僕は生涯通じて「子無し」様」でしょうね。
「子持ち様」には行政、しかも日本政府が様々な金銭補助を与えますすし、子供が病気で早退する、休む、学校行事で繁忙期も休日ということがある。
このため、上記のような揶揄、ばあ性があるわけです。
子持ち様は子供の病気というアクシデントが発生し、誰かがその穴埋めをした際
今度は私がだれかを助ける番だ
何故なら私は多くの場合でたすけてもらつているから
と負物でしょうか。
日本では江戸時代び「宵越しのかねは持たない」といわれました。
これは手持ちのお金を散財することではないのですよ。
毎日を一所懸命に働いて、長屋に帰る
そのことを皆が知っているから、コメと醤油、味噌などが不足している際は、自分の分をささげ、逆に自分が危ういときは、彼らが助けてくれる
というのが「宵越しのかね」ですからね。
子持ち様に子無し様は「なんで俺がいつもカバーするんだ」と嘆く
子持ち様は果たして、俺がアクシンデントや病気の際、今まで助けてくれたから、今度は私の番ですねと助けるだろうか
それとも学校行事や子供を「盾にして」、お荒れを見捨てるのではないか
とおもうのではないでしょうか。
少なくとも、僕は運よく病気ではなく、アクシンデントに見舞われることもないでしょうから、一方的に助ける側えですが「助けてもらう」ことはまずありませんがね。
サッカーでも過去はエウゼビオやマラドーナのように、絶対的な選手は守備のタスクがありませんでした。
それはペレやジダンもそうですが、彼らが守備で疲労を蓄積する方が、クラブも代表も損益だからですよ。
ただ、今守備のタスクはロナウドですら必要で、免除されているのはメッシだけdしょう。
相互扶助というありきたちの後継は日常でもサッカーでも伊那路でしょうか。
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