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塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

代表招集を拒むと言う見解

2015-09-01 01:22:15 | 日記
 1980年代、読売の中核を担った戸塚哲也は、カリオカも一目置く技術の持ち主でした。

 当然、日本代表から声がかかるも、ある時から

 「代表にはいかんよ」
 「読売にいた方がよほど良い」

 と公言し、代表招集を断るようになります。

 今、そんな選手がいたら、確実の罵倒されますね。

 それはまだ当時、JSL自体がアマチュア、代表もアマチュアと言う形であり、プロに近い形の読売からすれば、戦術も練習も

 「あか抜けない」

 印象だったのでしょう。

 1990年代のプロ黎明期も、読売には戸塚以外にも菊原、阿部、山口と尋常では無い技術を持った選手がわんさかいました。

 特に山口は監督のペペから

 「彼は天才」
 「将来の読売を背負って立つのは間違いない」

 と絶賛されたしだいで、当時の読売がいかに戦力を保持していたかがわかります。

 僕は選手が代表を拒否しても良いと思います。

 それは指揮官が描くサッカーと、どうも自分の考えが乖離しており、自我にすら関わると言う事がまずありますね。

 一方で、メディアからの的外れな見解も時に見受けられます。

 ベルント・シュスターは欧州選手権80で西ドイツの主軸として名声を得るも、メディから、幾つなのでしょう、随分年の離れた妻を愚弄され、以後代表招集を断り続けます。

 彼はレアル、アトレティコ、バルサと言う名門でプレイし、引退後もスペインで指揮を執りづけたのは

 「過去の名声」
 「母国に良い印象を持っていない」

 と言う側面がありました。

 シュスターが代表にいないことを、大きな損失を考えるファンは多かったのですが、シュスター自身は意思を貫く事で、自我を守った形になりました。
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