塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

肉親とのいさかいの果てに

2020-03-30 20:12:22 | 日記
 今再読している「バーバラ・スミス著 アディダスVSプーマ」では、日本代表がアディダスとこれだけの緊密さを維持できる理由がよくわかります。

 それはアディダスとアシックス、プーマの3社が持ち回りでサポートしていた時期が終了した1999年から始まる

 「アディダスによるスポンサード」

 のはるか以前、メキシコ五輪のころまで遡る形になります。

 過去、ナイキがアディダスと結びつきの強いドイツ代表を強奪するため、年間のスポンサー料70億円を準備した、と聞いたことがありますが、信頼は金では買えない、という意味合いは死んではいない様子です。

 アディダスにとって最大のパートナーは、ユナイテッド、レアルではなくバイエルンでしょうが、その契約に至った仮定も本書では確認できます。

 アディダスの様々な商品構成の前に苦戦するプーマは

 「大多数の契約選手ではなく、ごく少数の素晴らしい選手だけと契約する」
 「その方が限られた資金を無駄なく活用でき、宣伝効果も遥かに高い」

 という方針を打ち出します。

 この書籍では冒頭からダスラー家の諍い、これが鮮明な形で描かれますが、同じ家の中で顔色を常に伺う生活は、本当に気苦労が絶えなかったでしょうね。

 僕は昔から「ひ弱」「内気」で、よく馬鹿にされてきましたし、それは今でも変わらない側面として残っています。

 僕が友人、恋人がいないことを気にかけていることは確かですが、一方バカ扱いされないという点では、有難いとも思います。

 プーマ創業者のルドルフ・ダスラーの長男アーミンは、その父から全く目をかけられず、むしろ罵倒の対象となっていたのですが、毎日顔を合わせる分だけ生きた心地はしなかったに違いありません。
 
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