の知りたい単語をダブルクリックすると、
   文章中の変化形と元の形、(動詞なら)相voice,法mood,時称tense,数number,人称person…あたりまで
   出てくる。


 ■Perseus The Greek New Testament
   ペルセウス・プロジェクトによるギリシャ語新約聖書。簡単な原意も載っている。
   (こちらは、まだまだ十分に活用できていないので、どなたか教えてください)


                  


(後日追記05.01)
 ・・・と、こうしてメモを書くと、しばしばありがたいことが起こります(^^)


1.誤字脱字に関して、指摘をしていただける。
     …ギリシャ語を入れるとき、いちいち、「アルファ、カッパ、エプシロン、ロー、イオ-タ、オミクロン、イオタ・・・」などと打ってから、変換しているのですが、それを間違えた時、ご覧になった方によっては、きちんと指摘してくださるのです。今回も同様(訂正済み)。助かります。


2.さらに、いろんな情報をいただける。
     …最初に書いた、ある本からの引用のギリシャ語などでもどこかで聞いた話でも「ん?」と思ったとき、または、「なるほどなるほど」と思ったときでも、(時間があったら)それをうのみにせずに、「ほんとかな~?」と可能な範囲で確認するのですが、今回、上記の文章で、「原語φρονιμοιには、賢いとか、頭がいいというニュアンスはない。」というのは、断言できるのか??と確認してみると・・・。あれ、ん~~~~? と判断しにくいことも。(ちなみにακεραιοιのほうは、それでOKでした)


   そんなつぶやきが伝わったのか、海外にいる、語学に堪能な方から、さらにこちらを紹介していただきました。


     ■φρόνιμοι (phronimoi)が新約聖書のどこの箇所に使われているか

     ■phronimosの意味、説明
  
   ・・・というわけで、「賢い」(wise, sensible)という意味のようです。

  (それにしても、たとえ間違っていた内容だったとしても、こうして「ん?」って、一度立ち止まって考える機会をいただけるわけなので、ありがたいです(^^))



   助かります。ありがとうございました

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サラの後宮入り

2011-04-18 23:23:46 | Sunday 聖書雑学
(注:以下は、ユーモアを解する、賢く、心の広い方だけご覧ください)


                   


 「アブラハムとサラ」 1)と言えば…

 昔・・・もう3年か4年くらい前だったでしょうか・・・、こんなことを、
ある友人から尋ねられました。



           **************

 Q.サラは、どうして後宮に召されたんだ? 2)

 友「すでに90歳となっていたのに、夫のアブラハムは、『妻を奪われるのでは』と心配して妹と偽っているし…3)。アブラハムにしたって、もう100歳。


 友「現代と昔とで、年月の概念が違うのかもしれないが、
  アブラハムもサラも、『もう子どもを産めないのに』 4)と言っていることから、
  確かに、老年期だったのだとも考えられる。」


 友「なのに、どうして、後宮に召し入れられたりしたんだ??」



           **************


        
         


 ちなみに、聖書に記されていること、いないことで、
  想像の域を超えられない事柄は多々ございます。
 「わかりません」というのが、もっとも無難で誠実で適切な答えだったりします。


 ただ、もしよろしければ、その中で、
 暖かく、塩っけもあって、ユーモアもある答えや
 やり取りを聞かせていただけたら、幸いです



 というわけで、あなただったら、こう聞かれたら、
      どうお答えになりますか・・・?)



   
  「コロ」「シロ(4.6)か…」





【注】
1)アブラハムとサラ:イスラエル民族の父祖ヤコブ(後のイスラエル)の、祖父母。サラはアブラハムの妻。
           旧約聖書・創世記の中に、そのときの様子が描かれている。


2)サラの後宮入り:90歳の頃、ゲラルという国の王の後宮に召しかかえられる。
          (創世記20章)
          後宮に召し入れられる=妾(めかけ)にされる、ということ。

          このとき、アブラハムは、サラが美しいため、「自分を殺してでも、
          サラを奪われるのでは」と危惧し、自分の妹と偽っていた。

          ちなみに、だいぶ昔、(その当時最も栄えていた)エジプトに寄留していた頃にも、
          アブラハムは同じような心配をして、同じようなことをして、
          神様に怒られていた。
          (ただし、パロのほうが災難を受ける…創世記12章10-20節)

          ・・・どれほど、サラは美しかったのだろうか。


3)創世記17章17節参照。


4)創世記17章15-17節、18章11-12節参照。
  サラも月経が終わっていることが記されている。





 ちなみに、そのとき。

 キャベツの口から、こんな答えが、
…キャベツ自身、なぜそのような、思いもよらない言葉が出てきたのかわかりません…
 突然出てきました。

(・・・少々、恥ずかしいので、…コメント欄に記します。)


                 




 (万が一、コメント欄もご覧になりたい場合は、題名をクリックしてください。
  そうすると、この文章の下に、コメント欄が出てきます。)
 
コメント (1)
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