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塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

サッカーに思う人の命

2017-02-08 23:15:07 | 日記
 篠ノ井に向かう電車のおともに選んだのは、池波正太郎先生の「剣客商売」です。

 何度も読み直しているこの作品ですが、時代劇にもサッカーに通じることがあると感心しました。

 江戸時代というのは仇討ちという形で、親、兄弟が殺害された場合、県堺を超えて他国に移動ができます。

 先生がおっしゃるには

 「昔は道中手形を筆頭に、紛失してはいけないものがたくさんあったんだ」
 「だからテレビみたいに、女が自由に旅は出来ないものなんだよ」

 ということです。

 剣客というのは真剣の立ち合いで恨みを買うこともあり、その怨念がその後にずっとつきまとう、というわけです。

 サッカーでも痛い記憶はファンも選手も忘れません。

 レアルが0-5でバルサに粉砕される、しかも2度
 インテルが67年のチャンピオンズ・カップでセルティックに敗れたこと
 
 など、語られることは多くあります。

 例えば67年のセルティック。

 今でも彼らはファンから「リスボン・ライオンズ」と称えられ、クラブの歴史にその名を刻みますが、インテルの側からすればもし優勝していれば、欧州王座の回数は4回になります。

 宿敵ユヴェントスにスクデット獲得数ではかないません。

 しかし、欧州王者という観点でいえば、ダブルスコアになるわけです。

 しかしサッカーに限らずスポーツは、遺恨と囁かれながらもかたき討ちのように、人が死ぬわけでも、その後の人生におびえることもありません。

 サッカーは人が語り継ぐ要素が多々ありますが、その痛みを命と引き換えにしないことは、本当に考えねばなりません。
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